島根県 2024-11-29 ヤマトタケルは実在?出雲に残る多くの伝承は?その謎と不思議から見える驚きの事実 ヤマトタケルは実在?出雲に残る多くの伝承は?その謎と不思議から見える驚きの事実 出雲の母なる山、大黒山眼下の神代神社奥宮の磐座には謎の神「宇夜都弁命」が降臨された、誰?その正体は?更にこの地に残るヤマトタケルとイズモタケル伝承等の正体に迫る・・・しつこい男のちょっと変わった考察の謎解きストーリー #神代神社, #大黒山, #ヤマトタケル、 #かんじ君#ヤチホコ#リアル神社#万九千神社#出雲王国#大屋姫#大穴持#岩坪大明神#御井神社#日本書記#木俣神#櫛御気奴命#立虫神社#那賣佐神社#饒速日#高倉下出雲口伝出雲市古事記島根島根ツアー島根県島根県ツアー島根県観光島根観光神在祭 6 Comments @adaken346 10か月 ago 上までは登ったことがありませんでした。再度行って見たいと思います。ありがとうございました。 @adaken346 10か月 ago 止屋の淵伝承地にも行かれるといいと思います。 @osamuarima1118 10か月 ago いなけりゃ、仲哀天皇の父親は誰だということで盛り上がるだろうな。 @有名人化託話 10か月 ago 宇夜都弁命は、この地・ウヤノ里を治めていた女首長(とべ)で、神代神社に祀られる。ヤマトタケル(実際はハリマタケル)は出雲に来たことはなかったが、出雲王家が父・景行大王と仲が良かった関係から「タケル」に因み「健部」(タケベ)郷と名付けた。また神門臣家の一部は健部や武部を名乗るようになった。神話物語では、有名人化託話方式が採り入れられています。 @mayumi3300 10か月 ago 素晴らしい光景をありがとうございます♪ この地の本質はあの藁蛇の地と神奈備の大黒山ですね。 元々がこの神祀りがあり、いくつもの歴史がその上に敷かれてゆきます。 【大黒】とは仏教が入って来てからの名で、その語源は【大国主】 それも八千矛だけでなく、歴代の大名持を含むでしょう。 西王家の地域にありますから、神門臣・振根など、そちら関係の言葉が出て来ますね。 宇夜都弁命はここで神祀りをしていた巫女でしょう。 西王家の妃か姫のひとりでしょうね。いつの時代かははっきりしません。 おっしゃるように、第二次物部東征で出雲王国が滅ぼされた逸話がここに入れられていると思います。 【ヤマトタケル】とは物部の皇子であり、物部を代表してその所業を一手に引き受ける役割があります。 小碓皇子は実在した人物ですが、その人の業績だけでなく、歴史の辻褄合わせや、物部が行った業績、それを未来へと繋げてゆく役割です。 接着剤ですね。 五十猛→徐福渡来八十建→神武東征熊襲建→景行天皇の九州遠征出雲建→第二次物部東征 そして、倭建 熊襲建との争いも騙し討ちです。 ヤマトタケルのエピソードはよく読むととてもエグいものばかり。 若き日の小碓皇子は兄の大碓皇子を呼んでも来ないからという理由でひねり56してしまいます。 父の景行天皇はその怪力を恐れて全国を制定するのに派遣させるという伏線なのですが、普通に考えると酷い男です。 派遣先でも騙し討ちばかり…それが英雄として伝わってゆくということは、何か特別なものがあるのでしょうね。 【物部】を代表する皇子であるならば、兄を56したことは、兄の海幸彦(磯城王朝)を倒した弟の山幸彦(物部王朝)を暗示しているとも言えます。 【ホムチワケ】の白鳥伝説は背景は第二次物部東征であり、出雲王国の滅亡時です。 大国主に恨まれることはしっかりしているわけですね。 