鳥居からお金が落ちて来る京都ゑびす神社 お火焚祭(ゑびす様とは・ゑびす神社について・湯立神楽・湯立神事) 2024.11.16 PM2:00~

令和6年11月16日は、京都ゑびす神社にてお火焚き祭が斎行されました。
京都ゑびす神社は、日本三大ゑびす神社の1つとして知られており、他にえびす神社の総本社である兵庫県西宮市の「西宮神社」、福娘で有名な大阪の「今宮戎神社」があります。

京都ゑびす神社は、花街のひとつ宮川町の住宅街のなかにあり、道路をはさんで隣接する建仁寺を作った臨済宗の祖の栄西が恵比寿神を観請し創建されました。

京都ゑびす神社は福笹を世にひろめた神社としても知られております。

今回初めて神社境内に入りましたが、鳥居をくぐったとき、上から10円玉が落ちてきました。

それを拾おうとしたら、背後から外国人女性が走ってきて、それをとりました。実は、鳥居に向かって10円玉を投げたようです。

なかなかおもしろい神社だと思います。

<本映像の内容>
注)映像の番号が間違っています。
ただしくはこうなります。

1、ゑびす様とは

「ゑびす」の平仮名表記は中国伝来の漢字文化からきた
ものです。「恵比寿」の漢字を簡略化し草書体としました 。

「ゑびす」は、福の神様で知られた七福神のひとりです。七福神の大黒天・毘沙門天・弁財天はインド出身。寿老人・布袋・福禄寿は 中国出身。ですが、「ゑびす」は唯一日本で生まれた神様です。

「ゑびす」の歴史は、日本神話から始まります。
国造りをしたイザナギとイザナミの間に生まれた子どもは体が非常に柔らかかったため「蛭(ひる)」のように柔らかいので「蛭子(ひるこ)」と名づけました。ですが、3歳まで歩くことができなかったので葦の舟に入れてオノゴロ島から東海に流されてしまいました。「蛭子」は穢れた存在として神様の世界か東の海へ放り出されてしまったのです。
この穢れを祓う行為が「禊(みそぎ)」の始まりとなります。
穢れを忌み嫌う日本人の心は現代まで引き継がれ神社に手水舎があるのは神の宿る人々が神域に入るとき穢れを落としてから参拝する習慣が生まれました。

 こうして海に流された不遇な「蛭子」を悼み、後世の人々は「蛭子」を漁業の神様にして祀ることにしたのです。

そこで東方の未開人を意味する「夷・戎(えびす)」の読み方をあてはめて、「ひるこ」を「えびす」と読み、「えびす様」という神様に生まれ変わりました。

「えびす様」は元来が漁業の神様のため、漁師の恰好をしております。

右手に笹でできた釣り棹を持ち、左腕に鯛をかかえております。

1月10日は、蛭子の誕生日とされており、10日戎には「商売繁盛で笹もってこい」という掛け声がとびかいます。

笹は釣り竿であるため、釣り竿を持ってきたら、鯛(利益)を釣ってきてやるぞという意味がこめられており、それで商売繁盛を手助けする神様となったのです。

実は、神社の笹飾りや福笹の頒布は京都ゑびす神社によってはじまったとされております。

福笹は「節目正しく真っ直ぐに伸び」「弾力があって折れない」「葉が落ちず常に青々と茂る」といった特徴から、家運隆昌・商売繁盛の縁起物となりました。

2、ゑびす神社の歴史
 京都ゑびす神社は建仁2年(1202年)、日本の臨済宗の祖である栄西禅師が建仁寺を建立するにあたり、その鎮守社として自身が建久2年(1191年)に南宋から帰国する際に海上で暴風雨から守ってくれた恵美須神を主祭神として勧請し、創建されました。

主祭神 – 八重事代主大神(えびす)、大国主大神、少彦名神

(祭事)

