渚の正倉院氣多大神宮展 令和6年12月20日から 羽咋市歴史民俗資料館 入場無料
能登の「誇り」を未来へ
令和6 年能登半島地震は、わたしたちの「能登」に大きな被害を与えました。 あれから、一年が経ちます。
能登の人びとは、失われたふるさとの風景を取り戻すため、復旧・復興にむけて立ち上がっています。
わたしたちが生きる能登は、どのような所なのでしょうか。
どのような歴史があり、どのような風土と暮らしを成してきたのでしょうか。
能登の復興を考えようとする今こそ、知っておく必要があると思います。
古代の能登は、東北・北方地域や大陸の渤海国ともむすぶ日本海交通の要衝で、国家の重要な拠点と認識され国家
祭祀が執り行われていました。 その能登に坐す神社が、羽咋の氣多大社です。
氣多大社は、奈良時代に大伴家持が「氣太神宮」を参拝したのが最初の記録で、古代には「大神宮」を名乗る数少な
い神社のひとつでした。 その古代のようすを知る遺跡が、「渚の正倉院」とよばれる寺家遺跡です。 出土した奈良・平安
時代の祭祀遺物(神まつりに使用された道具)から、氣多大社の古代祭祀を解明する重要遺跡として注目されています。
神社の歴史を伝える『氣多神社文書』の史料は、「平国祭(おいでまつり)」や「鵜祭」などの神事が、500年近く
続いていることを教えてくれます。 氣多の神の成り立ちと歴史を知ることは、能登の入り口「羽咋」の歴史を知ることにも
つながっています。
この展示は、一般社団法人はくい市観光協会の能登復興ツーリズム事業の一環として開催するものです。 この展示が、
古代に日本海側の拠点として躍動した能登の歴史を知り、能登を誇りに思うことにより、能登の「未来とこれから」を
考えるきっかけになってほしいと思います。