振根将軍がそれを物語ります。 そして、正史編纂時以前の人たちは、磯城王朝からヤマト政権が始まるとともに、磯城王朝は【出雲王国の分家】であるという意識もしっかりあったと思えます。 その両王朝がこの第二次東征で滅びます。 熊襲建との争いは景行天皇の九州遠征で小碓皇子は行っていません。 出雲についても同じですが、倭建はもう一つ、重要な役割を負うキャラクターとして創作されています。 【剣の運搬人】です。🗡️ 熱田にある【天叢雲剣】は元から尾張氏のものであり、後継者争いに敗れた村雲の子孫たちのうち、伊勢湾沿いに流れた一族が管理していたもので、最初から尾張にあったのです。 それをヤマトにいた大王家から熱田にもたらされたように物語を創作し、その運び役となったのが倭建です。 剣は宮簀媛の元に置いて行かなければならなかったのです。 同じように【鏡の運搬人】が【倭姫】です。 三輪山を追い出された太陽の姫巫女が伊勢に辿りつくまで、鏡はあちこち放浪します。 おそらく、複数いた巫女たちを【倭姫】というひとりの皇女に凝縮させたと思います。 倭姫→鏡を運ぶ倭建→剣を運ぶ 2人はセットで描かれます。 剣を倭建に渡すのも倭姫ですが、よく考えてください。 【天叢雲剣】とは磯城王朝が創設されたとき、初代大王叢雲にお祝いとして出雲王家から贈られたものです。 磯城王朝と村雲のシンボルです。 それを倒した物部の皇子にわざわざ渡すことは考えられないです。 剣はずっと村雲の子孫である尾張家がお祀りしていたのです。 倭建が剣を運ぶことによって、磯城王朝と物部王朝を繋ぐ役目をしています。 そして【日本武尊】として、どの部族も一緒になった【日本国】🇯🇵という国家が形成されてゆくのです。 正史編纂とは、国家をひとつにまとめる作業です。 天叢雲剣が草薙剣に変わったのも実は大きな意味が隠されています。 それが出雲建と剣を交換する場面に描かれています。 ひとつは出雲王朝とも言って良い磯城王朝から、物部に皇位が移ったこと。 出雲建の持っていた立派な剣は村雲のことです。 それが草薙剣に変わるのはまた何処かでお話します。 @TK-bm6cu 10か月 ago 趣のあるいい感じの神社ですね。ご紹介有難うございます。私も出雲健と振根の説話は同一モチーフと思っています。ヤマトタケルは西征と東征は別人と思ってますが実在の何かがモデルでは無いでしょうか? Write A Commentコメントを投稿するにはログインしてください。
@有名人化託話 10か月 ago 宇夜都弁命は、この地・ウヤノ里を治めていた女首長(とべ)で、神代神社に祀られる。ヤマトタケル(実際はハリマタケル)は出雲に来たことはなかったが、出雲王家が父・景行大王と仲が良かった関係から「タケル」に因み「健部」(タケベ)郷と名付けた。また神門臣家の一部は健部や武部を名乗るようになった。神話物語では、有名人化託話方式が採り入れられています。
@mayumi3300 10か月 ago 素晴らしい光景をありがとうございます♪ この地の本質はあの藁蛇の地と神奈備の大黒山ですね。 元々がこの神祀りがあり、いくつもの歴史がその上に敷かれてゆきます。 【大黒】とは仏教が入って来てからの名で、その語源は【大国主】 それも八千矛だけでなく、歴代の大名持を含むでしょう。 西王家の地域にありますから、神門臣・振根など、そちら関係の言葉が出て来ますね。 宇夜都弁命はここで神祀りをしていた巫女でしょう。 西王家の妃か姫のひとりでしょうね。いつの時代かははっきりしません。 おっしゃるように、第二次物部東征で出雲王国が滅ぼされた逸話がここに入れられていると思います。 