北海道釧路市(旧阿寒町)に存在した雄別炭鉱と雄別鉄道の遺構を見学してきました。
なお、この場所は心霊スポットとして有名ですがオカルト要素は皆無です。
純粋に雄別炭鉱の今を知りたい人に見てほしい動画です。
雄別炭鉱は1923年(大正12年)に操業開始、1964年には最大出炭量を記録するなど輝かしい功績の残る大炭鉱でした。
しかし、石油エネルギーへの転換により石炭の需要が激減、更に系列の茂尻鉱で爆発事故が発生したことにより操業を停止、1970年2月に閉山しました。
当時、雄別地区は労働者やその家族で賑わい、最盛期には2万人もの人々が暮らしていたと言われています。
北海道は炭鉱と共に発展した土地ですから、エネルギー革命によって衰退した町は数多くあります。
しかし、その中でも雄別は特別で、現在の人口は0人となっています。
そんな雄別の現状をぜひご覧ください。
——————————————– チャプター ——————————————–
00:00 根室本線特急おおぞら
00:23 本日の行程・地図
00:35 布伏内地区炭鉱住宅跡
03:01 雄別鉄道のガーダー橋
03:31 雄別炭鉱記念碑
05:15 雄別炭鉱病院跡
08:41 雄別通洞
10:08 煙突
11:00 雄別購買会
12:14 雄別炭山駅跡
13:20 釧路湿原
————————————————–リンク————————————————–
【malagma-car】サブチャンネルもよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/channel/UCYzD…
47 Comments
おじいちゃんが雄別出身
配信ありがとうございます。今年の10月、自分の生まれ育った布伏内へ行って来ました。コタン駅跡地、阿寒高校跡地、布伏内小学校を見ました。坂の先にあった映画館、通った幼稚園、共同風呂は跡形もありませんでした。布伏内から阿寒の道の駅に向かう途中、丹頂を20羽くらい見ることができました。
叔父2人と親父も勤めてたらしい。
叔父は電機関係で後に松下へ。
親父は中卒なので中に入り
1日で怖くなり辞めたそうな笑
釧路の昭和町に叔母家族が住む以外
千葉と大阪へ分散してますが
初めて観れました。
ありがとうございます。
私は布伏内で生まれ育った23歳なのですが
最初の団地は僕が小さい頃はたくさんの人が住んでいました
今はもう誰も住んでいないのですね……
懐かしさと同時に寂しさが込み上げました
僕が好きだったラーメン屋も閉店してしまって……
懐かしい貴重な映像感激しました
私は55年前雄別横山に今は亡き父親が炭鉱で働いていたので住んでいました
購買会で子供の頃家族で買い物をしました
今もしっかりと残っているのですね
当時としては本当にデパートのようでした
雄別小学校にも通学していました…病院は新しくできた事は見る事無く雄別を跡にして釧路に出て私が14歳の時に閉山する事が分かり父親が道内では仕事が無いので親戚が本州に住んでいたので仕事を探しに出向き神奈川県横浜市に引っ越して来ました
雄別炭山駅から釧路迄
ディゼル機関車で休みの時は家族で出かけたものです
あの頃の雄別の活気は凄かったです
子供心に贅沢な生活をしていた記憶があります。次から次へと当時の事が走馬灯のように蘇り懐かしさで涙が込み上げて来ます
友達ともバラバラになり元気かなー…逢いたいなーなんて勝手に思っています
今は無き故郷雄別ですが確かに暮らしていました
偶然に出会えて大変嬉しい限りです
令和の時代に雄別炭鉱跡地が見られるなんて夢のようです
今は家庭を持ち孫も出来神奈川県相模原市に住んでいます
懐かしい動画を拝見出来て嬉しかったです
ありがとうございます
ようこそ雄別へ・・・・・
人口は・・・・・ゼロ・・・・・
秘境ラーメンで有名だった、ますみも閉店しちゃいましたね、また近代遺産にも認定されてますね、後作家で医師でもあった渡辺淳一氏も勤務されてますね。
当時の映像との比較が出来ればよかったです。視聴者さんのコメントでもちょっと分かりますが、活気溢れていたんだなと思います。病院のスロープは足を怪我された方にとっては非常に画期的なものだったんでしょうね。
なんか、沁みました
美しい映像でまるで未踏の地を散策しているようでした。
あんなに落書きだらけで荒らされていた雄別も今はちゃんと手が入っているんですね。
