シニア夫婦と犬1匹が自作キャンピングシェルで行く沖縄一周車中泊旅行記11今帰仁城サトウキビジュース

今帰仁城跡に行きました。壮大な城壁の曲線美と自然の織り成す風景に感動しました。最後の城主である攀安知の悲劇や歴史を知って風景を見る目も変わりました。帰りの売店で飲んだ生しぼりのサトウキビジュースは最高でした。

今帰仁城の最初の印象としてとにかく大きいです。約7.9haの広さは首里城に匹敵する規模だそうです。
今帰仁城跡は沖縄本島の北部、本部半島の北東部の今帰仁村(そん)にあります。標高約100メートルの丘の上にあって、周囲は自然豊かなやんばるの森に囲まれています。広場から平郎門(へいろうもん)に向かいます
全長約1.5kmにも及ぶ壮大な城壁が見えてきました。自然の地形に合わせて曲線を描く独特の美しいデザインです。
平郎門から入ります。入場料は600円です。
左右には敵の侵入を監視するための小窓が設けられた堅牢な造りとなっています。そこをくぐる時、頭上に横たわる巨大な天井の岩板は圧巻です。
整備された石段の両側に寒緋桜(カンヒザクラ)が植えられてこの時は12月でまだ咲いていませんが1月下旬から2月中旬は「今帰仁グスク桜まつり」が開催され、夜にはライトアップされた幻想的な夜桜を楽しむことができます。
石段を登りきると御内原(うーちばる)に着きます。今帰仁城で一番高いところです。標高100mの丘の上なので、視界いっぱいに広がる東シナ海の青い海と水平線の向こうに離島も見えて、素晴らしい眺めです。
下を見ると8メートルもの高さの美しい曲線の城壁で囲まれた広い空間があります。内側は大隅(うーしみ)と言われる城内で一番広い郭で、
馬の骨や歯が大量に出土しており、戦時に備えて馬を養い、訓練した場所であったと考えられています。周りには緑豊かな山々が広がり、歴史と自然が織りなす絶景を堪能できます。
御内原(うーちばる)は、女性の神官(ノロ)による祈りの中心地という重要な儀式の場です。男子禁制で王家の聖域とされていました。
今帰仁城の中で最も高く外敵から最も守られた空間です。
沖縄では古来、祝女(ノロ)や聞得大君(きこえおおきみ)といった女性の神官たちが権威を持っていました。御内原(うーちばる)は琉球の宗教文化が女性中心であったことを物語る貴重な遺構です。
琉球では「神に最も近いのは女性」という世界観が存在し、宗教的・文化的・精神的なリーダーとして女性の地位が高いです。現代沖縄社会でもその伝統は残っていて、女性の家庭内・地域内においてのリーダーシップは大きいし、就業率や管理職登用率も全国平均よりかなり高いです。御内原(うーちばる)から本丸である主郭へ向かいます。ここは、かつて王が住んでいたとされる最も重要な場所です。 現在では、基礎の石が残るのみですが、当時の壮麗さを偲ぶことができます。
今帰仁城の最後の王である攀安知(はんあんち)王のエピソードです。沖縄本島がまだ一つの国ではなく、北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、
南山(なんざん)という三つの勢力に分かれていた時代(三山時代)のことです。
北の地を治めていたのが北山王国。その最後の王が、今帰仁城の攀安知(はんあんち)でした。彼はたいそう武勇に優れた王で、城は難攻不落といわれていました。その頃、中部の中山では、尚巴志(しょうはし)という英雄が現れ、勢力を拡大し、三山を統一しようと動き出します。
1416年尚巴志は今帰仁城を攻めます。 攀安知は堅固な今帰仁城に立てこもり、激しく抵抗しました。城壁は高く、攻め手はなかなか城内に入ることができません。
戦いが長引く中、尚巴志(しょうはし)は策を巡らせます。攀安知の重臣でありながら欲深いと言われていた本部平原(もとぶてーばる)に目をつけ、賄賂を贈って裏切りを誘いました。
本部平原(もとぶてーばる)は尚巴志の誘いに乗り、攀安知に進言しました。
「王様、私が裏門から出て敵を引き付けますので、王様は正面から打って出てください。」
これが罠だとは知らず、攀安知(はんあんち)は本部平原(もとぶてーばる)の言葉を信じ、自ら先頭に立って平郎門(へいろうもん)を出て
散り散りに逃げる正面の敵を遠くまで深追いしてしまいます。
その隙に、本部平原は(もとぶてーばる)城門を開け放ち、尚巴志(しょうはし)軍を城内へと引き入れてしまいました。攀安知がふと振り返ると城が敵の手にわたっているではありませんか。そしてあわてて城へと引き返します。しかし城門で待ち構えていたのは、裏切った本部平原でした。
怒りに震えた攀安知は、伝家の宝刀「千代金丸(ちよがねまる)」で一騎打ちの末、本部平原を斬り捨てました。
しかし、時すでに遅しで城内は敵兵であふれ、もはやこれまでと悟ります。攀安知は千代金丸(ちよがねまる)で自害しようとしましたが、不思議なことに伝家の宝刀は彼の体を貫くことができませんでした。
彼は天を仰ぎ、
「この刀は、王たる我が身を斬ることはできぬか!」
と叫ぶと、千代金丸を城壁の外、眼下を流れる志慶真川(しじまがわ)へと投げ捨て、腰に差していた別の脇差(わきざし)で切腹したと伝えられています。こうして勇猛な北山王・攀安知は滅び、北山王国は歴史から姿を消しました。
その後中山王の尚巴志は南山も制圧し三山を統一して首里城を拠点とする琉球王国を誕生させました。志慶真川(しじまがわ)に投げ捨てられた千代金丸(ちよがねまる)は、のちに発見され、首里城の尚巴志のもとへ献上され現在は国宝として那覇市歴史博物館に所蔵されています。今帰仁城跡内の歴史文化センターにも行きましたがそこにはレプリカが展示されていました。
攀安知の物語は、勝者である中山側の視点で書かれた史料が多く、攀安知が暴君であったと記されることもありますが、故郷を守るために最後まで戦った悲劇の王として、今も語り継がれています。
今帰仁城は攀安知が滅びた後、首里城からの役人が北部地方の監守として住みました。主郭の祠は、「監守(かんしゅ)一族の火の神(ヒヌカン)」が祀(まつ)られています。
現存する祠は今帰仁城が城としての役割を終え、最後の監守が去った後、18世紀に建てられたとされています。城が廃城となった後も、この祠は信仰の対象として大切にされ続けてきました。祠の内部には小さなかまどが置かれていると言われています。普段は鍵がかかっていますが、
ガイドツアーで内部を見学できるようです。
琉球では仏教が伝わる以前からヒヌカン信仰は非常に重要視されており、今帰仁城の主郭という中心的な場所に、監守一族のヒヌカンが祀(まつ)られたことからも、その重要性がうかがえます。
主郭から階段を降りると志慶真門郭(しげまじょうかく)があります。この崩れているところが本部平原(もとぶてーばる)が敵と密通した裏門にあたります。今帰仁城の城壁の石材には、沖縄の他のグスクでよく用いられる。柔らかい琉球石灰岩ではなく、硬くて重い「古期石灰岩」が使われています。
加工しにくいこともあり、一つ一つの石は自然なそのままの形を生かした
「野面積み(のづらづみ)」という古い技法で積み上げられていますが遠くから見ると全体としてしなやかな曲線になっているのが実に見事です。
志慶真門郭は王に仕えた身近な人々が住んでいた場所で、4つの建物の跡が確認されています 。1609年、薩摩軍による琉球侵攻の際、今帰仁城は焼き討ちされ、主郭や志慶真門郭の建物も大きな被害を受けました 。その後、1665年には最後の監守が首里へと引き上げ、今帰仁城は住居としての役割を終えました 。
しかし、城はその後も「御拝所(うがんじゅ)」として、県内各地から多くの人々が参拝に訪れる聖地となり、精神的な拠り所として大切にされてきました。 近代に入り、1972年には国の史跡に指定され、2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録され、その歴史的、文化的価値が国際的にも認められました 。
主郭の石垣が天に向かってうねる龍の背骨のように、雄々しく連なっています。一つ一つ積み上げられた石は、適当に積み上げられたように見えながらも全体として完璧な調和を保ってい主郭を荘厳に飾っています。数百年の時を超え、今もなお威風堂々と佇む石垣を見上げていると、この城を守り抜こうとした攀安知の強い意志が、伝わってくるようです。
帰り道、ふと立ち寄ったお店で、しぼりたてのサトウキビジュースをいただきました。目の前で専用の機械にサトウキビを差し込むと、50cmほどの長さの茎から、ゆっくりと一杯分のジュースが絞られていきます。見るからに新鮮で、まさに今ここでしか味わえない特別な一杯。ひと口飲んだ瞬間、驚きました。想像していた青臭さはまったくなく、まろやかで優しい甘さが口いっぱいに広がります。しぼりたてだからこそ感じられる、力強くも繊細な自然の甘み。さらにシークワーサーを絞ってもらうと、その爽やかな酸味が絶妙に絡み合い、甘みとのバランスが本当に完璧。
まさに、沖縄でしか味わえない贅沢なひとときでした。これ、コーヒーより価値あると思います。本当に。
私たちがその味に感動していると、次々に他のお客さんもやってきました。それも納得。これは誰にでもおすすめしたくなる美味しさです。忖度なしで。そして感動は味だけでは終わりませんでした。お店を後にして、50メートルほど歩いたところで、後ろから誰かが走ってきました。振り返ると、なんとお店の方が私たちを追いかけてきてくれたのです。
「お釣りの100円、忘れてましたよ」と。
旅先でその土地の人の誠実さと温かさに、ふれると心にしみます。
この素敵なお店は、今帰仁城の入り口、石段のそばにあります。もし今帰仁城に行かれることがあれば、ぜひ立ち寄ってみてください。いえ、たとえ今帰仁城に行かなくても、このジュースを飲むためだけに訪れる価値があります。次に沖縄を訪れるときは、一人一杯ずつ、じっくり味わいたいと思います。美味しさとともに、沖縄の人の優しさに触れられた、忘れられないひとときでした。私たちは京都ですが、京都も観光客が多いです。
オーバーバーツーリズムの文句ばかり言ってないで旅人を暖かく迎える
大切さを実感しました。
今帰仁村今泊のフクギ並木の住宅地の中を、車で静かに通り抜けました。
そこには、時がゆったりと流れているかのような、懐かしくも美しい風景が広がっていました。背の高いフクギが両脇に並び、その緑のトンネルの中に、昔ながらの佇まいを残した古い家々があります。どこか懐かしく、語りかけてくるようなその風景には、観光地のにぎやかさとは違う、沖縄の素顔のような穏やかさと温もりがありました。

11 Comments

  1. こんばんは😃🌃
    大河ドラマを1本見たような感じでした👍
    短い動画なのにギュッと凝縮されていてとてもわかりやすかったです😊
    さとうきびジュース必ず飲みたいと思います❣️

  2. ウーチバル、ヒヌカン、ウガンジュなど、独特な沖縄の発音をしっかり表現されております。
    県外の方で城の説明で、ノロや聞得大君(キコエオオキミ)などの神女に対して触れるのもかなり驚きました。
    沖縄旅行をDIYされたシェルで楽しんでいただけているなら幸いです。

  3. 毎回面白い所を紹介して頂き楽しんでいます。この城壁の形は、イタリアで発生し城壁の頂点、頂点から攻撃する敵が良く見えて迎撃しやすく、死角を無くして防御がしやすいと言う「星形要塞」に似ていますね。どこかで文化の繋がりが有ったのでしょうか? そんな事を考えながら見ると味わい深いですね。

  4. 8:16「野面積み」ですが、「のらづみ」と言っていますが、正しくは「のづらづみ」です。すみません。お詫びして訂正します。

  5. 沖縄には深い歴史があったのですね
    まったく知りませんでした

    サトウキビジュースあったのですね
    私もパイナップル畑で搾りたてのパイナップルジュース飲みましたが
    これも美味しかったです

  6. 落ち着いた語り口調がここちよく、ばらしい歴史動画でした。
    見事な石垣きも、よく太平洋戦争でも無事だったと思います。
    最後の今泊のフクギ並木の映像も現地の生活を感じれてよかったです。

  7. 歴史の勉強をしてるみたいでした😊
    沖縄をますます魅力的に感じました😊

  8. 歴史の勉強をしてるみたいでした😊
    沖縄をますます魅力的に感じました😊

  9. 日本全県の主だった城跡(山城主体)巡りした時期がありまして沖縄のこれらの城跡にも行きました。本州と違った曲線の石垣は素晴らしくて感動しました! ただ逆に考えると長尺の石を半分づつ交互に積み重ねて直角部分を強固に作り出す手法が沖縄には伝わって無かったので曲線化したのかも?(敵兵発見や逃げ場無くすには直線の方が有利なはず)って思いましたが、、曲線化の理由を知りたいものです。

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