広島県 2024-11-28 【Vlog】坂の街「広島・尾道」に最高の景色がありました!センチメンタルな秋の旅行🍁 【Vlog】坂の街「広島・尾道」に最高の景色がありました!センチメンタルな秋の旅行🍁 #尾道 #広島 #hiroshima #onomichi 坂の街尾道の魅力を巡る旅⛩️⛩️ 広島県にある美しい港町、尾道を訪れました! 🌟 チャンネル登録&高評価よろしくお願いします! 次回も素敵な旅の思い出をお届けします ✈️ onomichiOnomichi TravelOnomichi Vlogvlogカップル旅行カップル旅行 vlogカップル旅行 おすすめカップル旅行 温泉千光寺尾道尾道 向島尾道 自転車尾道 観光尾道 観光 グルメ尾道 観光 冬尾道カフェ尾道ラーメン尾道ロープウェイ尾道市尾道市 観光尾道旅行尾道観光広島広島 尾道観光広島ツアー広島県広島県ツアー広島県観光広島観光猫の細道 9 Comments @mizusawa-hidenari 11か月 ago 糸崎駅から尾道駅の間は瀬戸内海が眺められて楽しいですよ。ところで、「宿禰島」をご存知ですか。1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」の舞台となった瀬戸内海の無人島です。「裸の島」の主役の夫婦を演じたのは、乙羽信子さんと殿山泰司さんでした。映画の中身はともかく、夫婦が宿禰島の畑を耕作する場面の背後に綺麗な「糸崎町」が映り込むのです。その糸崎町にかつて存在した「ミカン倉庫」の中で、映画「ふたり」の「石田ひかりさんの入浴シーン」が大林宣彦監督によって撮影されていたのです。私は30年以上まったく気づかなかったのですが、なんとそのシーンは、1960年に新藤兼人監督が宿禰島で撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。乙羽信子さんというのは、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」で老齢期の主役を演じた女優さんでした。「おしん」の放映開始日は1983年4月4日(月曜日)でしたが、その日は、なななななんと映画「時をかける少女」のクランクアップの日だったのです。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子が石の階段で「坊主頭の二人の男の子」と出会う場面があることをご存知ですか。和子がニセの深町一夫とともにテレポーテーションとタイムリープをした際、「坊主頭の二人の男の子」は再び映画のスクリーンに現れますが、大林監督は、石の階段で柱時計がグルグル回る様子を撮影しています。なぜだと思いますか。「坊主頭の二人の男の子」は、映画「裸の島」に登場した太郎・次郎兄弟のオマージュだからです。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 入江若葉さんが演じた和子の母が「ねー、寝てたほうがいいんじゃないの?」と和子に告げる場面をご存知ですか。和子がハンカチを吾朗に返しに行く場面です。その場面で変な画角で「物干し竿、靴下2足、エプロン」が映るのですが、どうしてだと思いますか。また、和子から返してもらったハンカチを吾朗が顔の上に載せる場面でも、堀川醤油醸造所の裏庭に「物干し竿と洗濯物」が映り込みます。これは偶然ではありません。1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のワンシーンのオマージュです。それから、尾美としのりさんが演じた堀川吾朗が「俺、ションベン行ってくる」と不自然に3度も言うのも、香川京子さんが「東京物語」で演じた尾道市立筒湯小学校の教師である平山京子が家族に告げる「行って参ります」のオマージュです。大林監督は、笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すために家族との食事の席を外す場面と足しあわせてパロディー化して忠実に再現していたのです。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 乙羽信子さんがNHK朝の連続テレビ小説「おしん」で老齢期のおしんを演じたことをご存知ですか。小林綾子さんの印象が強いので忘れがちですよね。「おしん」の放映開始日は1983年4月4日(月曜日)だったのですが、その日は、なんと映画「時をかける少女」のクランクアップの日でした。これは偶然だったのでしょうか。ちなみに、新藤兼人監督の映画「裸の島」には、乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が尾道の料亭に「鯛」を売りに来る場面があります。その場面のロケ地は、海岸通りの「料亭旅館魚信」の前です。なんと、その同一ロケ地において、大林監督は、映画「転校生」で尾美としのりさんが演じた斉藤一夫のことを撮影しています。トラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地が「料亭旅館魚信」の前なのです。その際、一夫の背後に「浄土寺山」が映り込み、小林聡美さんが演じた一美の背後に「仁井時計店」が映り込みます。