私が生まれた年に廃山になっているので、還暦のあたりの湧別生まれの方々にとっては記憶に残る生まれ故郷。
このままイタズラ者に荒らされることなく在り続けてほしいものです。
一首……
昔日の想い残せし雄別の
在りし営み偲ぶ街並み
私は釧路市出身 父方が布伏内、母方は布伏内よりの阿寒で よく布伏内にはいきました、小学校もまだ健在でした。地元に行くと、ドライブがてら母と布伏内の郵便局に行きます、珍しい客なので局員さんに話しかけられ長話します。
母が若い時はゆうべつに映画見に行ったり買い物したりそれはそれは栄えていたみたいですよ
4才まで布伏内に住んでいました。
町を離れて51年目の今年、夏に訪れると、当時からあった赤屋根の公営住宅の解体工事が始まっていました。
ふる里が幻になっていくようで寂しいです。
興味深い動画ありがとうございます
勉強になりました 春に行って見たいと思います😄✌️
北海道僻地の過疎は避けられない!冬場は人間がしのげなくなっている、タレも北海道を第2の故郷へというわけにはいかない!冬場圧倒的に金かかる、死ぬかもしれない!
私が2歳の時、雄別炭鉱は閉山になりました。私は全く記憶には無いです。確か10年近く前になりますが、壇蜜さんのナレーションで雄別炭鉱を紹介していました。使われた写真の中に私の生家がありました。父が教えてくれました。父は炭鉱で発破をやっていました。現在の映像有難う御座います
自分の母方が空知総合振興局の美唄市出身です❗️同じく炭鉱で栄えましたが昭和38年閉山です❗️それから当時小学生だった今は亡き母、祖父は静岡県沼津市に渡り、数年後自分が産まれます、炭鉱の代替えはどこも上手くいってないですよね😵夕張市は御覧の有り様ですし😵
貴重な動画有り難うございます。安全生産というスローガン、初めて聞きました。🧐
雄別鉄道が、ありましたね‼️釧路市内に、活躍した蒸気機関車🚂が保存されてます⁉️
心霊スポットです。
10回は行きました。
笑えない程の恐怖体験をしました
「失楽園」で有名な作家・渡辺淳一氏は、かって医師としてこの病院に勤務していました。当時は、モダンで明るい環境の病院施設で、現代の惨憺たる状況の映像に、生前の同氏はショックと寂しさを隠せない様子でしたね。
心霊スポットではないですね。何も感じませんでした。
最初の方にでてくる「布伏内地区炭鉱住宅跡」と呼ばれている建物は、阿寒町行政センター建築課曰く、改良住宅(公営住宅)であり炭鉱住宅跡ではないとのことです。そこでいまも管理されているので草木に埋もれていません。以前、GoogleMAPにここが炭住跡と表記されていましたが、修正させました。なお、道路挟んで向かいにある元の「鶴ケ丘アパート」がこの地に残っている唯一の炭住跡かと思います。
自分は炭鉱とは全く関係のない静岡生まれだし、時代的にも平成生まれなので炭鉱施設と言われてもどんなシステムで何ができたのか殆どわからない。
だが確かにここには人々の営みがあり、ありとあらゆる物が集まったエデンであり、経済を回していたエルドラドとも言える場所だったに違いない。
ここで生まれ育った人にはまだまだ存命の人がいる。彼らは生まれ故郷を失い、それぞれが暮らす場所で何を思うのか…
故郷が無いと言う悲しさをどう紛らすのか…
幸いにも俺の故郷は人口28000、フジフィルムやソニーをはじめたくさんの工場があり、しらす漁も盛んな町なので、当分廃墟にはならないだろう。
でもそれがいつまで続くかは神のみぞ知ること。我々もそれぞれの故郷を大切にしなければならない。
炭鉱跡、限界集落、夜逃げ 理由はいろいろですが廃墟を見ると、昔は笑い声があったろうと思います。
両親が他界し実家はありませんが笑いがあった時を思い出します。
廃墟でさえもヨーロッパの様な気品
渡辺淳一先生が医者として赴任していた経験から、
小説『廃鉱にて』の舞台として描かれています。
2分25秒あたり、ガスメ-タ-が稼働ってどう言う事?。普通はメータ-部の入り口を遮断するか、もしくはプロパンならばボンベの撤去で事足りますが?。それと病院の散策、センサ-が作動したんですか?。もう何も残ってないのでセキュリティ的には何もセンサ-など不要なはず、これも不思議な話ですね。2021/12/09
ドラクエっぽい
病院に隣接した小さな建物、霊安室では?
