八坂神社 春の伝統芸能大会(主催:日本伝統芸能団 白拍子の今様・詩吟・空手吟・劔詩舞)&円山公園の桜 2025.4.6午後1時
令和7年4月6日は、八坂神社の境内にある能舞台にて春の伝統芸能大会が開催されました。
伝統芸能大会は日本伝統芸能団が主催し、年3回(春・夏(祇園祭の日)・秋)同じ能舞台にてさまざまな伝統芸能が披露されます。今様(いまよう)、詩吟、日本舞踊、琵琶、筝曲(そうきょく)などの伝統芸能を披露する。毎年、春は桜の咲く4月初旬に行われ、4時間にわたって舞や和楽器演奏が演じられます。
本映像の収録内容は、午後1時から始まり5時に終了する長丁場の芸能披露ですが、午後2時までの間の内容となります(撮影者が用事のため退出)。
<映像の内容>
1、ダイジェスト版 円山公園の満開の桜と当日能舞台での芸能抜粋(詩吟・空手吟・劔詩舞・今様)
円山公園の桜が見ごろでしたので、吟士の画像や劔詩舞・空手吟・今様の映像とコラボさせております。
詩吟は年齢を問わずお金がかからず着物を着ることができ一芸として披露できます。詩吟では審査試験を受けて段位や資格を取ることも可能。履歴書に書けるので就職活動や自己アピールに有利です。師範免許をとれば教室を開くこともできます。
詩吟の効能は姿勢がよくなりストレスを発散でき声を出すことで健康促進にもつながります。複式呼吸により内臓を強化し自律神経が整います。また、歌がうまくなります。
(発声練習により循環呼吸ができる可能性もでてきます)
さらに滑舌がよくなり、声が人に伝わりやすくなり、度胸がつきます。
さらには古典や礼儀作法に詳しくなれます。
詩吟には長所しかないので、年齢男女国籍不問と門戸が開けており、是非習ってみたい方は、後継者育成の意味も含めて積極的に参加してください。
今様ほ魅力は、「雅」を知ることができます。
今様とは、平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、貴族から庶民にまで広く流行した歌謡を、今様といいます。
「今様」という言葉には当世風(とうせいふう:その時代に流行している風俗・風習・考え方)という意味があり、神楽歌(かぐらうた・日本の神道における神事で催される神楽において雅楽により歌われる歌)や催馬楽(さいばら・平安時代に隆盛した古代歌謡)などそれ以前から存在する歌に対して新しい歌であるという意味も含まれています。
平安時代末期に、今様をたいへん好んだ後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は、今様の集成といわれています。この『梁塵秘抄』には、今様の歌詞が数多く残されていますが、譜は記されておらず、その歌い方についてはっきりとしたことは分かっていません。今様は鎌倉時代以降には廃れてしまいましたが、現在では残された資料などから復曲したものが演奏されています。
今様は、おもに白拍子という男装した遊女が踊りながら歌っていました。7音と5音を繰り返す七五調の4句で作られた歌を、笛や鼓などを伴奏にして歌うこともあれば、まったく伴奏なしで行われることもありました。その歌詞は、場の状況に合わせて即興で歌われることもありました。また、平安時代中期ころには、今様の歌詞を雅楽の旋律、中でも「越殿楽(えてんらく:越天楽とも)」の節と拍子に乗せて歌われることが多かったようです。
2、本編
(注)映像は時系列です。『花の大和』以外歌詞を入れております。『花の大和』は資料が手薄のため不明でした。
<演目>
(注)ジャンルごとに分類しています。
(1)今様 (日本今様謌舞楽会)
①『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』四句(七五七五七五七五)神歌
