トルコの恩返し 遭難事故が結んだ両国の絆

1890年、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号は、皇帝の親書を明治天皇に届けるため、日本を訪れました。

約11か月の長い航海を経て日本で温かく迎えられましたが、帰国途中の9月16日、和歌山県串本町沖で台風に巻き込まれ、岩礁に激突して沈没しました。

乗組員587名が亡くなり、生存者は69名だけでした。

大島村(現在の串本町)の村人たちは、嵐の中で懸命に救助し、生存者を手厚く看護しました。

生存者は後に日本政府の手配でトルコへ無事送り届けられました。

この出来事は日本とトルコの友好の象徴となりました。

さらに、1985年のイラン・イラク戦争時には、トルコ政府が「今度は私たちの番だ」という想いで日本人を救出しました。

エルトゥールル号の悲劇は、日本とトルコの深い絆の礎となり、今も両国の友情が続いています。

———————————————————-
1985年、イラン・イラク戦争の最中、日本人約300人がイランの首都テヘランに取り残されました。イラクは「48時間後にイラン上空を飛ぶ飛行機をすべて撃ち落とす」と宣言し、各国は自国民を救出しましたが、日本はすぐに飛行機を手配できませんでした。

そんな中、トルコ政府がトルコ航空の飛行機を2機派遣し、日本人を優先的に乗せて救出してくれました。その結果、約215人の日本人が無事に脱出できました。

トルコが日本を助けた理由の一つは、1890年に和歌山県沖で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗組員を日本が助けた歴史があったからです。トルコの人々はこの恩を忘れず、95年後に日本人を救う決断をしました。

3 Comments

  1. イスタンブールを歩いていると日本語で友好的に話しかけてくるトルコ人は多い😊

Write A Comment