干潟八万石を歩く NO.25 “東庄町 : 小座・満願寺~粟野・星宮神社&稲荷神社~小南・小野神社” 【千葉探訪】
今回は、東庄町小座の風王大神前(満願寺上)から出発します。
最初は、満願寺に向います。満願寺についてネットで調べた結果を参考に紹介します。
ネット調査結果① 満願寺建立(寺伝):天長6年(西暦829)
ネット調査結果② 満願寺 観音堂:1727(享保12年) 香取郡東庄町小座333
寺の説明板等がないので詳細は不明でした。
小さなお堂もありましたが不明です。詳しい方がおりましたらコメントでご教授願います。
寺(観音堂?)の前の参道を進むとその先は農道でした。
満願寺から県道265号に出るまで少し道に迷ってしまいました。
県道265号を少し歩いてから西側の田園方面に行けそうな藪道があったのでその道を下りました。
次の目標である星宮神社まで進み、神社で休憩をとりました。
休憩後に、稲荷神社(石造りの小さな祠)にお参りしてから小野神社へ向かいました。
・星宮神社 所在地:東庄町粟野1008
・稲荷神社 所在地:東庄町粟野972
・小野神社 所在地:東庄町小南1045
言い伝えによると、天安5(857)年、愛知県の津島神社から分霊を迎え入れ、小南の祠に祀ったのが始まり。健久8(1197)年、現在地に社殿を造営。明治期に入り、津島神社になったものの、大正5年、この土地の古名が小野郷であることから小野神社に改称し、今に至ります。(旧村社)
小野神社の境内奥には樹齢1000年の銀杏があります。
「天安元年(857)文徳天皇の御代、この地を小野郷と称していた頃、里人、相はかり、悪疫退散の守護神として、尾張国、海東郡、津島牛頭天王宮より御分霊を請い、小南字林作の地に祠を建てたと伝えられている。後、建久8年(1197)当時の領主・東六郎胤頼公の祈願に依り、現在地へ社殿を造営し、御遷座をされ、牛頭天王宮と称したと伝えられている。明治の神仏分離に因り、牛頭天王宮を津島神社と改称し、建速素戔鳴尊命を御祭神とする。明治44年、他の社を整理し、大己貴命ほか5柱の神を併せ祀る。大正9年5月、村社に列格される。なお、大正15年12月、この地の古名を採り、小野神社と改称する。」
境内には、境内社の淡島神社、神輿庫、槙の古木等があります。
例大祭は、毎年7月第4土曜日です。
気性が激しい建速素戔鳴尊が祭神であるためか昔から「小南の天王様は荒神様」と言われていて
小南のお祭りは喧嘩祇園として有名ということです。
機会があったらこの祭りを撮影に行きたいと思います。