病院あたりには立入禁止の看板なくてもいまはALSOCの警報機ついてるはずなのですが
興味深く拝見しました。訪問されてからすぐにアップされたんですね。
私も2か月前の9/13に行きました。動画でもアップしましたが時間の都合でボイラー煙突やトロッコ橋脚しか確認ができませんでした。
草木が枯れているとだいぶ印象が変わり、散策には良い時期でしたね。
クマなどの野生動物にも遭遇せずにレポートお疲れ様でした。
あとこのエリアは国有林のため、営林署への届け出が必要なようですよ。つまらないことですが。
https://youtu.be/JQlfDpcpFTA
(上記動画の終盤に9月の様子があります)
心スポとしてしか見てなかったけどこう見ると誰かの思い出だったんやなあって感じたし感動しました
地元釧路なのにこんなとこあったなんて知りませんでした!肝試しで友達が行ったみたいですが、私は友達いないので行きませんでした。
遊び半分で行ったら帰って来れないって
おじいちゃんが言ってました。
動画にしてくれてありがとうございます😌
綺麗な廃墟ですね。荒らされないよう祈願します。
釧路市の駅裏に住んでいましたが、私が生まれた頃はもう雄別炭鉱は閉山しており、雄別鉄道もプラットフォームの間に入り口が残されているだけでした。
小学5年生の時に閉山し、本州に引っ越しました。
帰りたくて、毎日雄別の方向に向かって泣いてました。
思い出は沢山あり、心霊スポットと聞く度に心が痛みます。
そんな私も60代になりました。
その時の住所は一生忘れる事はありません。
1区緑ヶ丘3丁目です😢
また、新しい情報を待ってます‼️
亡き父親が鶴居村泰都の常連だったので雄別の話は聞いていましたけど、全く土地に不案内だし、ヒグマの住みかが近いと聞くと怖くて行けませんでした
6棟だけが残っているのか、それとも最初はもっと建てられていたのか?6棟とは少ないんじゃないかと思いました。
昔、東京の本社に少しの間勤務していました。初めて炭鉱をみました。
布伏内の住宅は炭住跡地ではなく、もと町営住宅かと…
途中ゲートがあって入れない
たとえ建物が朽ちても、そこで暮らしていた人々の思いは色褪せることなく、目の前に甦って見えるような気がしました。
子供たちの笑い声が聞こえ、汗水流して働いて家族と過ごした生活があったんですよね。
ここで暮らした方々にとって、雄別は素晴らしい故郷なんだと感じました。
そして、そんな大切な故郷を心霊スポットなどと思っていた自分が恥ずかしくもなりました。
大事なことを気付かせていただき、ありがとうございました。
僕も3歳の時閉山で石狩に引っ越しました。父、母も他界してます。
ほとんど記憶はありませんが、
懐かしい感じします。
でも人の営みが無くなった建物などには行き場を失った成仏出来てない浮遊霊などどうしても集まりやすいんですよね。。
人間で言う所のホームレスとでもいいましょうか。。
そして霊も寂しがり屋なので同じ者同士沢山で身を寄せ会う。
それを面白おかしく茶化したりする人間がいるから邪魔するなと怒りながら存在感を出して来ます。
霊も姿形は見えなくても人間と同じです。
悲しさと虚しさと美しさが同時にくる
割れ窓理論の実践。
厳寒の北海道だからさすがにホームレスの住処にはならないが、
備品放置の管理されていない状態だと、興味本位で来た侵入者が落書きにとどまらず放火など、やりたい放題の悪事をする。
敷地は剪定され雑草や樹木も少ない。建物内部の備品は撤去されており、廃墟になっていても管理されているとわかれば、侵入者に心理的抑制ががかかります。