国鉄尾道駅を出発した蒸気機関車が東京へ向けて走り去る場面で、原節子さん演じる平山紀子が乗車した列車のはるか先に「浄土寺山」が映っている場面のオマージュです。また、「仁井時計店」は、その看板が「栗吉材木店の看板」のオマージュであるだけでなく、なんと腕時計専門店だったのです。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 1:31住吉神社ですね。「住吉神社の石灯籠」は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンに現れるもので、それ自体が尾道の街の象徴です。映画「時をかける少女」でニセの深町一夫が「西方寺普明閣の石灯篭」に腰かけて、芳山和子にテレポーテーションとタイムリープについて語る場面がありますよね。また、エンドロールの最後で、原田知世さんがカメラに駆け寄って来る場面で再び現れます。そうです、「西方寺普明閣の石灯篭」は「住吉神社の石灯籠」のオマージュなんです。1741年、広島藩尾道町奉行を務めた「平山角左衛門」が構築整備したのが「住吉浜」で、平山角左衛門さんは、現在の尾道の街の発展の基礎をつくった功労者なのです。笠智衆さんが映画「東京物語」で演じた平山周吉の「平山」という名の由来となった人の名であり、平山角左衛門さんは、尾道の名誉市民第一号です。そのお墓は尾道市東久保町の浄土寺にあります。「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」の名ゼリフが撮影された地からわずか20メートルだけ離れたところにそのお墓があります。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 1:33「尾道ラーメン壱番館」は、1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」では、実加と真子がジェラートを食べたアイスクリーム店でした。そして、隣接する「尾道ロイヤルホテル」は、1983年3月から4月にかけて行われたロケの際、当時15歳の原田知世さんが宿泊したホテルです。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 2:24左手に見えているのは「天寧寺三重塔」です。その境内に「寄井家累代之墓」と刻まれた墓石があるのですが、芳山和子がニセの深町一夫とともにテレポーテーションとタイムリープした際、和子が最初に立ち寄ったのが「天寧寺三重塔の境内」でした。公衆上映の映画に私人の墓石が現れるなんて、常識的に考えたらあり得ないことです。しかし、これは映画「東京物語」に現れる「福善寺の境内墓地」のオマージュであったはずです。信じ難いことですが、和子が最初に立ち寄った場所は、大林宣彦監督の生家から直線距離で200メートル、徒歩3分の場所だったのです。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 映画「ふたり」のラストシーンをご存知ですか。実加を演じた石田ひかりさんが制服姿で尾道市東久保町の坂を「千津子の事故現場」へ登ってきます。さて、実加が現れた地点は、1953年8月当時はどんな現場だったでしょうか。また、実加の背後に「松本病院」がはっきりと映り込んでいますが、どうしてだと思いますか。それらの理由を知ったらびっくりしますよ、信じられないことですから。 @mizusawa-hidenari 11か月 ago 映画「時をかける少女」の冒頭で「菜の花」、「桜の花」が映り込むのはなぜだと思いますか。エンドロールに現れる列車の場面で、原田知世さんが演じた芳山和子は、どうしてクラスメートが見守る中で歌を歌っているのですか。その理由は、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のオマージュだったからなのではありませんか。「修学旅行の船上でマスノが歌う浜辺の歌」、「大石先生が偶然再会した松江の悲しい後ろ姿」も、すべて「時をかける少女」で忠実に再現されているのではありませんか。ただし、「松江の悲しい悲しい後ろ姿」については、女優の根岸季衣さんが演じた立花先生の嬉しくてたまらない後ろ姿に逆オマージュされているようですけど。いかがお考えでしょうか。 Write A Commentコメントを投稿するにはログインしてください。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 糸崎駅から尾道駅の間は瀬戸内海が眺められて楽しいですよ。ところで、「宿禰島」をご存知ですか。1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」の舞台となった瀬戸内海の無人島です。「裸の島」の主役の夫婦を演じたのは、乙羽信子さんと殿山泰司さんでした。映画の中身はともかく、夫婦が宿禰島の畑を耕作する場面の背後に綺麗な「糸崎町」が映り込むのです。その糸崎町にかつて存在した「ミカン倉庫」の中で、映画「ふたり」の「石田ひかりさんの入浴シーン」が大林宣彦監督によって撮影されていたのです。