【ヤマトタケル】とは物部の皇子であり、物部を代表してその所業を一手に引き受ける役割があります。 小碓皇子は実在した人物ですが、その人の業績だけでなく、歴史の辻褄合わせや、物部が行った業績、それを未来へと繋げてゆく役割です。 接着剤ですね。 五十猛→徐福渡来八十建→神武東征熊襲建→景行天皇の九州遠征出雲建→第二次物部東征 そして、倭建 熊襲建との争いも騙し討ちです。 ヤマトタケルのエピソードはよく読むととてもエグいものばかり。 若き日の小碓皇子は兄の大碓皇子を呼んでも来ないからという理由でひねり56してしまいます。 父の景行天皇はその怪力を恐れて全国を制定するのに派遣させるという伏線なのですが、普通に考えると酷い男です。 派遣先でも騙し討ちばかり…それが英雄として伝わってゆくということは、何か特別なものがあるのでしょうね。 【物部】を代表する皇子であるならば、兄を56したことは、兄の海幸彦(磯城王朝)を倒した弟の山幸彦(物部王朝)を暗示しているとも言えます。 【ホムチワケ】の白鳥伝説は背景は第二次物部東征であり、出雲王国の滅亡時です。 大国主に恨まれることはしっかりしているわけですね。 振根将軍がそれを物語ります。 そして、正史編纂時以前の人たちは、磯城王朝からヤマト政権が始まるとともに、磯城王朝は【出雲王国の分家】であるという意識もしっかりあったと思えます。 その両王朝がこの第二次東征で滅びます。 熊襲建との争いは景行天皇の九州遠征で小碓皇子は行っていません。 出雲についても同じですが、倭建はもう一つ、重要な役割を負うキャラクターとして創作されています。 【剣の運搬人】です。🗡️ 熱田にある【天叢雲剣】は元から尾張氏のものであり、後継者争いに敗れた村雲の子孫たちのうち、伊勢湾沿いに流れた一族が管理していたもので、最初から尾張にあったのです。 それをヤマトにいた大王家から熱田にもたらされたように物語を創作し、その運び役となったのが倭建です。 剣は宮簀媛の元に置いて行かなければならなかったのです。 同じように【鏡の運搬人】が【倭姫】です。 三輪山を追い出された太陽の姫巫女が伊勢に辿りつくまで、鏡はあちこち放浪します。 おそらく、複数いた巫女たちを【倭姫】というひとりの皇女に凝縮させたと思います。 倭姫→鏡を運ぶ倭建→剣を運ぶ 2人はセットで描かれます。 剣を倭建に渡すのも倭姫ですが、よく考えてください。 【天叢雲剣】とは磯城王朝が創設されたとき、初代大王叢雲にお祝いとして出雲王家から贈られたものです。 磯城王朝と村雲のシンボルです。 それを倒した物部の皇子にわざわざ渡すことは考えられないです。 剣はずっと村雲の子孫である尾張家がお祀りしていたのです。 倭建が剣を運ぶことによって、磯城王朝と物部王朝を繋ぐ役目をしています。 そして【日本武尊】として、どの部族も一緒になった【日本国】🇯🇵という国家が形成されてゆくのです。 正史編纂とは、国家をひとつにまとめる作業です。 天叢雲剣が草薙剣に変わったのも実は大きな意味が隠されています。 それが出雲建と剣を交換する場面に描かれています。 ひとつは出雲王朝とも言って良い磯城王朝から、物部に皇位が移ったこと。 出雲建の持っていた立派な剣は村雲のことです。 それが草薙剣に変わるのはまた何処かでお話します。
@TK-bm6cu 10か月 ago 趣のあるいい感じの神社ですね。ご紹介有難うございます。私も出雲健と振根の説話は同一モチーフと思っています。ヤマトタケルは西征と東征は別人と思ってますが実在の何かがモデルでは無いでしょうか?
