創業の古い旅館  上野屋 湯河原温泉 神奈川県

創業の古い旅館
湯河原温泉は箱根・熱海と並び東京の奥座敷と云われているが、発展が一番遅かったところである。
慶安4年(1651)に小田原藩主稲葉正則が来湯したり、寛文12年(1672)の宮上村明細書には湯坪が三つあったが、前年の大水で埋まり、今は一つになっているとある。
治効は「熱海・箱根と伯仲すべし」と「新編相模」に記載されているが、地の利が悪く山川の景勝少ないため長逗留の者も少なく、温湯を樽に詰めて江戸や近隣に売りだしていた。近代に入っても湯宿は農間余業として小規模に営業していたが、明治20年頃から、自噴泉から発掘泉に変わり、軍隊の東京予備病院の転地療養所になるなどで徐々に湯宿が増加していった。
明治43年の湯宿は18とあり、大正15年には温泉旅館40余りとある。そして昭和28年には温泉旅館80余り、昭和56年には温泉旅館194、寮・保養所102、民宿51まで発展した。
隣の熱海温泉には巨大な温泉ホテルが林立しているが、湯河原温泉は古くからの様式の日本旅館が主体で、昔ながらの温泉街の風情が残っている中に「上野屋」があった。
さて、今回泊った「源泉上野屋」ですが、創業300余年、江戸時代から続く老舗旅館と宣伝されている。300余年前と云うと元禄時代頃と云うことになります。自噴する湯坪近くで農業を営みながら兼業で湯宿をしていたのだろうと想像できる。
今の建物は昭和5年築の木造5階建ての本館と、大正12年築の別館、昭和11年頃築の玄関棟の3棟からなり、いずれの建物も国の登録有形文化財としの指定を受けている。
本館の木造5階建ては背の高い建物と思われるが、実際は木造2階建ての建物が山の傾斜を利用して上に上にと連なっている状態。
玄関棟、本館、別館と館内は迷路のようになっている。一泊した程度の宿泊では理解できない構造だった。4階にある展望風呂、5階にある足湯などからは湯河原の町並が樹木の緑の間から見られる景色は最高だった。足湯の隣の展望の良い休憩室でビールでも飲んで寛ぎたかったが、その日に車を運転しなけらばならず、ビールは諦めざるを得なかったのは残念。
忙しくされている女将とは余り話す機会が無かったが、ご主人(社長)とは割とよく話す機会があり、建物に付いていろいろと話して頂き有難うございました。
(2016.04.25宿泊 

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音楽  中北音楽研究所  作曲  佐藤振一郎

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