私は30年以上まったく気づかなかったのですが、なんとそのシーンは、1960年に新藤兼人監督が宿禰島で撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。乙羽信子さんというのは、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」で老齢期の主役を演じた女優さんでした。「おしん」の放映開始日は1983年4月4日(月曜日)でしたが、その日は、なななななんと映画「時をかける少女」のクランクアップの日だったのです。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子が石の階段で「坊主頭の二人の男の子」と出会う場面があることをご存知ですか。和子がニセの深町一夫とともにテレポーテーションとタイムリープをした際、「坊主頭の二人の男の子」は再び映画のスクリーンに現れますが、大林監督は、石の階段で柱時計がグルグル回る様子を撮影しています。なぜだと思いますか。「坊主頭の二人の男の子」は、映画「裸の島」に登場した太郎・次郎兄弟のオマージュだからです。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 入江若葉さんが演じた和子の母が「ねー、寝てたほうがいいんじゃないの?」と和子に告げる場面をご存知ですか。和子がハンカチを吾朗に返しに行く場面です。その場面で変な画角で「物干し竿、靴下2足、エプロン」が映るのですが、どうしてだと思いますか。また、和子から返してもらったハンカチを吾朗が顔の上に載せる場面でも、堀川醤油醸造所の裏庭に「物干し竿と洗濯物」が映り込みます。これは偶然ではありません。1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のワンシーンのオマージュです。それから、尾美としのりさんが演じた堀川吾朗が「俺、ションベン行ってくる」と不自然に3度も言うのも、香川京子さんが「東京物語」で演じた尾道市立筒湯小学校の教師である平山京子が家族に告げる「行って参ります」のオマージュです。大林監督は、笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すために家族との食事の席を外す場面と足しあわせてパロディー化して忠実に再現していたのです。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 乙羽信子さんがNHK朝の連続テレビ小説「おしん」で老齢期のおしんを演じたことをご存知ですか。小林綾子さんの印象が強いので忘れがちですよね。「おしん」の放映開始日は1983年4月4日(月曜日)だったのですが、その日は、なんと映画「時をかける少女」のクランクアップの日でした。これは偶然だったのでしょうか。ちなみに、新藤兼人監督の映画「裸の島」には、乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が尾道の料亭に「鯛」を売りに来る場面があります。その場面のロケ地は、海岸通りの「料亭旅館魚信」の前です。なんと、その同一ロケ地において、大林監督は、映画「転校生」で尾美としのりさんが演じた斉藤一夫のことを撮影しています。トラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地が「料亭旅館魚信」の前なのです。その際、一夫の背後に「浄土寺山」が映り込み、小林聡美さんが演じた一美の背後に「仁井時計店」が映り込みます。国鉄尾道駅を出発した蒸気機関車が東京へ向けて走り去る場面で、原節子さん演じる平山紀子が乗車した列車のはるか先に「浄土寺山」が映っている場面のオマージュです。また、「仁井時計店」は、その看板が「栗吉材木店の看板」のオマージュであるだけでなく、なんと腕時計専門店だったのです。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 1:31住吉神社ですね。「住吉神社の石灯籠」は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンに現れるもので、それ自体が尾道の街の象徴です。映画「時をかける少女」でニセの深町一夫が「西方寺普明閣の石灯篭」に腰かけて、芳山和子にテレポーテーションとタイムリープについて語る場面がありますよね。また、エンドロールの最後で、原田知世さんがカメラに駆け寄って来る場面で再び現れます。そうです、「西方寺普明閣の石灯篭」は「住吉神社の石灯籠」のオマージュなんです。1741年、広島藩尾道町奉行を務めた「平山角左衛門」が構築整備したのが「住吉浜」で、平山角左衛門さんは、現在の尾道の街の発展の基礎をつくった功労者なのです。笠智衆さんが映画「東京物語」で演じた平山周吉の「平山」という名の由来となった人の名であり、平山角左衛門さんは、尾道の名誉市民第一号です。そのお墓は尾道市東久保町の浄土寺にあります。「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」の名ゼリフが撮影された地からわずか20メートルだけ離れたところにそのお墓があります。