【寝台特急 出雲 】時刻表の旅 1978年10月 東京→浜田
1978年10月ダイヤの時刻表をもとに、
動画内で再び「寝台特急 出雲」を走らせてみました。
「出雲」は、東京と山陰地方を結ぶ大変重要な役割を担っていました。
実際に乗車している時の風景はありませんが、
乗車している時に入ってくるであろう情報をお届けしています。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
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お借りしたBGM
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「水の声」/作(編)曲 : もっぴーさうんど 様
ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
「神隠しの真相」/作(編)曲:しゃろう 様
#国鉄 #鉄道 #昭和 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東海道本線 #東京駅 #サンライズ出雲 #過去鉄 #出雲 #ブルートレイン
26 Comments
今日は寝台特急出雲(所謂1・4号)ですね!今回の1978年10月改正から東京〜京都の牽引がEF65-500からEF65-1000に変更されていますね。因みに食堂車では今回の1978年10月改正から山陰の郷土料理が登場してますね。(大山おこわ定食等)。
昔ははまかぜや但馬号で良く行ったけど、ブルートレイン出雲は憧れでした😊
名古屋駅で見た出雲を思い出しまして良かったです。
リクエストで急行ちくまをお願いします
多分この時期の出雲には出雲市まで乗ってます。子どもだったので記憶はうっすらですが。出雲に乗るか、岡山からやくもに乗るかで大社の実家によく行ってました。
京都駅で機関車を交換してると思われますが、運転停車だけで客扱いしてなかったのが勿体無い感じがします。
深夜時間帯は京都も通過扱いなのに、2時50分頃に福知山へ停車するのが目をひく。乗り継ぎに利用してた人はどのくらい居たのだろうか
この改正で寝台特急いなばが出雲市へ延長されて、出雲は2往復になり、動画に出てくるのは元祖出雲の1号んですね!なおこの半年ほど前に食堂車が基本編成から付属編成へ移っているがこれは基本編成がはやぶさや富士や、ハカタあさかぜと共通運用で、はやぶさや、富士だと基本編成が3編成必要だが、付属編成だと2編成で済むため食堂車の捻出を兼ねた処置です。ちなみに24系食堂車は昭和48年10月改正の5両だけで足らない分は14系オシ14型から改造されて、100番台になっている。なお客車の量産食堂車はこれが最後になった。
浜田駅まで寝台列車が走っていたというのは今では信じられないですね。サンライズ運転開始くらいまで残っていたような気がしますが。
山陰西部は本当に寂れてしまいました。
急行出雲はサンロクトウダイヤ改正までは福知山線経由だった。なお20系寝台特急直前までの下り京都から普通車が自由席になっていて、その他は全車指定席でした。それとこの寝台特急出雲などは寝台特急なので短距離利用客がいるとは思えないので乗換案内は夜が開けてからでいいのでは?わざわざ寝台券まで買わなければならない列車です。無駄です。
作成お疲れ様。
浜田か…。
この頃はそこまで走ってたんですね。
何かサンライズの琴平を思い浮かべます。
乗った事はないですが、私が小学生の頃に臨時(記憶が定かではないですが)で浜田まで走ってた記憶があります。
定期便では行先が決まってるが、当時は当たり前に走っていた列車が、期間限定で延長して走る列車に味を感じる…。
いつもありがとうございます。
この頃には出雲号(浜田行き)はB寝台も2段寝台になり、若干ではあれ快適な移動が出来るようになったのですね。
ビジネス、さらには出雲大社へのお参りなどで広範囲での利用があったことと思います。
夏であれば夜が明ける頃に餘部の鉄橋を越えていたのですね。京都発の夜行列車の山陰号を追い抜いていたのも驚きです。
朝の大山や宍道湖を眺めながら目的地を旅するのはサンライズでも出来ますが、通路の折り畳み椅子に座りながら朝の山陰の海沿いをコトコト走るのも良かったことでしょうね。
名古屋発夜行急行きそ、のりくら、紀州。倉吉で倉吉線。松江で急行ちどり。等々乗り換え列車が懐かし過ぎた。久しぶりに言わせてもらいますが…
珠玉の列車たちに乾杯🍻
山陰、まだ残る日本の原風景
いつも編集お疲れさまです
「出雲」と「瀬戸」、そして最後の定期寝台急行として残った「銀河」は、東京機関区所属のEF65によって牽引されていました。
この頃は東京発九州方面ブルトレは東京機関区所属EF65によって牽引されるのが当たり前の状況でしたが、国鉄末期に24系25形客車の導入、4人用個室寝台「カルテット」やロビーカーの登場、それに伴う編成重量増加(「はやぶさ」で15両、470トンから540トン)により、貨物需要減少で余剰気味だったEF66に置き換えられてしまいます。
熱海、沼津停車で静岡、岐阜は通過?
