「自然に還る」日新製鋼 呉市立美術館 ミラー仕上げのステンレスを使用し、石を形作っている作品です。 広島県呉市幸町4-9  #広島 #呉市 #美術館通り #日新製鋼 #自然に還る #美術館

ステンレスも元は鉄鉱石やクロム鉱石であることから、もともと石であったステンレスの板で石を形作る

「自然に還る」日新製鋼 呉市立美術館 ミラー仕上げのステンレスを使用し、石を形作っている作品です。 広島県呉市幸町4-9  #広島 #呉市 #美術館通り #日新製鋼 #自然に還る #美術館 20241227 @akibingo

日鉄日新製鋼株式会社(にってつにっしんせいこう、英文表記:Nippon Steel Nisshin Co., Ltd.)は、かつて存在した東京都千代田区丸の内に本社を置く高炉メーカーである。2020年4月1日、日本製鉄に合併され解散。

概要
1959年(昭和34年)に日本鐵板と日亜製鋼の二社が合併して日新製鋼株式会社が誕生した。そして1962年(昭和37年)、呉製鉄所に第1号高炉を建設し、以後は圧延および連続鋳造設備を備えた銑鋼一貫のメーカーとして活動していた。高炉メーカーとしての規模は日本国内で第4位。表面処理鋼板やステンレス鋼板、ステンレス精密圧延品といった高付加価値な薄板部門に強みを発揮していた。商品ブランド名は月星印。

合併後も岩井産業や新日本製鐵(現・日本製鉄)とは緊密な関係を保ち、特に後者の新日本製鐵は筆頭株主であった。また、前者との関係から最勝会グループにも属していた。三和グループの社長会である三水会及び三和グループの親睦会であるみどり会のメンバーでありながら、旧長銀や旧興銀とも緊密な関係にあった。

大平洋金属の株式を1,495万株 (7.6%) 保有する大株主であり、その他日本国内に約30社のグループ会社を有していた。

2012年10月1日、日本金属工業と共同株式移転方式で経営統合し、当社は日新製鋼ホールディングスの完全子会社となった。その後、2014年4月1日、日新製鋼ホールディングスが日新製鋼及び日本金属工業を吸収合併、日新製鋼株式会社に社名変更した。