歳旦祭(1月1日)
十日ゑびす大祭(初ゑびす)(1月8日 – 12日)
節分祭(2月3日)
例大祭・神幸祭(5月第3日曜日)
夏越の大祓式(6月30日)
名刺感謝祭(9月第4日曜日)
二十日ゑびす大祭(ゑびす講)(10月19日・20日)
お火焚祭(11月16日)
大祓式・除夜祭(12月31日)

3、ゑびす神社のお詣りの作法

(この神社ならではの特殊な作法です)

①鳥居にお賽銭を入れ参拝する。
鳥居 中央  ゑびす様の福箕(ふくみ) 「箕(み)」とは、穀物の脱穀や選別、運搬などに使用される農具。

②本殿に参拝する

③本殿の横でもう一度参拝する

4、お火焚き祭
 本殿神事
 湯立神楽(檜扇と鈴の舞2つ・劔の舞)
 湯立神事

<<七福神について・置物の置き場所(参考資料)>>

我が家は総白檀製の布袋尊(体高20cm)を玄関に飾っておりますが、七福神の御利益と飾り場所について書いておきます。

■恵比須神は「商売繁盛」
 上述の通り。

<飾り方>
玄関やリビング

■大黒天は「五穀豊穣・財福」
「大黒」という名の由来については、インドで人肉を食らう鬼神である荼吉尼天を調伏するため、大日如来が曼荼羅に描かれるような黒色忿怒相の摩訶迦羅天に姿を変えて現れたことによります。
大黒天は大日如来の化身とも呼ばれるゆえんがここにあります。
<飾り場所>
恵比寿様の置物を飾る場所は、玄関正面から見て左、大黒様の置物を飾る場所は玄関正面から見て右です。 玄関に飾るのが難しい場合は、家のなるべく中心部分。

■弁財天は「芸術・学業」
ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持っています。 創造神ブラフマーの妻であり、実在したサラスヴァティー河の化身とされ、流れる川のせせらぎから「流れるもの」を連想する音楽や言葉などの才能をもたらす神とされました。

余談ですが、弁財天を除く福の神が新築の家に居座るための場所を決めていたとき、弁財天は音楽を奏で遊び呆けていたので、他の神に遅れてしまい、けっきょく居場所がなくなりました。弁財天が他の神に尋ねたところ、彼らは一同そろって「弁天はトイレが残っておる」といいました。
そこで弁財天は怒りながらトイレに居座ったのです。

弁財天は別名トイレの神様ともいいます。トイレのない家には住めないので弁財天はたいへん重要な役割をもっております。だからトイレを常々綺麗にしておかないと、弁財天を怒らせることになります。

<飾り場所>
弁財天はとても綺麗好きなので、清浄な場所であればどこでもよし。
ただしトイレにだけは飾ってはいけません。

■毘沙門天は「勝運」
毘沙門天は四天王(東方を守る持国天・南方を守る増長天・西方を守る広目天・北方を守る多聞天)のひとりである多聞天が1人で活動するときに呼ばれる名前。四天王のリーダーです。四天王が仏法を守護するため、最強の力を発揮することができる多聞天は独自に活動したときは毘沙門天となります。
<飾り場所>
仏壇(神棚は不可)・書斎

■寿老人は「長寿」
道教の神仙(神)。中国の伝説上の人物。南極老人星(カノープス)の化身とされています。
寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えています。手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っています。

<飾り場所>
寝室

■福禄寿は「幸福・財産・健康」
寿老人と同一人物という説もありますが、ご利益と飾る場所が異なる点と姿が異なる点とで別人扱いをしています。
福禄寿は耳たぶが長い。

<飾り方>
食卓・リビング

■布袋尊は「子宝、良縁」
七福神の中で唯一実在した人間です。生年不詳 ~ 917年3月28日没。
大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿をしており、黄檗宗の萬福寺に大きな布袋像があります。
本来の名は契此(かいし)(または釈を付けて釈契此(しