天北線 廃線跡を巡る(前編)【旧JR北海道: 1989年廃止】国鉄•JR史上初、優等列車ありでの全線廃止
1989年5月1日に惜しまれながら廃止となった天北線…、北海道の長大路線の雄として鉄道ファンに親しまれていました☺️
今回初冬の空気の中、廃線から35年が経過した天北線の廃線跡を巡っていきます😊
本作(前編)では音威子府駅〜周麿駅跡を巡って行きます。
初冬の荒涼とした道北の景色と天北線跡をどうぞお楽しみ下さいませ😉
【お詫び】
27:07付近でエンコードエラーによるコマ落ちが出ており、短時間コマ送りになっております😥
確認不足で大変申し訳ございません🙇♀️💦
対応をどうするか検討中です😓
【追記】
先ほどエンコードし直したのですが同じ位置にコマ落ちが発生しましたので、対応が難しそうです。
大変心苦しいのですが、今回は差し替え無しとさせて頂きます😓
ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません。
今後、同様の事が起きないよう注意致します🙇♀️🙇
32 Comments
待ってました!
故郷稚内の実家隣の南稚内駅まで楽しみしかないです!
廃線跡しかり国道走行の景色も懐かしく見てました👌
僕が稚内に住んでた34年前はコンビニこそありませんが国道沿いはもっとお店や家が建ってて旭川までの道中などは国道沿いの商店で食べ物や飲み物を良く買ってました😂
天北線、廃止前に急行天北に乗ったのだけど、0泊5日の強行軍であまりの眠さで全く景色を見ていない…
当時は青函連絡船や夜行急行がまだ残ってたから、北海道もお金かけずに鉄道旅行ができた
稚内から天北線に乗り音威子府駅に15分遅れで到着 あの時は音威子府駅3番線のかなり稚内寄りに1両のキハ22で到着 当時2番3番線ホームに有った駅そばが列車遅れの宗谷本線接続がギリギリになり未だ食べられないままです。
敏音知駅は、アイヌ語で男の山を意味し、松音知駅は、アイヌ語で女の山を意味するとのことです。互いにそれぞれの入場券を買って、寿駅で交換する。カップルの駅と言えば愛の国から幸福への広尾線が有名ですが、天北線では、そんなこともできたのかなあと思ってしまいました。
「廃線探索動画もこういう制作方法があるのかぁ・・・・」と勉強になりました。
大変素敵な映像だと思います。
お疲れ様です。今年夏の北海道遠征で、上音威子府と小頓別を観てきました。続きのシリーズも楽しみにしています♪
もう冬にさしかかる季節に道北の天北線 探索 お疲れ様です。
かつての音威子府駅は駅の規模だけ見ると下手な都内の駅よりデカい感じして、
名物の音威子府そばも無くなってしまったりで、かつての隆盛からの落ち込みっぷりが
激しいものの天北線の痕跡をしっかり残してるのが素晴らしいですね。
このルートは自分でもなぜ惹かれるのか分かりませんが、なぜか好きでチャリで3回走ってて
敏音知でキャンプもしました。ちなみに流れで歌登にも行ってみましたが、村営軌道の痕跡は
全く見当たりませんでした。なぜか惹きつけられる天北線跡 中編と後編も楽しみにしてます。
さて、2024年の大決算ですね😄
26:20辺りのニンマリ😁
可愛いですよ😄
さてさて、天北線中編へ続く❗️
…って、◯びま◯子ちゃんのナレーション風になってしまいました😓
天北栄仮乗降場とはどういう駅だったのか、いつできたのか何人住んでたのかいつ頃無人になったのか情報が非常に少なく天北線の中でも最も謎の駅で興味をそそる。
自分も行きましたが
敏音知駅跡、道の駅の先にあるんですよね。一瞬、迷いました。
音威子府が分岐点の駅だったんですね〜大きい駅なのに静けさが、、昔は賑わった駅なんでしょうね~来年行く予定地の1つです。😊
宗谷線は結果的に本命視されていた幌延ルートが宗谷本線となり、政治色の強い浜頓別ルートは天北線に😅妄想もいいものですね😊自分も音威子府から北を天北線で目指してます!音威子府駅に残る当時の資料が今に伝えますね!小頓別駅(バスの待合室)は綺麗な木造の建物ですね、ピンネシリはよく聞くキーワードでしたが、敏音知と書くんですね😊このエリアの地名でしたか😅
花さんこんばんわ。天北線前編拝見しました。音威子府駅規模が大きいですね。跨線橋も昭和レトロでまた良いですね。そば屋さんが無くなったのは、残念でしたが。中編、後編楽しみにしています。
待ってました天北線!