2017年3月13日、新日鐵住金は株式公開買付けにより、当社を子会社化。2019年1月1日、株式交換により、新日鐵住金の完全子会社となった。

2019年4月1日、親会社の新日鐵住金が日本製鉄へ商号変更したことに伴い、日鉄日新製鋼株式会社に商号変更。その後、2020年4月1日、親会社の日本製鉄に合併。

主要事業所
本社 – 東京都千代田区丸の内三丁目4番1号(新国際ビル)
製造拠点
呉製鉄所 – 広島県呉市昭和町
堺製造所 – 大阪府堺市西区石津西町
東予製造所 – 愛媛県西条市北条
大阪製造所 大阪工場 – 大阪府大阪市此花区桜島二丁目
大阪製造所 神埼工場 – 兵庫県尼崎市次屋二丁目 (堺製造所に統合の予定)
研究所
鋼材研究所 – 広島県呉市昭和町
ステンレス・高合金研究所 – 山口県周南市野村南町
表面処理研究所 – 大阪府堺市西区石津西町
塗装・構造部材研究所 – 千葉県市川市高谷新町
加工技術研究所 – 大阪府堺市西区石津西町
沿革
日本鐵板
1911年(明治44年)5月 – 亞鉛鍍株式會社設立。桜島工場(現・大阪製造所)が操業開始。
1916年(大正5年)7月 – 大阪鐵板製造株式會社に社名変更。
1918年(大正7年)8月 – 徳山分工場が操業開始。
1928年(昭和3年)2月15日 – 徳山分工場が独立し、徳山鐵板株式會社として発足。
1949年(昭和24年)5月 – 徳山鐵板が東京証券取引所・大阪証券取引所に株式上場。
1953年(昭和28年)10月 – 徳山鐵板が大阪鐵板製造を合併し、日本鐵板株式會社に社名変更。
1958年(昭和33年)6月 – 南陽工場(現・周南製鋼所)が操業開始。
日亜製鋼
1908年(明治41年)7月 – 田中亞鉛鍍金工場が創業。
1918年(大正7年)3月 – 日本亜鉛鍍株式會社に改組。
1934年(昭和9年)4月 – 尼崎工場(後の尼崎製造所)が操業開始。
1935年(昭和10年)5月 – 日本亞鉛鍍鋼業株式會社に社名変更。
1939年(昭和14年)9月 – 日亞製鋼株式會社に社名変更。
1950年(昭和25年)4月 – 神崎工場が操業開始。
1951年(昭和26年)2月 – 呉工場(現・呉製鉄所)が操業開始。
日新製鋼
1959年(昭和34年)4月1日 – 日本鐵板が日亞製鋼を合併し、日新製鋼株式会社に社名変更、大学 (書物)の「日々新、又日新」から。
1962年(昭和37年)6月 – 呉製鉄所に高炉が完成、操業開始。
1963年(昭和38年)2月 – 市川工場(後の市川製造所)が操業開始。
1966年(昭和41年)10月 – 神戸製鋼所堺工場を譲受け、堺工場(現・堺製造所)が発足。
1970年(昭和45年)10月 – 初の海外事業として、スペインのステンレス鋼板メーカー、アセリノックス社の設立に参画。
1990年(平成2年) – アメリカに North American Stainless を設立。
1996年(平成8年)10月 – 中国の江蘇省太倉市に合弁会社を設立。
1999年(平成11年)10月 – 東予製造所が操業開始。
2002年(平成14年)- 南アフリカの Columbus社を買収。
2012年(平成24年)- 日本金属工業との共同株式移転により日新製鋼ホールディングスを設立。
2014年(平成26年)- 日新製鋼ホールディングスが日新製鋼と日本金属工業を吸収合併し(新)日新製鋼に社名変更。尼崎製造所を分離し、旧・日本金属工業の子会社である日金工鋼管と統合、日新製鋼ステンレス鋼管とする。
2016年(平成28年)- 市川製造所などを日新総合建材に会社分割し、同社は日新製鋼建材株式会社に商号変更。
2017年(平成29年)- 新日鐵住金が株式公開買付けにより、議決権所有割合ベースで51.03%の株式を取得し親会社となる。
日鉄日新製鋼
2019年(平成31年)
1月 – 新日鐵住金が株式交換により、完全親会社となる。
4月 – 日鉄日新製鋼株式会社に社名変更。
2020年(令和2年)4月 – 日本製鉄に吸収合併。

美術館通り
「美術館通り」は「呉市立美術館」の開館にあわせ、美術館や入船山記念館へのアプローチとして、呉市道幸町3号線を1981年(昭和56年)に整備したものである。 「美術館通り」の名称は、1987年(昭和62年)公募で決定された。 同年7月には建設省(現・国土交通省)の手づくり郷土賞・(ふれあいの並木道三十選)を受賞、同年8月10日の道の日には、建設省・「道の日」実行委員会により「日本の道100選」に選ばれている。

歩道に様々なモニュメントが置かれています。 芸術の町でもある

美術館通り(旧海軍病院坂)  美術館へ至る広い歩道は松並木の中に多くの彫刻が点在し、文化的な雰囲気が漂っています。日本の「道100選」 呉市幸町1番地の1  #広島 #呉市 #美術館 #彫刻 #歴史
20241227 @akibingo

市道
呉市道幸町3号線
美術館通り
総延長 216.5m
西端 呉市幸町1番地の1
東端 呉市青山町10番地の1
接続する
主な道路
(記法) 国道487号
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路

起点側

終点側
美術館通り(びじゅつかんどおり)は、広島県呉市にある約200mの通り。起点側である呉市中心部側(国道487号)から終点側である国立病院機構呉医療センターへの一方通行。

概要
1981年(昭和56年)整備、名称は1987年(昭和62年)公募で決定。法令上の路線名は、呉市道幸町3号線である。 呉市幸町入船山公園内の呉市立美術館の南側を通るゆるやかな坂道で、美術館開館にあたり整備され美術館外観と合わせた歩道敷や屋外美術が点在する並木道である。

