日本のために命を捧げた英霊を祀る社:北海道地方護国神社 三社の桜満開の光景(北海道護国神社、札幌護国神社、函館護国神社)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
1:09 北海道護国神社
6:09 札幌護国神社
11:18 函館護国神社

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は北海道地方に鎮座する護国神社 三社(北海道護国神社、札幌護国神社、函館護国神社)の境内の桜が満開の時の様子を紹介します。

護国神社は、戦争で国のために一命を捧げられた郷土出身の戦没者の神霊(みたま)をお祀りしている神社で、わかりやすく例えると「各道府県の地方別の靖国神社」ということもできます。

北は北海道旭川市から、南は沖縄県那覇市まで、全国の各道府県の中核都市に鎮座しています。明治維新以後に創建された比較的歴史の新しい神社ですが、それぞれの地方の歴史、土地柄など個性あふれた特色をもち神霊な中にも魅力があるため、三年ほど前から全国各地の護国神社の桜が満開の時に、境内の撮影を実施しています。

今回は全国の護国神社の中から北海道地方に鎮座する三つの護国神社をご紹介します。

●北海道護国神社 (1:09)

北海道護国神社が鎮座するのは旭川市。御祭神は北海道全域、旧外地の樺太出身またはゆかりの、国家のために一命を捧げられた63,154柱です

北海道護国神社が鎮座する旭川市は、明治以降の屯田兵の入植からその歴史が始まります。明治29年に北の守りを担う陸軍第七師団が屯田兵を母体にして旭川で編制され、その後旭川は北海道の軍都として発展していきました。現在も同市には陸上自衛隊第二師団司令部があり、北の国土の守りの要になっています。

同社は陸軍第七師団長を祭主として明治35年陸軍練兵場において、第1回招魂祭が行われたのが創建です。

明治38年に日露戦争が終結すると、第七師団の戦没者は4500人にも及んだため、多くの道民より社殿建設の要望の声が上がり、明治43年現在地に「第七師団管理招魂社」が建立されました。昭和39年には社殿の大改築を行い現在の姿となりました。

そんな北海道護国神社の境内には二つの見どころがあります。

一つ目は「日露国境標石」。1905年にポーツマス条約を締結した際、北緯50度以南のサハリンが日本に割譲されました。サハリン島は、北はロシアが、南は日本が領有したことで、日本では唯一となる他国との国境線が出来たわけです。その国境線を指し示したのが「日露国境標石」。標石の南面には菊の紋章と「大日本帝国」、「境界」の文字が弧状に刻され、北面にはロシア帝国の双頭鷲紋章(двуглавый орёл ドヴグラヴィ・アリョー)とキリル文字で「РОССiЯ」が彫られています。第二次世界大戦末期にソビエトがサハリン南部に奇襲攻撃をしたことで、サハリン南部は占領され、日本はサハリンでの領有権を失いました。「日露国境標石」は日本がかつてサハリン南部を領有していた歴史を今に伝えるものです。

二つ目は「樺太・北海道池」。この池の形は非常に独特なもので、上から見下ろすと樺太・北海道の形をしているのです。完全に上から見下ろすためにはドローンを飛ばす必要がありますが、同社の近くに自衛隊基地があることから許可が下りません。小高い丘が境内にあるため、そこから北海道の形をした池を見ることが出来ます。

●札幌護国神社 (6:09)

札幌護国神社は、札幌市のほぼ中心にある中島公園の北端に隣接し、有名な歓楽街「すすきの」からは南へ約1kmという近さにあります。

御祭神は北海道の石狩・空知・後志・胆振・日高支庁出身またはゆかりの、国家のために一命を捧げられた神霊25,547柱です。

西南戦争では全国各地から将兵が召集され、札幌近郊からも約500人の屯田兵が小樽港から船で九州の戦場へ赴きました。明治12年、西南戦争で戦死戦病死した37人の屯田兵の神霊の慰霊顕彰のために偕楽園前に「屯田兵招魂の碑」を建立したのが同社の創建です。

その後、乃木希典将軍の直筆による忠魂碑が新たに建立され、両碑を合わせ明治44年に中島公園に移設。昭和8年に現在地に場所を移しました。

●函館護国神社 (11:18)

函館護国神社は、函館市の函館山の麓にあり、赤レンガ倉庫群、明治時代の洋館など函館市の観光名所が集中する地域に鎮座しています。御祭神は北海道南部出身またはゆかりの、国家のために一命を捧げられた神霊13,000柱です。

1854年ペリーの浦賀再来航から約1カ月後、幕府は日米和親条約を締結し下田と函館を開港しました。同志社の校祖、新島襄がアメリカに向け出港したのもこの函館からでした。

戊辰戦争で幕府軍は東北地方での戦いに敗れ北海道に拠点を移し、明治2年に最後の激戦が函館で起こりました。この函館戦争は同年5月に新政府軍の勝利で終結。明治政府は日本国内唯一の政府として諸外国から認められ、新政府の日本統治が事実上始まりました。

同年9月には函館戦争の戦没者の神霊を慰霊顕彰する祭典が大森浜で盛大に行われ、神社の創建となりました。

函館護国神社に見どころは大鳥居から見える函館港の光景です。函館護国神社は大鳥居から一直線に大鳥居が伸びており眺望が抜群。ここから見える函館市内と函館港の光景は絶景です。

3 Comments

  1. 護国神社の桜は何処も綺麗ですね。でも綺麗な中に悲しみが有り 心が痛むのは私だけでしょうか?
    靖国でも同じようにかんじました。みんなが小網神社に参拝して無事帰還できれば良かったのにと思います。

  2. 歴史と、ヒロリンさんの想いを感じました。

    英霊が守り抜こうとしたものを思うと
    その中の1つが自分達であることに
    大いなるものに守られている偉大さを感じます。

    そして、私達が、感謝と勇気を持って守るものを、どのように守っていけばよいのだろうと、、、。

  3. 冒頭の航空隊員の像で泣きそうになりました。私は靖国・護國神社用の御朱印帳を持って護國神社巡りをしているので特にぐっと来てしまいます。無念にも散った英霊に感謝です。

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