【丸亀城】2度再建され、明治時代に入っても現役で利用され続けた要塞

讃岐丸亀の地に、管領細川氏の有力家臣奈良家により15世紀後半に城か砦が築かれたとされます。その後、豊臣政権時代には生駒氏により、江戸時代初期には山崎氏により、2度に渡り復活を果たしました。
明治時代になっても、陸軍の城砦として兵士が駐留する15城の一つとして、機能し続けました。
現在も、日本国内に残る12の天守のうちの一つとして、高石垣とともに、威容を示しています。

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【タイムコード】
◆大手門         : 1:30
◆天守          : 7:12
◆三の丸         : 12:14
◆ユリカモメ       : 17:14

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【丸亀城】
◆丸亀城は、讃岐国中央部の瀬戸内海を望む高台にあります。室町時代以来、江戸時代の17世紀頃までは、周辺の大大名や中央権力の意向により、領主は変遷し、その度に城の役割も変わってきました。
◆京極氏が丸亀藩主となると、明治維新まで支配体制は続きましたが、明治時代には、陸軍省管理下に置かれ、兵士も配備されるようになり、江戸時代とは違う役割を担う要塞として存続しました。
国内の平定が進むと、陸軍は外国の脅威からの防備に力を入れるようになり、徐々に丸亀城の重要性は薄れていったものと考えられています。
◆大正時代に入ると、内堀以内は、亀山公園として整備されましたが、天守は壊されずに、その姿を今に伝えています。
◆本丸、二の丸、詰城(指月山)には、石垣の遺構が残り、東園と名付けられた池泉回遊式の大名庭園の一部も見る事ができます。
詰城には、花崗岩の石切り場も残されています。
◆JR丸亀駅からは、徒歩約10分です。

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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん 城跡を歩く

歴史を紐解くことによって、往時の武士の息遣いや緊迫した雰囲気が感じられる場所を徹底リサーチして厳選の上紹介しています。

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【撮影機材】
◆GoPro HERO10 Black

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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365

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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。

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