【歴史街道】伝説の出城を物語る唯一の手がかり?私市道をさんぽ。#2

交野市立第一中学校をさんぽ。
山根街道から磐船街道につながる私市道を歩きます。
前回の続きで「落合橋」から南へ向かって進みます。

第二京阪道路をくぐります。
高架下はたくさん土地が余っています。

いつも思いますが、公園や駐車場などに活用いただきたいと思います。

ちなみに、高架をくぐってすぐあたりに「大門」という田園がありました。

戦国時代末期に私部の豪族が大和郡山の城主と争った際、防衛線としてここに出城を築いたと言われています。

左に気になるものがあります。
人工的に削られた岩。
比較的年季のあるものと見られます。

出城と関係があるのでしょうか。

道の左に広がる田園は「官田」と呼ばれています。

そもそも「官田」とは、奈良・平安時代ごろ、国が管理していた田園のことで、天皇のための米が造られたそうです。

道の右にもかつて田園が広がり、「タデ」と呼ばれていました。

あくまで一説ですが、語源は「館」または「盾」ではないかと推測されています。

これは前述した出城に関連していて、出城が建物なので「館」という説や、出城が防衛機能を果たしていたことを「盾」と表現したという説があります。

改めて官田を眺めてみます。
一中が見られるのも今のうちです。

交野三山もすべて確認できます。
いつまでも残ってほしい景色です。

このあたりからは道も整備され、新しい建物も並びます。

まだ右手に畑などが残りますが、開発がどんどん進んでいます。

特に左のエリアは、コロナ禍直前から大規模に開拓されました。

ちなみに、私市道の起点からここまで、町名はすべて私部です。

この先も私部→天野が原と続いて、私市にかかるエリアはごくわずか。

それなのに「私市道」と呼ばれるのは、少し不思議な気がします。

次回の動画でちょっとしたヒントが見つかりますので、またお楽しみにしてください。

右に独特の屋根が見えます。

帰命山 稱恩寺
真宗大谷派の寺院です。

あまり詳細はわかりませんが、古地図を探る限りでは昭和50年代ごろに造られたようで、交野では新しめの寺院です。

今回はここまでにします。

少しでもありのままの交野を感じていただくために、あえて編集は施していません。
本当に散歩をしている気持ちで見ていただけると幸いです。

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#交野 #旧街道 #歴史街道 #交野市

2 Comments

  1. 昭和30年代の小学生時代の交野町のときに私市に向かって歩いた道沿いですね🎵途中な交野中学校が見えていますが源氏の滝近くに有った中学校が昭和37年に新中学校として設立されいます。その翌年度に1年生とし入学しています🎵その時は学校の周りは田畑だけでした。jr.河内磐船駅が道沿いから見えいてPM4時頃には🚂機関車が煙を出しながら津田駅に向かっていました🎵その道沿いの右端は京阪電車の交野線が見えいますその線路の土手沿いに土筆取りをした思い出も懐かしく思い出します🎵

  2. この道は交中なマラソン大会の時に走った道です。当時回りは田んぼばかりで、すっかり様子が違いますが、交野山や交中の風景からわかりました。@孝中嶋さんのコメントのSLは、3時45分に走るので時計がわりにしていましたよ。今は昔ですね。

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