秩父夜祭 令和6年その3 中町① ”豪壮な秩父屋台囃子と花火の競演”

秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭とともに日本三大曳山祭のひとつとして知られ、300年以上
の歴史を持つ秩父を代表するお祭りです。
毎年、12月2日(宵宮)・3日(大祭)の日程で行なわれます。
令和6年その3では、大祭(12月3日)での中町①の屋台曳き廻しと花火をご覧ください。
21 :00頃~ 聖人通り
21 :05頃~ 聖人通り・番場通り入口交差点
21 :16頃~ 番場通りへ入り団子坂へ向います。
・中町屋台
所在地:秩父市中町8番7号
所有者:中町屋台保存会
中町屋台永代帳の天明5年(1785)の項に「乳隠板、但し唐松=猿猴彫」(現在の後部内破風彫刻)とあり、当時、今日の屋台の規模がほぼ整ったと思われる。屋台の腰軸妻は4.72mあり、他の屋台より大きく重量もある。歌舞伎上演の廻り舞台の機構がすぐれている。天岩戸開の鬼板・懸魚(げぎょ)の彫刻・裏懸魚の波と竜の彫刻は特にすぐれている。この屋台のみ軒が三重垂木である。屋台の前後を飾る鬼板は、4台の屋台の中で最も大きい。その彫刻は、店の岩戸開きやスサノヲノミコトの大蛇退治など日本神話を題材にしている。

「秩父夜祭」(ちちぶよまつり)として知られる秩父神社の例大祭は、長き歴史を持つ神社神事に豪華絢爛な笠鉾・屋台の曳き廻しや、豪壮な秩父屋台囃子、夜空を彩る花火、屋台芝居に曳き踊りなどが加わり、今も昔も、多くの人々を魅了し続けています。
この祭りは江戸時代中期、秩父神社周辺に立った絹織物の市、「絹大市」(きぬのたかまち)の経済的な発展と共に盛大に行われるようになり、付け祭り(神社神事に付随する民間行事。神賑:かみにぎわいともいう。)としての屋台行事の始まりは、寛文年間(1661~73年)とも享保年間(1716~36年)とも伝わっています。幕府による華美な屋台行事の禁止令が出された時代や、度重なる戦禍、社会情勢の変化の波を乗り越えながら、日本を代表する祭りとして現代に伝わっています。冬の夜空を染める花火と、提灯やぼんぼりの灯りが揺れる笠鉾・屋台の極彩色の共演こそが秩父夜祭の醍醐味といえるでしょう。「秩父祭の屋台行事と神楽」は国重要無形民俗文化財に指定され、全国の「山・鉾・屋台行事」33件のうちの1つとしてユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

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