【博物館めぐり】日本・トルコ友好のシンボル トルコ記念館とその周辺 (Turkish Memorial / Türk Müzesi) (和歌山県串本町) 2024年11月28日(木)

【博物館めぐり】日本・トルコ友好のシンボル トルコ記念館とその周辺 (Turkish Memorial / Türk Müzesi) (和歌山県串本町) 2024年11月28日(木)

2024年(令和6年)11月27日(水)~30日(土)まで3泊4日で、紀伊半島を回った後、金沢を経由して東京に帰ってきました。
今回は11月28日(木)に訪れた、紀伊大島の東端・樫野埼にあるトルコ記念館とその周辺の動画です。
トルコ記念館は大学3回生の冬、自転車で紀伊半島を一周する途中で立ち寄って以来44年ぶり。
美しい建物で、いつかもう一度訪れたいと思っていたところです。
(お礼)記念館の建物が前回訪問時より大きくなったように感じ、その旨受付の方に伺ったところ、建物の拡張時期を調べて頂きました。この場をお借りして改めてお礼申し上げます。
(注)編集の都合上、撮影時刻が若干前後するところがあります。

【トルコ記念館のあらまし】
トルコ記念館は、和歌山県串本町の紀伊大島にある町立の博物館。
紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現・トルコ)海軍のエルトゥールル号の模型、遺品、写真などを展示、遭難事故当時の様子を伝えている。
オスマン皇帝の特派使節として来日したエルトゥールル号(2344トン)は帰国途中の1890年(明治23年)9月16日夜、樫野埼灯台近くで座礁、乗員656名のうち死亡・行方不明587名を出したが、地元住民の献身的な救助活動により奇跡的に69名が救われた。
このことが現在に続く、日本とトルコとの友好の礎(いしずえ)となった。
事故の翌年、有志の義金により墓碑と慰霊碑が建設。
1929年(昭和4年)の昭和天皇の樫野崎行幸を聞いたトルコ共和国ケマル・アタチュルク初代大統領が新たな慰霊碑建立を決め、トルコ共和国の資金により1937年(昭和12年)6月に完成した。
慰霊碑は長年、地元の人たちにより手入れされ、節目の年には、トルコ本国からトルコ海軍の艦船が訪れ、駐日トルコ大使などを招いて慰霊祭が催されている。
トルコ記念館は1974年(昭和49年)12月、トルコ国との友好の証、そして国際的な友愛精神を広く伝えることを目的として遭難慰霊碑の近くに建設された。
串本町は1964年(昭和39年)11月にヤカケント町と、1994年(平成6年)7月にメルシン市と姉妹都市となった。

【主なシーン】
0:00 当日の行程
0:29 トルコ記念館
5:21 樫野崎灯台への道
6:34 ケマル・アタチュルク騎馬像
7:22 トルコ軍艦遭難慰霊碑
8:23 エンディング

【関連動画】
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【参考資料】
トルコ記念館(南紀串本観光ガイド、南紀串本観光協会) 

トルコ記念館


トルコ記念館(やまげのおでかけ暴走紀行、2018.8.25) 
https://ameblo.jp/yamage/entry-12398240197.html
トルコ軍艦遭難慰霊碑(串本町) 
https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/oshima/torucogunkan.html

【当日の行程】
11月28日(木)
橋杭岩、紀伊大島、潮岬灯台などを見物 *折り畳み自転車
串本14:20~和歌山16:48 紀勢本線 特急 くろしお26号(4-1A)
 *東横INNJR和歌山駅東口に宿泊

【使用BGM、効果音】
Filmora
曲名:受け継がれた心
ポケットサウンド – @pocketse
 曲名:サティ ジムノペディ 第1番、ドビュッシ- 亜麻色の髪の乙女
効果音ラボ

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