太平洋戦争以前は、呉市市街地と海軍工廠、海軍病院などの旧日本海軍の施設を結ぶ道路であったが、呉市は、1980年(昭和55年)から入船山公園周辺の文化ゾーンの付加価値を高めるため、美術館の建設と美術館前の通りの改築整備に取り組み、芸術性のある散策路に生まれ変わった。このとき、歩道にレンガ調のタイルやブロックを敷き詰め、タウンスクエアから美術館、入船山記念館にかけての約200m区間に、15体の彫刻が並べられた。この通りの愛称を募集したところ、1982年(昭和62年)4月に「美術館通り」に決まった。

軍港として栄えた呉市の歴史的建造物と芸術の香り漂う景観の調和が高く評価され、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」に選ばれており、同年建設省(現・国土交通省)手づくり郷土賞(ふれあいの並木道)を受賞している。

呉市中心部からみて東側の休山峰に存在し、周囲は呉鎮守府・呉海軍工廠ゆかりの遺構が存在し海上自衛隊呉基地関連施設がある。

路線データ
路線名 : 呉市道幸町3号線
起点 : 呉市幸町1番地地先
終点 : 呉市青山町10番地地先
延長 : 210m (幸町3号線216.5mの一部 )
幅員 : 18.5m (最大27.5m、最小16m)
歴史
呉は近世までは散村で、1890年(明治23年)呉鎮開府以降に発展した都市である。元々この地は古代から亀山神社が鎮座していたが、呉鎮開府時に接収され司令長官官舎およびその関連施設群(現入船山記念館)が整備された。

この道は中世から近世にかけてここに存在していたかは不明で、近代以降は海軍敷地内にあった道で呉市中心部から呉鎮・呉工廠や呉海軍病院(現国立病院機構呉医療センター)を結ぶ道であった[5]。ただし、戦前の都市計画図などの民間の地図ではこれらの施設は記載されていないため、現存する地図ではこの道の存在を確認することができない。呉軍港空襲での被害状況は不明。

1924年呉市作成の都市計画区域図。右側に広島湾要塞司令部と呉鎮守府の検閲済みと記載されている。

1945年第一復員省作成の戦災概況図
戦前の呉市地図。海沿いの呉鎮および呉工廠の道路は記載されていない。
終戦後、旧海軍施設はイギリス連邦占領軍が接収し、のち大蔵省(現財務省)に移管、つまり国有地であった。1966年(昭和41年)この道を含め公園敷地は呉市に無償貸与され、市はこの地を史跡として指定して古名をとって「入船山公園」と名付け、以降呉市が管理していた。さらに、国から譲与を受けた旧指令長官官舎については国から重要文化財として指定を受け、史料館、文書館を増設しながら郷土史料を収集保存・展示し、この翌年である1967年(昭和42年)に入船山記念館として開館している。そして呉市制施行80周年記念事業の一環として呉市立美術館整備が決定され、その前の通りとして同様に1981年(昭和56年)再整備された。2010年(平成22年)旧軍港市転換法に基づき、この道を含めた公園一体は呉市に無償贈与された。

「自然と美術の調和 美しき道のあるお宝!の巻」(美術館通りと呉市立美術館) – 中国放送
呉市立美術館前を彩る通りであり、歩道は美術館外観と同色のレンガタイルやレンガブロックが敷き詰められている。また屋外芸術が点在し「芸術の散歩道」の景観を呈する。以下、沿道の美術作品を列挙する。

工藤健
トリオソナタ バイオリン
トリオソナタ フルート
トリオソナタ ハープ
菊竹清文 SKY-SCAPE
芥川永作 「帰る人」の像
圓鍔元規  春うらら
黒川晃彦 切り株に座って
関孝行 うでをくむ男
山本正道 思い出
飯田義国 天の小さな柱(鴎よ!)

柳原義達 しゃがむ女
茂木弘行 ゆめ
上田直次 愛に生きる
水船六洲 斧
空充秋 くれの木
籔内佐斗司 走る童子とカエル
高橋秀幸 美の王国の入り口で・・
日新製鋼 自然に還る

沿道の松並木は戦前から植えられたもので、樹齢は400年を超える。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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