映画職人の道具箱 (ティーザー映像)
#大映 #倉吉 #聖拙社
自分自身の家族の歴史を辿ることにしました。
制作背景は、以下のページをご覧ください。
https://t-kigawa.com/?p=289
私の祖父、木川義人は映画会社「大映」に勤めた映画職人でした。その名は日本映画データベースにも掲載されています。祖父は耳が少し不自由だったため、戦争には行けず、その影響もあってか、戦中の映画ではエンドロールに「美術」や「装置」として名前が記載されることもありました。戦後になると、復員した多くのスタッフの影に隠れ、スタッフリストに名前が載る機会は少なくなりましたが、それでも大映の社員として数多くの作品に関わっていました。
私の父、木川貴代司も、祖父の影響を受けて木工の技術を身につけるため学校に通い、大映の現場にアルバイトとして関わっていたようです。しかし、祖父の同僚から「これからは映画の時代ではない」と言われたこともあり、最終的には建築の道を選びました。実は、京都には父と同じような映画業界に勤めた父を持つ建築家が少なくありません。その中の一人が、上里義輝さんです。
上里義輝さんは、建築家集団、聖拙社を率いた、京都の伝説的な建築家です。京都だと、祇園新橋の辰巳神社の前にあるNEXUSや、西本願寺の前にある薫玉堂本店など、数多くの作品があります。
私も幼い頃、父に連れられて上里さんが住む朽木の山奥を訪れ、一緒に魚を捕った記憶があります。昔、ある芸術家に「上里義輝さんを知っていますか?」と尋ねたところ、「なんであいつを知ってるんや?最低なやつやで、あいつは。でもなぁ、あいつ以上の芸術家はいない」と、賞賛とも批判とも取れる答えが返ってきたことがありました。
ちなみに、上里さんの父である、上里義三さんは、大映の美術監督であり、日本映画の黄金期に「技術の大映」と称された同社を代表する時代劇の美術を手がけていました。祖父と義三さんが同僚だった縁で、父と上里義輝さんも友人関係にありました。さらに、祖父は幼い頃の上里義輝さんをさまざまな場所に遊びにつれていく、そういう関係もあったようです。
コロナ禍以前、父や上里さんの弟子の方々からの勧めもあり、上里義輝さんのドキュメンタリーを制作したいと思い、撮影を始めました。しかし、コロナ禍の影響で進行が止まってしまい、現在も再開を目指しています。
今回制作した映像は、祖父や大映の映画職人たち、そして家族のストーリーとして、祖父の故郷である倉吉を題材にしたものです。これは自分自身のルーツを探る一環として作ったサンプル映像であり、ある意味、未完の映画『映画職人の道具箱』のティーザー的な作品です。よろしければぜひご鑑賞ください。