志布志城跡 鹿児島県志布志市

1026年、平季基によって開かれた島津荘(都城市)の港町として発達してきた志布志ですが、1189年平安末期のころは、救仁院氏が治めていたそうです。港の所有を巡って争いが起こり領主も交代を繰り返したようです。志布志城の築城年代などは不明らしく、記録としては1336年に、肝付氏が重久篤兼によって攻められたとあるそうです。志布志城は、内城・松尾城・新城・高城の4つで構成されています。南北朝の頃は松尾城と内城だけだったみたいです。肝付氏が重久氏に攻められたのも松尾城だったらしい。下の↓地図を見ると本丸と二ノ丸があるのは高城のようでうすが、見学できる内城を歩いてきました。高城と新城は私有地で立入禁止です。内城は島津氏代6代当主 島津氏久の居城だったそうで1365年頃に入城したみたい。

1536年 豊州家島津氏は志布志城に籠る新納氏を攻めました。分家同士の争いです。その戦いの様子を案内板にあったバーコードを読み取るとCG画像が見れます。ゲーム画面のような感じでしたよ。この戦いは島津氏本家の継承を巡る内紛から起こったそうです。

志布志市にある岳野山と山宮神社にも立ち寄りました。

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