刮目して見よです
懐かしい思い出をありがとう
今度は自分で巡ってみたい…
音威子府駅の駅蕎麦は稚内の帰りに天北線に乗って良く立ち寄り食べてました。
懐かしい~な~ 青春のページの一コマに今でも夢の中に出て来る時,有ります😂
✾さん、お疲れ様です、天北線は、宗谷本線から名前が変わった事は、知りませんでした😅人口600人の町の駅に、みどりの窓口があるのは、驚きです😅前半も、見どころ満載ですね😊このコメントに対する長すぎる返信等は、お受け出来ません、オッフ〜🐻
まだ高校生だったころ、小頓別駅で駅泊したことがあります。最終が行った後も待合室を追い出されませんでした(笑)
宗谷本線と天北線 両方共乗りつぶしましたが、スケジュール都合で羽幌線に乗車しなかったことを後悔してます。
こんばんは。音威子府のそばですか・・・東京・新宿区と千葉県茂原市の某店、時々行きます。
元々のと比較するとややアクが少なくなったか?と感じますが、再現としては上出来かと思います。
音威子府村の広報誌を読んだとき、ALTがアメリカのミネソタ州出身とあり、寒いところ同士、合うのだなと思いました。
ありがとうございます。
こんばんは😸
花さんお疲れ さまです~
天北線の廃線跡の動画、ありがとうございます😻
私は1973年の夏に稚内行きの急行天北に乗りました🛤️
ディーゼル機関車の引く客車だったと思います☝️
花さんが訪れた廃線跡がまだ現役だった頃通過したことが夢のように思い出されました😻🎵
ちなみに、帰りは函館行きの急行宗谷のグリーン車を奮発してロングランを楽しみました☝️
懐かしい思い出を蘇らせていただきありがとうございました🙇
良いクリスマスイブを、これからもお元気で♡♡♡事故に遭いませんように!
常盤軒の蕎麦はマジで旨かったですね。
天ぷら蕎麦が人気だったようですが、私は基本的に掛け蕎麦を注文してました。
『本当に旨い蕎麦であれば、掛けで食わなければ味がわからん』
という勝手な解釈によるものですが…。
ロケ🎦お疲れ様でした🙏❤
過去に『某』YouTuberが、探索した路線。ですが、『熊🐻、エゾ鹿🦌、キタキツネ🦊』に遭遇しませんでしたか❓
ありがとうございます!
お疲れ様です。
いよいよ天北線ですね。幸い乗ったことありますがかなり昔の事。懐かしかったです😂
いつもありがとうございます。
お疲れ様です。いろいろありましてお久しぶりでございます。天北線楽しみにしておりました。初冬の北海道寒さが画面からも伝わりました。昔音威子府で停車時間にそばを頂いたのを覚えています。新しい形での復活、地元有志の方々による上音威子府の復活共に嬉しいですね。中編以降も楽しみにしています。今まで見れなかった動画も楽しみに拝見させて頂きたいと思います!
