松山城二ノ丸跡 鹿児島県志布志市

松山城は、1188年 平清盛の弟の孫である隠岐守重頼が築いたという記録が残っているそうです。二ノ丸跡が残っているというので訪ねました。
松山城は4つに分かれていたそうだから、そこそこの規模だったような気がします。戦国時代は島津氏や肝付氏などが勢力争いを繰り広げていたようで、その舞台はここ松山城だったそうです。

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