信州松川渓谷 舞の道遊歩道 ”V字渓谷を茶庭に見立てた道・露地門~外待合~中門~松楓庵(茶室)”
高井橋の脇にある露地門から薬師堂まで、松川沿いを歩く1.3キロの遊歩道です。
高井橋は信州高山あじさいロードにかかる赤い橋です。
高井橋は四季を通じて松川渓谷に映える赤い橋。松川渓谷の玄関口に位置しシンボル的存在です。
游歩道では、夏は新緑、秋は紅葉と松川渓谷の四季折々の姿を満喫できます。
所在地:長野県上高井郡高山村大字奥山田
途中でカモシカや熊遭遇することもあるということですが、所々にある「熊追いの鐘」を鳴らしながら歩くと逃げているようです。熊には会いたくないので鈴も鳴らしながら歩きました。
真赤な高井橋のたもとが遊歩道の入口で休憩所もあります。全ルートが松川渓谷の深いV字谷を実感できる遊歩道です。今回は、薬師堂側から下りました。
どうして舞の道と言うのか、途中の案内看板に書かれていたものから分かりました。
「華舞い 清水舞い 紅葉舞う」「鳥舞い 蝶舞い 動物舞う」「風舞い 音舞い 薫り舞う」
また、この遊歩道は渓谷を茶庭(露地)に見立てて造られています。
まず数寄屋造りの露地門が入口で、亭主の迎付を待つ外待合を経て、中潜りと呼ばれる中門、そして茶室に見立てた茅葺屋根の松楓庵に到着です。
松川渓谷には落葉広葉樹林が多く、ヤマモミジやハウチワカエデ、イタヤカエデ、ブナ、コナラ、ミズナラ、クヌギなどが、黄色やオレンジ色、赤色、褐色に染まり、紅葉のこの時期は多くの人々が訪れています。
舞の道休憩所の前に与謝野晶子の句碑があります。
「鳳凰が山をおほへるおくしなの 山田の渓の秋に逢ふかな」と詠んでいます。
・高井橋の歴史
深い渓谷を刻む松川とその支流の架橋は大変な困難であった。
明治10(1877)年代に記された長野県町村誌には高井橋の名は見当たらず、山田温泉への湯治客は、藤沢橋を渡り、関場の坂を登り、奥山田経由で温泉に入った。
しかし、牧村の若者は、温泉に行くとき、現在の高井橋近く、50mの崖を上り下りする近道を使っていたという。
明治32(1899)年の木橋、大正14(1925)年のワイヤーロープ橋を経て、
昭和32(1957)年、現在のプレスアーチ形の永久橋が完成する。
(参考文献:「信州高山温泉郷 山田温泉誌」山田温泉観光協会、2007年より)