素敵な動画ありがとうございました。!(´▽`)
久々に昔のこと思い出した⁝(ᵒ̴̶̷᷄⌑ ᵒ̴̶̷᷅ )⁝
天北線、自分が小学生のほんと小さい時(多分1.2年生かな)に廃線になったんですよね。一番世界が輝いてた時期だったせいか、思い出が多い路線です。
父方の祖父母の家まで母方の祖母と共にお出かけ。車窓から見える草木の緑と車両の天井にあった扇風機が印象深い。冬は両親の車で🚗³₃だったので。
他の駅には行ったことは無かったけど、猿払村の山の中にあった小石(この辺りは元炭鉱でしたし、小石も炭鉱の街だった様です)という集落の駅には鉄道利用しなくとも遊びに行っていました。駅舎(私利用してた頃は既に無人…)に、明らかに電動では無いカラクリで動く自動ドアがあって、それが動くの面白くてwwwまぁ高齢者しかいない商店も一店舗(それも大分昔に高齢化で辞めてしまいました)で郵便局とバスの待合(今どうなってんだろう…)が融合した、水産物の会社が無かったら完全消滅集落みたいなとこでしたけどね。なので子供が遊ぶとなると大自然を駆け回るかそういう施設で遊ぶしかなかったんですけどね。この頃にはもう野良猫🐱結構居たなぁ。羆🐻️や蝦夷鹿🦌は春の山菜シーズンのライバル(*•̀ㅂ•́)و✧アライグマ🦝は論外ですけどね(罠仕掛けたらよく取れるそうです……(~_~;))。
廃線になったあと暫くは駅舎あったけどそれも撤去して駅の名残は猿払村の元駅の方へ、解体された場所には公民館?が出来ました。父方の祖父母の葬儀はその公民館借りたんですよね……。祖父母宅はその後水産物の会社へ従業員用の住宅として売りました。そこの中国人の従業員さんたちと、商品に出来なかった水産物(多分従業員さん達が食事するのに使う分なのかな)と祖父母の作った野菜物々交換してたらしいです。
※すぐにコメント書けなてごめんなさい💦
😱敏音知?絶対読めない!💦利権で通したならそのままで。しかし1948年当時の天北栄?これ網走監獄で見た当時の開拓時代みたいですね・・
凄い時代感!音威子府は道の駅で蕎麦と?立ち寄るも本日売り切れ、そして今ですか?食いそこなってしまった😞
引き続きよろしくお願いいたします。
音威子府響く。天北線、浜頓別、興部、アイヌ
ヌポポイ
音威子府村、2024.9.12 サイパン生まれの次男と訪れました。1984年夏、86年3月に浜頓別でスノーモービル楽しみました。青春18きっぷ(1982年発売)の受益者。
🌸さんご苦労様です。稚内から網走まで行く時天北線に乗りました音威子府でれいの蕎麦をはじめて食べました
又蒸気機関車の牽く
列車同志がこの駅で交換しますので、何回か行きました。機関区にもお邪魔しています。活気がある街でしたのに
お晩でございます
天北線
天塩國と北見國を繋ぐから天北線
いかにも北海道の鉄道らしい命名の路線でした
難読駅の音威子府、鉄道の要衝で以前は名物のお蕎麦屋さんはホーム上にありました
最初に訪れた時は急行天北(当時はキハ56でした)との接続が良過ぎて断念
次に訪れようやくありつけました
そのあとも天塩川温泉から送迎バスで音威子府駅に着くと必ず食べていたのですが、廃業してしまったのですね😢
そう言えば音威子府駅前にあったトーテムポール、確か砂澤ビッキさんと言う方の作だと覚えていますが、それも見当たらない様ですね
時の流れでしょうか
難読駅と言えば敏音知(ピンネシリ)も音威子府に負けず劣らずかと
長大路線の天北線、中編・後編も楽しみです
北見線が天北線に改称して3年後に美幸線が開通しました。天北線はカーブが多く、軌道も余ったレールの寄せ集めだったため高速輸送には不適で、それを改良すべく美幸線が計画されたのではないかと考察します。
しかし美幸線開業年は国鉄赤字転落開始という因縁の年で、その後は白糠線上茶路〜釧路二股改め北進間が辛うじて開業出来たものの、道東北の鉄道は国家予算的に超最冷遇され、超極端な最悪のケースならば令和一桁のうちに永山、当麻以遠全てがなくなってしまうのではないかと恐れられる事態になってるのは周知の通りです。
もし、仮に美幸線が全通していたならば美深駅は稚内側で美幸線を分岐出来るように移設され、一部の稚内への優等列車は美深から歌登、北見枝幸、浜頓別経由になり、その代替で天北線浜頓別以南の山区間は史実よりもかなり早く赤字83区が騒がれたタイミングで失われていたのかもしれません。多数の未成線についてもし、仮に全て列車が通っていたら全てハッピーだったとは必ずしも言い切れないのが、この天塩地区の鉄道についても当てはまりそうです。