富士、あさかぜ等と共にこれも東京発の夜行で乗車した列車です。そういえば現総理大臣の石破氏が帰省する時にいつも「出雲」を利用する、と言っていた記憶がありますね。私は山陰本線内の景色に見とれていました。また山陰本線の客車普通列車も何回も利用させていただきました。宮脇氏の表す「怪獣の様なDD51が一拍テンポをずらして身体を上下左右にゆする」みたいな表現が好きでした。名古屋始発の夜行「きそ」、既に電車化されてたんですね。私が乗った頃は客レでした。昼行急行「赤倉」新潟行きも気動車じゃなく電車になってたんでしょうか。
ちょうどこの年に乗りました。もう山陰線内はDD54ではなくDD51が運用されていました。都会生まれで出雲市駅から大社線が旧型客車で着いた大社駅の厳かさに驚いたのを覚えています。
更にこの後、午後の急行ちどりで広島に懐かしすぎますね。
かつて牽引していたEF65とEF66は貨物輸送に転用された後、EF200形(今では引退しました)EF210形の影で脇役として運用についています。
寝台特急出雲を牽引していた日々を懐かしんで、時々はそのルートの一部を貨物輸送や甲種回送に携わっています。
リクエスト
寝台特急トワイライトエクスプレス号 大阪→札幌 廃止前
でお願いします!
A寝台個室にはVHS一体のテレビがあって、車内放送でハチ公の映画流してたな~
早朝には車内に駅弁屋乗り込んで回ってたけど、ちょうどサンライズも運行初めて出雲駅もまだ地上だったな
この「出雲(1・4号)」は混雑が激しいため、今回のダイヤ改正で「いなば(出雲3・2号)」を出雲市まで延長運転しています。
元々国鉄は「出雲」を島根県の列車、「いなば」を鳥取県の列車と位置付けていたのですが
1.出雲が二段寝台なのにいなばは三段寝台
2.上りいなばは出雲の一時間半も前に鳥取を出るのに東京着は30分しか違わない=純粋に鳥取での滞在時間が減る
3.いなばは食堂車連結されているのに非営業。1・4号の食堂車連結区間=3・2号の全走行区間となっても非営業のまま。
と格差が大きく、鳥取県の利用者も出雲に乗りたがるのが混雑の原因となっておりました。
「出雲3・2号」にしても出雲大社観光には使えても石見地方の人は使えないわけで、米子までノンストップにするか伯備線経由にするかして
鳥取県の利用者を物理的にシャットアウトしないと根本的な改善にはならない状態でした。
石破首相が初当選したころは3・2号も二段寝台になってましたが、「食堂車で地元の有力者に『センセイ』と声をかけられた」と語っており
食堂車目当てで1号に乗る鳥取人が多かったことが伺えます。
昭和50年に名古屋から米子まで乗車しました。20系車両の時代で一往復運転でした。
この頃の出雲は24系だったのかな?
この時刻表が不思議なのは、この特急は真夜中でも結構平気で停車させている割には、京都駅が通過になっていることです。おそらく午前0時台なので、乗客扱いしてもよい気もするのですが。
京都駅から先の山陰本線は、この頃は非電化なのでここでディーゼル機関車に付け替えなければならないはずなので、運転停車しているはずなので、なおさら謎です。
昭和53年10月なら1,4号浜田行きは
24系25形で2,3号が紀伊と併結の14系、14系は、さくら、みずほと併用14両で
8両出雲、6両紀伊だったはず
私は松江生まれで益田で育ったので
松江市→浜田間は出雲1号の立ち席特急券でよく乗せて貰いました。
確か3両目のオハネ25
子供の頃国鉄のイベントで
出雲1号のカニ24 0番代の
車内とディーゼル発電室に入らせて
貰いました。
新垂井駅通過。まだ新垂井駅が廃止にならずに運用されていた時代ですね。