中津祇園 【 下祇園 】 令和6年 (2024) 7月26日 引き出し 闇無濱神社への お宮入り 御船歌 影向楽  一斉踊り ( 二葉舞踊団・華扇舞踊団 ) 大量のもちまき 【 4K 】

大分県中津市  闇無濱神社
大分県指定無形民俗文化財「中津祇園」(下祇園)
令和6年(2024)7月26日(金)引き出し

祭典初日、各町での町内回りを終えた各町の祇園車は、下祇園は闇無濱神社、上祇園は中津神社に向かいます。

下祇園の祇園車は、闇無濱神社境内入口付近に待機し、花火大会が終わると、先着順に次々と威勢よく闇無浜神社へ引き込まれます。

「お宮入り」の順序は、各町の町内回りを終えて、境内入口に到着した順となっています。

お宮入り後は、下正路町舟車による御船歌、豊後町楽車による影向楽、4台の踊車(桜町踊車、龍王町踊車、堀川町踊車、姫路町踊車)による一斉踊りが披露され、その後に一斉もちまきが行われました。

00:00 オープニング
01:43 下祇園六番車 豊後町御神殿奉斎車
02:54 下祇園先車  下正路町舟車
03:38 下祇園五番車 姫路町踊車
04:24 下祇園二番車 桜町踊車
05:29 下祇園四番車 堀川町踊車
06:52 下祇園三番車 龍王町踊車
10:20 御船歌 (下正路町)
14:05 影向楽 (豊後町)
16:33 一斉踊り (桜町・龍王町・堀川町・姫路町)
20:51 もちまき
21:37 所定位置に移動 

※映像協力  @miyuki00000

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豊前国に分布する芸能舞台付きの「だんじり」

・舞台の上で芸能を披露する
・大人数で曳き回す
かつて、この2つの特性を持った「だんじり」が江戸期の大坂三郷で多数見られたといいます。

しかし、このような「だんじり」は、いつしか近畿圏の祭から徐々に姿を消し、曳行と彫物に特化した「だんじり」へと変化していきました。

一方で、御神輿と作り物の車が中心だった中津祇園(大分県中津市)では、1683年、栄華を好む中津藩主が大坂に祇園車を注文して、中津城下の代表であった豊後町に与え、後に各町が舞台付きの踊車を出すようになりました。

それが現在の中津祇園の基礎となった他、豊前地域一帯の曳車の出る各祭にも影響を及ぼしました。

豊前国における祇園車(踊車)は、江戸期の大坂型地車(だんじり)今に伝える、貴重な曳車と表現してもよいかもしれません。

参考:森田玲「日本だんじり文化論」(創元社)

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「遣り取り」(やりどり)とは  

下祇園の御神幸の見せ所である、令和4年(2022)の祇園車「遣り取り」(やりどり)シーンを集めました。

「遣り取り」(やりどり)とは、祇園車が高速のまま交差点に進入し、一気に進路を変えることを言います。

祇園車には自動車のようなハンドルが付いていないので、重さが数トンもある祇園車の進路を効率的に変えるために様々な工夫がなされています。

その一つが舵取りの合図です。

下祇園では、舵取りに操船の言葉を使います。

面舵(右に曲がる)、取舵(左に曲がる)、良候(ヨーソロー、舵取りの必要なし)の言葉を使い、瞬時に舵が取れるようにしています。

中津の祇園車は、江戸期の大坂三郷のだんじりの影響を受けているとされており、だんじりのルーツである川御座船の残響が、九州の曳車に見い出されることは大変興味深い事例とされています。

◎遣り取り集 Vol.1 (船町上の辻)はこちら

◎遣り取り集 Vol.2 (古魚町中の辻)はこちら

◎遣り取り集 Vol.3 (2022)はこちら

◎遣り取り集 Vol.4 (2023堀川町踊車)はこちら

◎遣り取り集 Vol.5 (2024)はこちら

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