鎌倉幕府の表舞台で、凛乎とした武士道の息づく社:神奈川県・鶴岡八幡宮(Tsurugaoka Hachimangū | Kamakura’s most important Shinto shrine)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、一之鳥居
0:36 二之鳥居、段葛
1:29 三之鳥居、太鼓橋
1:46 参道、手水舎
2:20 舞殿周辺
3:27 本宮(上宮)
4:17 丸山稲荷社
4:53 若宮(下宮)
5:24 柳原神池周辺
6:42 旗上弁財天
7:30 祖霊社、今宮
8:05 由比若宮
8:29 神苑ぼたん庭園

どうも、管理人のヒロリンです。

神奈川県鎌倉市に鎮座し、鎌倉で最も重要な観光スポットとしても有名な鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を紹介します。

北・東・西の三方を山に囲まれ、残る南は相模湾。三浦半島の付け根に位置する鎌倉は、難攻不落の天然の要害です。

源頼朝公がこの地を拠点と決めたのは1180年のこと。その後、つくられた鎌倉幕府の象徴ともなった鶴岡八幡宮の端諸は平安時代中期にあります。頼朝公の5代前の先祖にあたる源頼義が、奥州の反乱・前九年の役を鎮める際、京都の石清水八幡宮で戦勝を祈願。辛くも勝利を収めたため、1063年に石清水八幡宮の分霊を鎌倉の由比郷に祀ったのが始まり。

この密やかな社が由比若宮(8:05)と言われ、鶴岡八幡宮の元宮です。その後、1180年に源頼朝公が社殿を現在地に遷宮。鶴岡八幡宮の基礎を築きつつ、付近を東国政権の心臓部として整備します。

鎌倉の町の構造は平安京を手本とし、鶴岡八幡宮を内裏(だいり)と想定。由比ヶ浜から一直線に続く表参道の若宮大路は、京の朱雀大路になぞらえて造成したものです。

道の中央部には正室・北条政子の安産を祈願して石を積んだ、一段高い参道・段葛(だんかずら)(0:36)を設けました。頼朝公は政治儀礼や、祈願のためにこの段葛を通って足しげく同宮に通ったといいます。

1180年から現在地に座す鶴岡八幡宮ですが、当時はいわゆる源平合戦のさなか。取り急ぎの遷宮故に、社殿もいたって簡素なつくりでした。やがて源氏の跳進とともに、同宮は規模を拡大。次第に神仏混淆の八幡宮の代表格とみなされるようになり、明治の神仏分離までは多くの仏像なども有していました。

鶴岡八幡宮が現在の姿になったのは1191年のこと。大臣山の中腹を割って大石段を設置し、その上に豪華な楼門や本宮(上宮)(3:27)を建立し、従来の社地にも若宮(下宮)(4:53)を建立。以降、鶴岡八幡宮は上下両宮の形態を保持しています。

そんな鶴岡八幡宮で祀られている神様は、応神天皇、比売神、神功皇后の三柱。これは全国各地にある八幡神社の総本宮、宇佐神宮(大分県鎮座)と同じです。

主祭神の応神天皇は、実在が有力視されるなかでは最古の天皇。3~4世紀頃に大陸文化を積極的に受け入れた人物で、いつしか九州の豪族・宇佐氏の氏神だった八幡神と結びつきました。

相殿の比売神は海路を守護する宗像三女神とも、応神天皇の妃などともいわれる女神。出自には諸説あり、謎が多い神様です。

そして、神功皇后は応神天皇の実母で、妊娠中に朝鮮半島の新羅を攻めて降伏あっせた逸話で知られています。そのため後年、息子とともに武運の神や安産の神とみなされました。

以上三柱の神は八幡三神と称され、その霊力で国家を守護。神託によって東大寺の大仏造立を支援し、皇位をねらった僧・道鏡の野望を阻止したといいます。そのご神徳ゆえにやがて武神としての神格も高まり、平安時代からは源氏の篤い崇敬を受けるようになりました。

そして源氏は勢力の拡大とともに、各地に八幡宮を勧請し、津々浦々にまで八幡信仰を広めていきます。そのうちの一つが今回紹介する鶴岡八幡宮です。

Tsurugaoka Hachimangū is the most important Shinto shrine in the city of Kamakura, Kanagawa Prefecture, Japan.

This shrine was originally built in 1063 as a branch of Iwashimizu Shrine in Zaimokuza where tiny Moto Hachiman now stands and dedicated to the Emperor Ōjin, (deified with the name Hachiman, tutelary kami of warriors), his mother Empress Jingu and his wife Hime-gami. Minamoto no Yoritomo, the founder of the Kamakura shogunate, moved it to its present location in 1191 and invited Hachiman to reside in the new location to protect his government.

Both the shrine and the city were built with Feng Shui in mind. The present location was carefully chosen as the most propitious after consulting a diviner because it had a mountain to the north (the Hokuzan), a river to the east (the Namerikawa), a great road to the west (the Kotō Kaidō) and was open to the south (on Sagami Bay). Each direction was protected by a god: Genbu guarded the north, Seiryū the east, Byakko the west and Suzaku the south. The willows near the Genpei Ponds (see below) and the catalpas next to the Museum of Modern Art represent respectively Seiryū and Byakko. In spite of all the changes the shrine has gone through over the years, in this respect Yoritomo’s design is still basically intact.

5 Comments

  1. 鎌倉幕府三代目将軍は、ここで殺されてしまったのですよね……(ノД`)
    その事件の印象が強い神社です。

  2. 撮影、編集お疲れ様です。人が全く居ない境内ちょっと鳥肌たちました。歴史の教科書にも載る場所ですからね、鎌倉自体観光地なので人が全くいないだけで見え方が全然違いますね。素晴らしい動画ありがとうございます✨

  3. 数年前に行きましたが、藤原氏しかり平家しかり良い神社を残してくれましたね。銀杏の細い枝が再生していることに、生命力を感じました。本殿の後ろに後醍醐天皇を祀る小さな神社が有ったのを思い出します。

  4. 誰もいない鶴岡八幡宮⛩✨広がりがすごいですね‼
    今月行く予定ですが、きっと人でいっぱいだと思うので
    この静けさや荘厳さを動画で覚えて参拝しますね🙏
    人はいないけどリスさんが…🐿
    人が多い時には出会えない光景ですね👍

  5. まるで、ヒロリンさんと私達視聴者のために、神様がご用意くださった、奇跡的な静かな空間ですね。

    いつも人がいっぱいなのに、こんなに人がいない時があるなんて、、、!

    神社と人(視聴者)をつながることを、神様に託されたチャンネルなのかなと思います。

    最後のお花、やさしく守られている様子に、手入れをしている方の作業を感じてほっこりしました。

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