【365日 名古屋旅】東海道線貨物支線と名古屋市電の廃線跡を巡る。今回は、池内町から金山辺りまで。古地図を紐解いてみると、昔の景色が何となく蘇り、楽しいものです。2022年11月撮影。No.855

【365日 名古屋旅】東海道線貨物支線と名古屋市電の廃線跡を巡る。今回は、池内町から金山辺りまで。古地図を紐解いてみると、昔の景色が何となく蘇り、楽しいものです。2022年11月撮影。No.855

#名古屋市 #名古屋 #365日名古屋旅 #名古屋のあそこ

皆さん、こんにちは。名古屋のジエモンです。
いつもご視聴いただき、誠にありがとうございます。
それでは、今回もどうぞご覧くださいませ。

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※当YouTubeチャンネルについてのご案内・ご注意です。ご一読くださいませ。

①変わりゆく名古屋の今を、後世の方に残すため、自転車や徒歩などにより記録し、思い出話を語るアーカイブ動画です。
 また、視聴者の方が、過去を振り返り、懐かしみ、まったり、ゆったり思い出に浸る娯楽動画です。
 名古屋ガイドと称していますが、一般的な観光ガイドとは異なります。
 名古屋を深掘りすることで、知られざる名古屋の良いところを見つけていく動画です。

②視聴者の皆様が、懐かしい思い出に浸り、視聴者の皆様が思い出を共有できるようなコメントを頂けることを切に願っております。

③管理人は、昭和レトロ、平成レトロ、つまり古い昭和から平成の建物、廃墟、廃屋、遺構、戦争遺跡、古い街並み等が好きです。
 懐古趣味という観点で、被写体をとらえて、動画に取りあげています。
 また、消えゆく建物や街並みなどを記録、アーカイブ化することが、後世の視聴者の方に対する私の責務、と感じて撮影しております。
 なお、廃墟・廃屋等は、管理人の主観・判断で称しています。

④管理人が誤認や失念、思い込み等により、事実と異なるコメント等をする場合が時々あります。
 娯楽動画という趣旨から、事実の正確性を追求しておりません。また、私において、正確性を保証する義務もありません。
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5 Comments

  1. 昭和49年頃まで高辻の公団ビル(愛豊ビル)に住んでました
    すぐ横の市電の高辻車庫があって、市電廃止後に車庫に忍び込んで電車に乗り込んだりして遊んでたら職員に見つかってド叱られたクソガキ時代が懐かしいです(笑)

  2. 最終日の矢 田から、金山から、昭和町からの3台の最終電車が高辻の車庫に入って市電の歴史に幕を閉じました😭。🚂🚈😂🚊🚝🚅沢上から金山に行く陸橋に市電の架線柱が残ってます。🚂🚈🚊🚝🚅

  3. ジエモンさんが辿ろうとしている支線跡は、東海道本線と中央本線を結ぶ短絡線で、1918年(大正7年)に開業して1930年(昭和5年)に廃止された短絡線です。そして、当時はまだ、現在の名鉄の神宮前~名古屋間が開通していませんでした。
     現在の名古屋鉄道は、1935年(昭和10年)に、名古屋市西区の押切から尾張地方北部や岐阜を結ぶ「名妓鉄道」と、神宮前から知多半島や三河地方を結ぶ愛知電気鉄道が合併して誕生した鉄道会社で、当時はまだ押切~神宮前間を結ぶ路線がありませんでした。
     1937年(昭和12年)国鉄(当時は鉄道省の時代で「省線」などと呼ばれていた)の名古屋駅が現在の場所に移転し、先代の駅舎(三代目)が誕生すると、翌1938年(昭和13年)には現在の近鉄の前身である「関西急行電鉄」が名古屋駅乗り入れを果たすと、その3年後の1941年(昭和16年)8月に名古屋鉄道も念願だった名古屋駅乗り入れを果たし「新名古屋駅」(地下駅で現在の名鉄名古屋駅)を開業しました(地下駅 名鉄より近鉄の方が先に名駅乗り入れを果たしたことになる)。しかし、この時点では神宮前と新名古屋間の路線はまだありませんでした。しかし、戦時下においても、旧名岐鉄道線と旧愛知電気鉄道線をつなぐ連絡線の建設が進められ。1944年(昭和19年)9月、神宮前~新名古屋間が開通しました。
     しかし、開業はしたものの、旧名岐鉄道線(西部線)と旧愛知電気鉄道線(東部線)では電圧が異なっていたため、相互直通運転は不可能で、その為途中の金山橋駅で双方とも折り返し運転が行われていました。そして、ようやく戦後の1948年(昭和23年)に、旧名岐鉄道線(西部線)が1500Vに昇圧されることにより、相互直通運転が可能となり、名実ともに岐阜~名古屋~豊橋を結ぶ名古屋本線となりました。
     なお、金山橋駅は1989年の金山総合駅誕生時に移転し、名称も「金山駅」となりました。旧金山橋駅は、動画の中でかつて市電が登り下りした4:43前後の左手、5:18前後の右手にありました。

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