【後藤又兵衛基次】戦国の武将大阪城五人衆菩提所 多聞寺 兵庫県加西市尾崎町288 #後藤又兵衛基次 #大阪城五人衆 #多聞寺

戦国の武将、後藤又兵衛基次公と祝融山多聞寺との関係は非常に深く、黒田官兵衛率いる「黒田二十四騎」の一人として、そして大坂夏の陣、「大坂城五人衆」の一人として、西軍である豊臣の軍勢につき、河内道明寺の戦いにおいて東軍である徳川の軍勢に対し、真っ先に立ち向かい 孤軍でおよそ八時間奮戦したが、後続の真田幸村(信繁)らの軍が濃霧に阻まれて到着が遅れ、又兵衛は孤軍のまま壮絶な戦いの末、武将としての本懐を遂げ討ち死にした。(元和元年五月六日亡) 
 その翌年の元和二年(1616)に、又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父を弔うために、尾崎村の岩本勘兵衛家から土地の寄進を受け、又兵衛の命日(5月6日)である一周忌に合わせて多聞寺を建立開創した。

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