干潟八万石を歩く NO.26  “東庄町 ・蔵福寺~普賢院~東庄ふれあいセンターの花畑” 【千葉探訪】
今回は、旧東城小学校付近~蔵福寺~普賢院~小野神社(脇の通り)~東庄ふれあいセンターの花畑までをご案内します。
・俳人青野太笻 (あおの-たきょう)生家跡
青野太笻(1764-1828)は、江戸時代後期の俳人。
明和元年生まれ。今泉恒丸(つねまる)にまなび,小林一茶(いっさ),夏目成美(せいび)らとまじわる。晩年は越後(えちご)(新潟県)長岡と江戸で半年ずつくらし,文政11年8月18日長岡で死去。65歳。下総(しもうさ)香取郡(千葉県)出身。旧東城小学校の北側に生家跡地があります。
通称は慶次郎。別号に猫頭庵,椿丘など。号は「たいこう」「たきょう」「たきゅう」ともよむ。編著に「犬古今」「俳諧発句題叢(はいかいほっくだいそう)」など。
・蔵福寺
ご本尊:大日如来   山号:円覚山   院号:地蔵院
宗旨・宗派:真言宗智山派    創建時代:弘安九年1286
開山・開基:東盛胤開基
ご由緒
創建は大檀那東盛胤(千葉氏、東三代胤行の弟胤方の次男で小南沼闕城に居城)が関わり、弘安九年(1286)鎌倉の円覚寺無学仏光禅師の弟子歓了禅師の開山といわれている。享禄元年(1528)長了法印により真言宗に改宗された。山門(仁王門)は極彩色で正面に本堂が建っている。根本淳祐住職は第41世。
境内に鬼剣舞(おにけんばい)という石像2体が設置されているが、説明板等がなかったので詳細は不明です。寄贈されたものか?
県道をはさみ反対側に地蔵像が設置されている。地蔵院の院名はこの地蔵から名づけられたのかもしれません。
・普賢院
正式名は、真言宗智山派 普賢院
・東庄ふれあいセンターの花畑