6 Comments
上までは登ったことがありませんでした。再度行って見たいと思います。ありがとうございました。
止屋の淵伝承地にも行かれるといいと思います。
いなけりゃ、仲哀天皇の父親は誰だということで盛り上がるだろうな。
宇夜都弁命は、この地・ウヤノ里を治めていた女首長(とべ)で、神代神社に祀られる。ヤマトタケル(実際はハリマタケル)は出雲に来たことはなかったが、出雲王家が父・景行大王と仲が良かった関係から「タケル」に因み「健部」(タケベ)郷と名付けた。また神門臣家の一部は健部や武部を名乗るようになった。神話物語では、有名人化託話方式が採り入れられています。
素晴らしい光景を
ありがとうございます♪
この地の本質は
あの藁蛇の地と
神奈備の大黒山ですね。
元々がこの神祀りがあり、
いくつもの歴史が
その上に敷かれてゆきます。
【大黒】とは
仏教が入って来てからの名で、
その語源は【大国主】
それも八千矛だけでなく、
歴代の大名持を含むでしょう。
西王家の地域にありますから、
神門臣・振根など、
そちら関係の言葉が出て来ますね。
宇夜都弁命は
ここで神祀りをしていた巫女でしょう。
西王家の妃か姫のひとりでしょうね。
いつの時代かは
はっきりしません。
おっしゃるように、
第二次物部東征で
出雲王国が滅ぼされた逸話が
ここに入れられていると思います。
【ヤマトタケル】とは
物部の皇子であり、
物部を代表して
その所業を一手に引き受ける
役割があります。
小碓皇子は実在した人物ですが、
その人の業績だけでなく、
歴史の辻褄合わせや、
物部が行った業績、
それを未来へと繋げてゆく役割です。
接着剤ですね。
五十猛→徐福渡来
八十建→神武東征
熊襲建→景行天皇の九州遠征
出雲建→第二次物部東征
そして、倭建
熊襲建との争いも
騙し討ちです。
ヤマトタケルのエピソードは
よく読むととてもエグいものばかり。
若き日の小碓皇子は
兄の大碓皇子を
呼んでも来ないからという理由で
ひねり56してしまいます。
父の景行天皇は
その怪力を恐れて
全国を制定するのに派遣させる
という伏線なのですが、
普通に考えると酷い男です。
派遣先でも騙し討ちばかり…
それが英雄として
伝わってゆくということは、
何か特別なものが
あるのでしょうね。
【物部】を代表する皇子であるならば、
兄を56したことは、
兄の海幸彦(磯城王朝)を倒した
弟の山幸彦(物部王朝)を
暗示しているとも言えます。
【ホムチワケ】の白鳥伝説は
背景は第二次物部東征であり、
出雲王国の滅亡時です。
大国主に恨まれることは
しっかりしているわけですね。
振根将軍が
それを物語ります。
そして、
正史編纂時以前の人たちは、
磯城王朝からヤマト政権が
始まるとともに、
磯城王朝は【出雲王国の分家】である
という意識も
しっかりあったと思えます。
その両王朝が
この第二次東征で滅びます。
熊襲建との争いは
景行天皇の九州遠征で
小碓皇子は行っていません。
出雲についても同じですが、
倭建はもう一つ、
重要な役割を負うキャラクターとして
創作されています。
【剣の運搬人】です。🗡️
熱田にある【天叢雲剣】は
元から尾張氏のものであり、
後継者争いに敗れた
村雲の子孫たちのうち、
伊勢湾沿いに流れた一族が
管理していたもので、
最初から尾張にあったのです。
それを
ヤマトにいた大王家から
熱田にもたらされたように
物語を創作し、
その運び役となったのが倭建です。
剣は宮簀媛の元に
置いて行かなければ
ならなかったのです。
同じように
【鏡の運搬人】が【倭姫】です。
三輪山を追い出された
太陽の姫巫女が
伊勢に辿りつくまで、
鏡はあちこち放浪します。
おそらく、複数いた巫女たちを
【倭姫】というひとりの皇女に
凝縮させたと思います。
倭姫→鏡を運ぶ
倭建→剣を運ぶ
2人はセットで描かれます。
剣を倭建に渡すのも
倭姫ですが、
よく考えてください。
【天叢雲剣】とは
磯城王朝が創設されたとき、
初代大王叢雲に
お祝いとして出雲王家から
贈られたものです。
磯城王朝と村雲のシンボルです。
それを倒した物部の皇子に
わざわざ渡すことは
考えられないです。
剣はずっと
村雲の子孫である尾張家が
お祀りしていたのです。
倭建が剣を運ぶことによって、
磯城王朝と物部王朝を
繋ぐ役目をしています。
そして
【日本武尊】として、
どの部族も一緒になった
【日本国】🇯🇵という国家が
形成されてゆくのです。
正史編纂とは、
国家をひとつにまとめる作業です。
天叢雲剣が
草薙剣に変わったのも
実は大きな意味が隠されています。
それが
出雲建と剣を交換する場面に
描かれています。
ひとつは
出雲王朝とも言って良い
磯城王朝から、
物部に皇位が移ったこと。
出雲建の持っていた
立派な剣は村雲のことです。
それが
草薙剣に変わるのは
また何処かでお話します。
趣のあるいい感じの神社ですね。ご紹介有難うございます。私も出雲健と振根の説話は同一モチーフと思っています。ヤマトタケルは西征と東征は別人と思ってますが実在の何かがモデルでは無いでしょうか?