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 1:33「尾道ラーメン壱番館」は、1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」では、実加と真子がジェラートを食べたアイスクリーム店でした。そして、隣接する「尾道ロイヤルホテル」は、1983年3月から4月にかけて行われたロケの際、当時15歳の原田知世さんが宿泊したホテルです。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 2:24左手に見えているのは「天寧寺三重塔」です。その境内に「寄井家累代之墓」と刻まれた墓石があるのですが、芳山和子がニセの深町一夫とともにテレポーテーションとタイムリープした際、和子が最初に立ち寄ったのが「天寧寺三重塔の境内」でした。公衆上映の映画に私人の墓石が現れるなんて、常識的に考えたらあり得ないことです。しかし、これは映画「東京物語」に現れる「福善寺の境内墓地」のオマージュであったはずです。信じ難いことですが、和子が最初に立ち寄った場所は、大林宣彦監督の生家から直線距離で200メートル、徒歩3分の場所だったのです。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 映画「ふたり」のラストシーンをご存知ですか。実加を演じた石田ひかりさんが制服姿で尾道市東久保町の坂を「千津子の事故現場」へ登ってきます。さて、実加が現れた地点は、1953年8月当時はどんな現場だったでしょうか。また、実加の背後に「松本病院」がはっきりと映り込んでいますが、どうしてだと思いますか。それらの理由を知ったらびっくりしますよ、信じられないことですから。
@mizusawa-hidenari 11か月 ago 映画「時をかける少女」の冒頭で「菜の花」、「桜の花」が映り込むのはなぜだと思いますか。エンドロールに現れる列車の場面で、原田知世さんが演じた芳山和子は、どうしてクラスメートが見守る中で歌を歌っているのですか。その理由は、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のオマージュだったからなのではありませんか。「修学旅行の船上でマスノが歌う浜辺の歌」、「大石先生が偶然再会した松江の悲しい後ろ姿」も、すべて「時をかける少女」で忠実に再現されているのではありませんか。ただし、「松江の悲しい悲しい後ろ姿」については、女優の根岸季衣さんが演じた立花先生の嬉しくてたまらない後ろ姿に逆オマージュされているようですけど。いかがお考えでしょうか。
9 Comments
糸崎駅から尾道駅の間は瀬戸内海が眺められて楽しいですよ。
ところで、「宿禰島」をご存知ですか。
1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」の舞台となった瀬戸内海の無人島です。
「裸の島」の主役の夫婦を演じたのは、乙羽信子さんと殿山泰司さんでした。
映画の中身はともかく、夫婦が宿禰島の畑を耕作する場面の背後に綺麗な「糸崎町」が映り込むのです。
その糸崎町にかつて存在した「ミカン倉庫」の中で、映画「ふたり」の「石田ひかりさんの入浴シーン」が大林宣彦監督によって撮影されていたのです。
私は30年以上まったく気づかなかったのですが、なんとそのシーンは、1960年に新藤兼人監督が宿禰島で撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。
乙羽信子さんというのは、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」で老齢期の主役を演じた女優さんでした。
「おしん」の放映開始日は1983年4月4日(月曜日)でしたが、その日は、なななななんと映画「時をかける少女」のクランクアップの日だったのです。
映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子が石の階段で「坊主頭の二人の男の子」と出会う場面があることをご存知ですか。
和子がニセの深町一夫とともにテレポーテーションとタイムリープをした際、「坊主頭の二人の男の子」は再び映画のスクリーンに現れますが、大林監督は、石の階段で柱時計がグルグル回る様子を撮影しています。
なぜだと思いますか。
「坊主頭の二人の男の子」は、映画「裸の島」に登場した太郎・次郎兄弟のオマージュだからです。
入江若葉さんが演じた和子の母が「ねー、寝てたほうがいいんじゃないの?」と和子に告げる場面をご存知ですか。
和子がハンカチを吾朗に返しに行く場面です。
その場面で変な画角で「物干し竿、靴下2足、エプロン」が映るのですが、どうしてだと思いますか。
また、和子から返してもらったハンカチを吾朗が顔の上に載せる場面でも、堀川醤油醸造所の裏庭に「物干し竿と洗濯物」が映り込みます。
これは偶然ではありません。
1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
それから、尾美としのりさんが演じた堀川吾朗が「俺、ションベン行ってくる」と不自然に3度も言うのも、香川京子さんが「東京物語」で演じた尾道市立筒湯小学校の教師である平山京子が家族に告げる「行って参ります」のオマージュです。
大林監督は、笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すために家族との食事の席を外す場面と足しあわせてパロディー化して忠実に再現していたのです。
乙羽信子さんがNHK朝の連続テレビ小説「おしん」で老齢期のおしんを演じたことをご存知ですか。
小林綾子さんの印象が強いので忘れがちですよね。
「おしん」の放映開始日は1983年4月4日(月曜日)だったのですが、その日は、なんと映画「時をかける少女」のクランクアップの日でした。
これは偶然だったのでしょうか。
ちなみに、新藤兼人監督の映画「裸の島」には、乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦が尾道の料亭に「鯛」を売りに来る場面があります。
その場面のロケ地は、海岸通りの「料亭旅館魚信」の前です。
なんと、その同一ロケ地において、大林監督は、映画「転校生」で尾美としのりさんが演じた斉藤一夫のことを撮影しています。
トラックの助手席側の窓からカメラを取り出して一美の姿を撮影し始めた場面のロケ地が「料亭旅館魚信」の前なのです。
その際、一夫の背後に「浄土寺山」が映り込み、小林聡美さんが演じた一美の背後に「仁井時計店」が映り込みます。
国鉄尾道駅を出発した蒸気機関車が東京へ向けて走り去る場面で、原節子さん演じる平山紀子が乗車した列車のはるか先に「浄土寺山」が映っている場面のオマージュです。
また、「仁井時計店」は、その看板が「栗吉材木店の看板」のオマージュであるだけでなく、なんと腕時計専門店だったのです。
1:31
住吉神社ですね。
「住吉神社の石灯籠」は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンに現れるもので、それ自体が尾道の街の象徴です。
映画「時をかける少女」でニセの深町一夫が「西方寺普明閣の石灯篭」に腰かけて、芳山和子にテレポーテーションとタイムリープについて語る場面がありますよね。
また、エンドロールの最後で、原田知世さんがカメラに駆け寄って来る場面で再び現れます。
そうです、「西方寺普明閣の石灯篭」は「住吉神社の石灯籠」のオマージュなんです。
1741年、広島藩尾道町奉行を務めた「平山角左衛門」が構築整備したのが「住吉浜」で、平山角左衛門さんは、現在の尾道の街の発展の基礎をつくった功労者なのです。
笠智衆さんが映画「東京物語」で演じた平山周吉の「平山」という名の由来となった人の名であり、平山角左衛門さんは、尾道の名誉市民第一号です。
そのお墓は尾道市東久保町の浄土寺にあります。
「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」の名ゼリフが撮影された地からわずか20メートルだけ離れたところにそのお墓があります。
1:33
「尾道ラーメン壱番館」は、1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」では、実加と真子がジェラートを食べたアイスクリーム店でした。
そして、隣接する「尾道ロイヤルホテル」は、1983年3月から4月にかけて行われたロケの際、当時15歳の原田知世さんが宿泊したホテルです。
2:24
左手に見えているのは「天寧寺三重塔」です。
その境内に「寄井家累代之墓」と刻まれた墓石があるのですが、芳山和子がニセの深町一夫とともにテレポーテーションとタイムリープした際、和子が最初に立ち寄ったのが「天寧寺三重塔の境内」でした。
公衆上映の映画に私人の墓石が現れるなんて、常識的に考えたらあり得ないことです。
しかし、これは映画「東京物語」に現れる「福善寺の境内墓地」のオマージュであったはずです。
信じ難いことですが、和子が最初に立ち寄った場所は、大林宣彦監督の生家から直線距離で200メートル、徒歩3分の場所だったのです。
映画「ふたり」のラストシーンをご存知ですか。
実加を演じた石田ひかりさんが制服姿で尾道市東久保町の坂を「千津子の事故現場」へ登ってきます。
さて、実加が現れた地点は、1953年8月当時はどんな現場だったでしょうか。
また、実加の背後に「松本病院」がはっきりと映り込んでいますが、どうしてだと思いますか。
それらの理由を知ったらびっくりしますよ、信じられないことですから。
映画「時をかける少女」の冒頭で「菜の花」、「桜の花」が映り込むのはなぜだと思いますか。
エンドロールに現れる列車の場面で、原田知世さんが演じた芳山和子は、どうしてクラスメートが見守る中で歌を歌っているのですか。
その理由は、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のオマージュだったからなのではありませんか。
「修学旅行の船上でマスノが歌う浜辺の歌」、「大石先生が偶然再会した松江の悲しい後ろ姿」も、すべて「時をかける少女」で忠実に再現されているのではありませんか。
ただし、「松江の悲しい悲しい後ろ姿」については、女優の根岸季衣さんが演じた立花先生の嬉しくてたまらない後ろ姿に逆オマージュされているようですけど。
いかがお考えでしょうか。