懐かしい町並  富士見町落合蔦木宿  長野県

懐かしい町並  富士見町旧蔦木宿
 甲州街道に沿った集落で、今も宿駅の面影を残し、各戸に宿場町時代の屋号が揚がっていた。
慶長9年(1604)頃完成した江戸・甲府間の甲州道中を4年~5年後に中山道の下諏訪宿まで延長したために生まれた宿場の一つ。居平・夏焼等の地に散在していた人家を集めて甲州街道の上蔦木宿が形成された。慶安元年(1648)の家数73、寛政3年(1791)の人数426人、文化12年(1815)の家数109・人数475。上蔦木宿は蔦木宿とも言われ、天保5年(1834)の調べでは、宿の長さは4町半、宿内家数73であった。本陣は一軒で問屋と兼務であった。問屋2・旅籠屋9・木賃宿3・諸種の商家6・茶屋1であって、宿の両出入口には枡形が造られていた。
明治初年宿駅制度が廃止後も地区の中心として繁栄したが、明治38年国鉄中央線が開通し町は衰退した。
今でも、宿場町当時の面影が色濃く残っている。本陣大阪屋と大きな看板が揚がった門があったり、空き地にも往時の旅籠の屋号が書かれた看板が揚がっているし、町並の各戸にも当時の屋号が掲げられていた。
町並で特徴あるのは、平入り切り妻造りの家の軒の高さが統一されたように一直線に並んでいることである。屋根の材質は瓦だったり、トタンだったりするが、高さが揃っているのは見事である。そんな屋根も、かっては板張り石置きの屋根だったのだろう。
訪ねた時に偶然一軒の家で葬儀が行われ、出棺を見たが、この地域の風習であろうが質素な葬式であった。

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音楽:中北音楽研究所

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