万劫(まんごう)年経る(ふ)る亀山の、下は泉の深ければ、苔むす岩屋に松生いて、 梢に鶴こそ遊ぶなれ
(万劫の長きを経るという 亀の支える亀山(蓬莱山)の下にあるという泉は 大層深いものだから苔のむす岩屋(洞穴)の口にさえ 松が生い茂りその梢には 鶴こそ 遊んでいるだろう)
②『花の大和(はなのやまと)』 不明
③『越天楽今様(えてんらくいまよう)』
越天楽今様 「春の弥生のあけぼのに~」
「梁塵秘抄」の中で最も知られた歌。
白拍子が遊女の身の上を嘆く内容です。
遊女の身として生まれた彼女たちが子どもの遊ぶ声を聴きわが身の悲しき宿命(さだめ)に心が揺さぶられるという歌です
「春のやよいの あけぼのに
四方(よも)の山べを 見わたせば
花盛りかも しら雲の
かからぬ峯こそ なかりけれ」
(春、三月の明け方に、周りの山々を見渡すと、桜が満開なのだろうか、雲のかかっていない峰はない。)
遊びをせんとや 生まれけん
戯れせんとや 生まれけん
遊ぶ子どもの 声聞けば
我が身にさへこそ動(ゆる)がるれ 」
(遊び戯れるためだけに生まれてきたのだろうか。外で遊ぶ子らの声を聴くと我が身を売って生きる境遇が悲しい)
(2)詩吟(漢詩)
(注)漢詩は本来中国語読みなので、中国語がわかる人でないと、何言っているのかわからないと思います。だから、詩吟では漢詩を「読み下し文」に置き換えて、日本語におきかえわかりやすくしております。以下のすべての漢詩は読み下し文に置き変えております。また映像にはのせていない訳をつけております。
①詩吟(省略版)(静吟詩堂吟詠会有志)
(ⅰ)『江南の春(こうなんのはる)』 作:杜牧(とぼく)
「千里鶯啼いて 緑紅に映ず 水村 山郭 酒旗の風 南朝 四百八十寺
多少の楼台 煙雨の中」
(千里の彼方まで、ウグイスが鳴き、葉の緑と花の紅が映え合う春景色が広がる。 水辺の村にも、山の辺の村にも、新酒を告げる幟が風に揺れている。 南朝以来の四百八十にのぼる寺々、その数多くの伽藍が、春雨の中に煙っている。)
(ⅱ)『春夜落城に笛を聴く(しゅんやらくじょうにふえをきく)』 作:李白(りはく)
「誰が家の玉笛ぞ 暗に声を飛ばす 散じて春風に入りて 洛城に満つ
此の夜 曲中 折柳を聞く 何人か故園の情を起こさざらん」
(誰の家で吹く笛の音だろうか。どこからともなく笛の音色が飛ぶように聞こえてくる。
(その音は)春の風にのって、洛陽の町いっぱいに広がっている。
この夜、耳にした曲の中に「折楊柳」があった。
(この曲を耳にして)いったい誰が故郷を懐かしむ気持ちを起こさずにいられようか。(いや、故郷を懐かしむ気持ちを起こすだろう。)
(ⅲ)『對花(たいか)』 作:于濆(うふく)
花 開ひらけば 蝶てふ 枝に滿ち,
花 落つれば 蝶てふ 還かへること稀(まれ)なり。
惟ただ 舊巣(きうさう)の燕つばめ 有りて,
主人 貧しきも亦(また) 歸る。
(花が咲けばチョウは、枝にいっぱいになり。(人生が順調で盛んであれば、寄ってくる者が多く。)
花が散れば、チョウがもどってくることは少ない。(人生が衰勢になれば、以前に寄ってきた者が戻って来ることは稀(まれ)である。)
ただ、昔から棲み着いているツバメだけは、主が貧しくなっても、(初夏になれば、旧来の情誼を重んじるがごとく)帰って来ている。)
(ⅳ)『涼州詞(りょしゅうのし)』 作:王之渙(おうしかん)
黄河 遠く上る 白雲の間(かん)
一片の孤城(こじょう) 万仭(ばんじん)の山
羌笛(きょうてき) 何ぞ須(もち)いん 楊柳(ようりゅう)を怨むを
春光(しゅんこう)度(わた)らず 玉門関(ぎょくもんかん)
