80年前の採掘跡を見学してきました!!【秦野市峠の鉱山跡】

峠集落の駅からバスで5駅
集落からも歩いてすぐです!!

以下、鉱山前の案内板より

峠の鉱山跡
峠の鉱山は、太平洋戦争前後の昭和十年(一九三五年)から
十数年間石膏の採掘を中心に操業し、
最盛期には約十人の従業員がおり、農作業のない時期には地元の人たちも働きに出て、
年20トンもの石膏を産出していました。
産出した石膏は、人形用セメントの材料、歯科医の歯型などに使われていました。

産出した石膏は、人形用セメントの材料、歯科医の歯型などに使われていました。また、産出する石膏の周りには粘土層があり、西秦野小学校の図工の時間に
この粘土を使ったこともあったようです。

坑道の入口は主に市見川の右岸にあり、坑口の周りには、事務所や採掘の際に
岩盤や石膏脈を崩壊するために使用したダイナマイトの貯蔵庫もありました。
坑道は、斜坑、水平坑・竪坑があり、深さ約七十mもあった竪坑では
搬出にウィンチを利用していました。

採掘した石膏は、坑内からトロッコと牛車で真静院の前にあった貯蔵場まで運び、
そこからトラックで御殿場線の松田駅まで運搬しました。

時期ははっきりしていませんが、産出される石膏が少なくなり
採算がとれなくなったことや、台風で市見川の水が坑道に溢れ出て、
復旧が困難になったことなどが原因で
昭和二十年代半ばには閉山したといわれています。

秦野市教育委員会峠の鉱山跡

025/02/08訪問

#廃墟 #鉱山 #秦野市

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