杉元相父子墓所 興元寺 山口県周南市
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杉元相・元宣父子の墓は興元寺境内の墓地内に存在しており、墓域の右側に興元寺の歴代住職の墓、左側に杉氏一族の墓と思われる古塔群があるが、父子の墓だけは石造りの玉垣で囲まれて保護されており、墓前には香炉と一対の花立てが備えられている[32]。父子の墓石はいずれも安山岩製の宝篋印塔で、構造や形式もほぼ同様であり、相輪部と主体部をそれぞれ一石から彫成し、伏鉢の下端に枘を作って笠の上端の枘穴を差し込んで接続した比較的単純な構造となっている[27]。相輪の作りは鈍重で、外側に張り出して傾斜する隅飾りや、基礎の格狭間の硬直した形、請花と反花の花弁の簡単な線刻表現等、近世初頭の特色をよく示している[27]。また、塔の全長は元相の塔が約150cm、元宣の塔が約123cmと当時としてはかなり大型である。なお、元相の塔は基礎の格狭間の中に法名の「興仲」の二字が陰刻されているが、元宣の塔は無銘となっている[27]。
昭和51年(1976年)7月1日の防長新聞において、徳山市文化財審議会が久米の慈福寺宝篋印塔と杉元相父子墓所を文化財に答申した旨の記事が掲載され[33]、同年7月26日に徳山市(後に合併し周南市)の記念物(史跡)に指定されている
Wikipediaより
3 Comments
お忙しい中ご視聴ありがとうございました
一番槍
更新ありがとうございます