(黄河をはるばる遡り、白雲の中へと分け入っていくと、険しい山々に囲まれて、ぽつんと小さな城がある。その城から羌笛の音が響いてくる。羌の人たちよ、そうやって悲しい音色で我々の郷愁を誘い、戦意をくじこうなんて、そんなことする必要は無いのだ。どうせ春の光はこの玉門関の外までは届かないのだから。)
(ⅴ)『富士山(ふじさん)』 作:石川丈山(いしかわじょうざん)
仙客(せんかく)来り遊ぶ雲外の巓(みね)。神龍 栖(す)み老(お)ゆ洞中(どうちゅう)の淵。雪は紈素(がんそ)の如く煙は柄(え)の如し。白扇(はくせん)倒(さかしま)に懸(か)かる東海の天。
(雲の上に突き出した富士山の頂には、仙人が来て遊ぶという。洞窟の中の淵には久しく神龍が棲んでいるという。頂に積もった雪は扇の白絹のようであり、立ち上る煙は扇の柄のようだ。ちょうど白い扇をひっくり返して東海の天にかけたような、そんな景色に見えるのだ。)
②劔詩舞(けんしぶ)
(ⅰ)『桶狭間を過ぐ(おけはざまをすぐ)』作:大田錦城(おおたきんじょう)
荒原(こうげん) 古(いにしえ)を 弔 う 古墳の前 戦い克って将 驕る何ぞ全 きを得ん 怪風 雨を吹いて昼 晦の如 し 驚破 す奇兵の天より降 るかと
(荒れた原野の古い塚の前に佇むと思いは当時の信長の戦いが駆け廻る。此処で今川の軍勢は、勝利に酔って、武将たちは驕り高ぶり休んでいた。突然怪しい風と共に、曇って来たかと思う間に、忽ち昼間にも拘らず一変し暗くなり風雨となった。近づいていた信長軍、雨が止むのを期に一気に攻め込んだ、この奇襲に今川軍は仰天、天から兵が降って来たかと驚いて、ついに敗北してしまった。)
(ⅱ)『辞世(じせい)』作:吉田松陰(よしだしょういん)
吾れ今 国の為に死す 死して君臣に背かず 悠々たり 天地の事、 鑑照 明神に在り
(私は今、国のために命を捧げる。 これは決して君や親に対する忠孝の道に背くことではない。 遥かに広がる天地の間に営まれる事の中で私の行ってきたことはすべて国の為であり至誠より発したものである。)
③空手吟(からてぎん)
(ⅰ)『家兄に寄せて志を言う(かけいによせてこころざしをいう)』昨:広瀬武夫(ひろせたけお)
空手方:剛柔流和剛道場(ごうじゅうりゅうわごうどうじょう)
勤皇の大義 太だ分明
報国の丹心 七生を期す
伝家一脈遺風在り
盟って名声を挙げん
「弟と兄とに忠を尽くすという大義は、我が家にとっていかにもはっきりしていることである。国恩に報いようとするわが真心も、「七たびこの世に生まれかわって朝敵を滅ぼさん」といった、かの楠木公の精神と同じである。忠節を尽くそうとするこの遺風は、先祖代々伝わって来たのであるから、この度もまた必ず、兄弟ともに武勲をたてて、我が家の名をあげたいものと心に誓っている。」
(ⅱ)『母を報じて嵐山に遊ぶ(ははをほうじてらんざんにあそぶ)』作:頼 山陽(らいさんよう)
空手方:剛柔流和剛道場(ごうじゅうりゅうわごうどうじょう)
嵐山に 到らざること 已(すで)に 五年,
萬株の花木 倍(ますま)す鮮妍(せんけん)たり。
最も忻(よろこ)ぶ 阿母 衾枕(きんちん)を 同うし,
連夜 香雲 暖かき處(しょ)に 眠る。
(母親に従って嵐山に出かけた。先だって父親が亡くなり、(広島での三回忌の法事後、)ついで九州へ旅行したので、(嵐山に来なくなって)五年ぶりになる。極めて多くの本数の花樹は、ますますあざやかで美しい。最もうれしいことは、お母さんと一緒に寝ることで。)
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず (石川啄木「一握の砂」)
(戯れに母を背負ってみたが、そのあまりに軽い体重に自分は嗚咽し、2歩歩いたが、3歩目はあまりの悲しさに歩くことができなかった。苦労をかけてきた母に申し訳ない)