出雲口伝から辿る、宇陀の鳥山、勾玉の池のその奥にポツンと佇む神秘の神殿と祀りの庭、霊畤は五感が震える神威感

出雲口伝から辿る、宇陀の鳥山、勾玉の池のその奥にポツンと佇む神秘の神殿と祀りの庭、霊畤は五感が震える神威感

神武東征神話に出てくる謎の地神族の正体が意外なところから解明される、鳥見のれいじから繋がる中国(斉国)の八神信仰、そして西王母、へと繋がる広大な考察ストーリー
#鳥見神社, #祭りの庭, #神武天皇、

2 Comments

  1. 系譜をたどると、
    中国、朝鮮半島にぶち当たりますよね。攻められてますね。
    今の万世一系を否定しかねないですが…

    大山祇御祖命、女系を入れてみればほとんどの氏族の祖。
    物部氏も、記紀での天皇家も無理くりでも関係づくりしてますね。

    今後の展開、期待です。
    今回もありがとうございます。

  2. 宇陀の【鳥見神社】
    ご紹介、ありがとうございます♪

    勾玉池☯️
    外宮のようですね。

    ご祭神
    [右殿] 大山祇御祖命
    [中殿] 皇祖天神
    [左殿] 神倭磐余彦尊

    絶妙ですね。

    神武東征は
    3つの時代を重ねて書いてあります。

    ✷ヤマト政権創設時(紀元前2世紀)
    ✷第一次物部東征(2世紀)
    ✷第二次物部東征(3世紀)

    神武天皇には

    海村雲
    五瀬
    ウマシマジ
    大田田根子
    イニエ(崇神)
    イクメ(垂仁)

    少なくともこの6人が
    含まれています。

    メビウスの輪のように
    ∞クルッと返りながら
    時間が戻り、
    タイムマシーンで
    過去へ戻ったような表記が
    あちこち綴られて
    物語が進められ、
    別の時代の話が重ねられてゆきます。

    ざっくり言うと、
    第二次東征→第一次東征→村雲の時代
    と時間を遡りながら
    東征してゆきます。

    ひとりの歴史上の人物が
    いくつもの名で登場したり、

    反対に神武天皇のように、
    ひとりの物語のキャラクターが
    何人もの人物を含んでいるものも
    あります。

    鳥見神社は
    物部の斎場ではないと思います。

    何故なら
    【鳥見神社】だからです。
    登美家の神社です。

    物部に追い出された
    磯城王朝の神社なのです。

    左殿の【神日本磐余彦】は
    上記の6人が含まれます。
    徐福の子孫たちです。

    右殿の【大山祇御祖命】は
    皇后の実家を指し、
    縄文系の神さまです。

    具体的に言うと、
    ✷タタラ五十鈴姫の母方の実家
    →【三島家】
    大山祇神社を祀る家です。

    ✷イニエ王の妃で
    イクメ王の母にあたる
    【アタツヒメ】は
    正史における【木花咲耶姫】であり
    大山祇神の娘です。

    ✷更に、出雲王に嫁いでゆく姫たちも
    大山祇神の娘なのです。

    要するに、
    【大山祇御祖命】とは
    縄文系の姫たちの親神ということです。

    この構図は
    縄文系の姫たちが
    渡来系の婿を迎え入れ、
    ヤマト政権が誕生し、
    続いてゆく様子をさしています。

    磯城王朝は
    徐福と出雲王の血統を持つ
    【海村雲】と
    三島と出雲王の血統である
    【タタラ五十鈴姫】が
    婚姻をしたことで創設され、
    その後も出雲や縄文系の姫が
    次々と妃に入り、
    縄文の血統が濃くなります。

    そこに
    九州において
    波のように入って来る渡来系の
    影響を濃くする物部勢が
    2度に渡って東征して来ます。

    ここでも
    縄文色の強い磯城王朝と
    渡来色の強い物部勢が
    ウケヒをするという構造になります。

    それが、
    【大山祇御祖命と
    神日本磐余彦のウケヒ】として
    ご祭神に現れているわけです。

    中央の【皇祖天神】は、
    磯城王朝が祀っていた
    三輪山の【太陽の女神】で、
    第二次東征時に
    三輪山を追い出され、
    桜井の鳥見山から
    こちらへ移動して来たものでしょう。

    更に転々と放浪した後、
    伊勢に迎えられ、
    【天照大神】となり、
    物部も含んだ皇室の祖として
    お祀りされてゆきます。

    磯城王朝は倒されたように見えても、
    実際には
    ヤマトを支配し続けたのは
    磯城王朝系の豪族であり、
    そこに物部の血統も
    ウケヒで入って来るカタチに
    なっています。

    三輪山の女神は
    場所を移しても、
    ずっとお祀りされ続けるのです。

    【氣】が発生する上等地というのは
    時代が移り、
    別の部族がやって来ても、
    それ以前からいた神を
    排除することなく、
    新しい神を重ねて、
    新しい秩序でお祀りしてゆきます。

    この鳥見神社を始め、
    黄色のピンで示してくださった場所は
    ほとんど縄文時代から
    集落があり、
    祀りが行われていたところです。

    ヤマトから逃れて来た
    磯城王朝の人たちも
    縄文時代からあった斎場に
    太陽の女神をお祀りしてゆきます。

    おそらく
    この宇陀の地で
    神奈備山となっていたのは、
    【伊那佐山】ではないでしょうか⁈

    地図上では
    【八咫烏神社】から
    【春分・秋分の日】の日の出が、

    【鳥見神社】から
    【夏至】の日の出

    【阿紀神社】から
    【冬至】の日の出

    ぐらいの位置であろうと思います。

    八咫烏神社と
    阿紀神社からは
    伊那佐山が綺麗に拝めることは
    確認済みですか、
    鳥見神社からはどうでしょうか?!

    このあたりには
    倭姫伝説がいっぱいです。

    三輪山から伊勢までの
    変遷の道のりです。

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