【廃線跡】競合路線がある民鉄に転換しましたが、転換後14年しか持たず。黒石線(川部~黒石)廃線跡、駅跡巡り
2024年10月に1998年に廃線になった青森県の弘南鉄道 黒石線(川部~黒石)の駅跡を巡ってきました。黒石線は元は国鉄の路線でしたが第1次特定地方交通線として1984年に廃止(国鉄黒石駅は廃止)、弘南鉄道に転換されます。国鉄時代は同社の弘南線(弘前~黒石)と競合していましたが、転換後は運賃値上げ、弘前への直通廃止などマイナス要素しか残らず、全く勝負にならず転換から14年後の1998年に廃止。転換路線第1号の廃止になってしまいました。廃線から26年、黒石線の駅跡たちはどうなっているのでしょうか。
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html
26 Comments
確か16年前は前田屋敷の駅の旧線路跡はまだ道路出はなくあぜ道でした😅
冒頭のJR川部駅から、その不似合いなほど小さい駅舎にオッフ…
奥羽本線と五能線の分岐駅ですが、構内が圧縮されてこじんまりとしてしまいましたね。
国鉄による黒石線廃線時、競合路線を持つ弘南鉄道がそれを譲り受けた背景が釈然としませんが、譲受路線の廃止からも40年が経過した今年、ひろりんさんが現地を訪問されたのはきっと何かの引き合わせ(=ご縁)だったのだろうと感じてしまいます。弘南鉄道は大鰐線を休止(事実上の廃線)することになり、3年後には弘前界隈の鉄道が更に寂しくなってしまいます。
黒石駅界隈で黒石線のレールや検車庫が草生しつつ残されているのもシュールでした。(個人的には好きな光景ですが) オッフ…
幹線周りの方が早く行けると思いきや、そうではなかったのですね
昭和50年代に通学で,キハ40や22に乗っていました。今は黒石を離れてかなりの年月がたちました。とても懐かしかったです。ありがとうございました。
つい先日大鰐線の休止(実質廃止)が決まったのでかなりタイムリーな地区ですね
大鰐線も自治体が廃止容認から一転補助を増やすので存続と言い出しましたが、弘南鉄道がもう無理
ということで廃止になる模様ですね このバスドライバー不足の折でも廃止せざるを得ない弘南
鉄道の厳しい現実を見た気がします まだ弘南線は毎時2本ほど便があるみたいですので、大鰐線
よりはマシですが、こちらも危ない気がしますね
こんばんは〜オイラは
こんばんは〜オイラは、大鰐は乗ったこと有り、結構ローカルな鉄道でした、そう言えば、うっすら岩木山が、うつったな懐かしい。
弘南黒石線は、キハ22時代と、もと小坂鉄道車両になってからの2回乗りました。短いながら東北らしい私鉄でしたね。
部品を自社製造や修繕しつつ、お下がり車両を長く大切に使ってる鉄道会社の印象ですが、やはり時代の流れなのか、厳しい経営状況なんでしょうね…。
長閑な田園風景で昭和レトロな電車が走る様子は味わいがあるんですけど…。
黒石線は縁遠く乗った事はありませんが、紆余曲折を経て統合され、その後も14年保ったのはむしろ立派だと思いますね…そして廃線後の街が栄えているのも羨ましい…
ひろりんさんへ
今晩は。久方振りのこの動画を私も全編沈痛な思いで私も拝見しました。始めの川辺駅でJRの普通電車が発着する場面を置かれた動と黒石線の全駅の今昔をあなたと航空双方の写真で比較し見せられるという静のメリハリが利いた構成で安心して視られました。同じ弘南の大鰐線が休止に至ったのも過疎の波が押し寄せた故かとあなたも考えさせられた事でしょう。ひろりんさんも師走ですが、感染症・変わり易い天候・心身共に健康に注意し過ごされますよう祈ります。
2024.12.7
いつもありがとうございます。
弘南鉄道黒石線は一度だけ乗った記憶があります ローカル線の赤字は国鉄のやり方がマズイだけで三セク化してり民鉄線に譲渡すれば上手くやっていける的な空気があったように思います
三陸鉄道が黒字経営できたせいもあって もちろんそんなに単純な話ではなく黒石線も大畑線も短命に終わってしまいましたね
川部駅も随分縮小されてしまいましたが
まだJR四国や東海の駅舎と呼べない姿になった無人駅よりマシですね。
大鰐線もそのうち動画化することになりそうですね・・・。
地図だけ見ると黒石線のほうが線形もいいのが皮肉。
1977年の時刻表を見ると、途中駅1つ、日に14往復、6.6km、11分間の路線だったのですね。
青森県は大畑線も転換後に廃止になってますよね😵
川部駅の所在地は田舎館村だからって、ジャンクション駅が無人化は寂しいですね😢
昔ヤマケイの鉄道カレンダーに前田屋敷駅の写真がありました
田園にぽつんとホームがあるだけでした
ひろりんさん❕これは今乗車するしか🦌ないですね🤖
なんで川部駅分断したんでしょうね。現在でも五能線の分岐駅なのに。意味不明です。
弘南鉄道にしてみれば、地元などからの圧力で旧弘前電気鉄道、旧国鉄黒石線という二枚のババを無理矢理引かされたようなもの。
前者は会社設立の経緯からしてかなり杜撰で赤字体質、後者は当時の国の財政事情の悪さから奥羽本線から最短距離で結べるルートとせざるを得なかった(旅客はそれのせいでサッパリでしたが、貨物はそれが逆に利便性が高めることになり一時は黒字を計上していました)といったように、ひどいのなんので・・・。
地域経済が豊かになり、マイカーが一家で2台も3台も持てる時代になれば、地方のチョン行の運命は決まったようなもの。
かと言って、過去を無かったようなものにするのはちょっと忍びないですね😗
弘南鉄道と言えば大鰐線が2027年度を以て廃止されることになりました。寂しいですね。ひろりんさんはいずれ大鰐線の廃線跡も訪ねることとなります。大鰐線は一応は休止も事実上の廃止でしょうね。
14年位前かと思いますが、仙台から友人と高速バスで弘前まで行き、弘前から五能線に乗り換えて五所川原に行き、津軽鉄道のストーブ列車を見るつもりでしたが途中の板柳駅で雪の影響で足止めになり、タクシーで川部駅に戻り弘前駅迄電車で戻りましたが当時の川部駅は立派な駅舎だった記憶がありました。
川部駅も変わりましたね。
弘前出身です。黒石に学生時代の友人が多くおり、みんな弘南線を利用しておりました。少なくとも私の友人たちは黒石線は存在は知っていても使ったことはなく、気がついたらなくなっていたというレベルだったようで、いま思えばちょっと寂しいですね…
また私の叔母が学生時代、大鰐線で通学しておりました。こちらも休止(というかもう廃線ですかね…)とのことで非常に残念です。去年帰省した時に大鰐線に乗りましたが、走行時の揺れの激しさ(笑)、いまだに頑張る東急の車両は印象的でした。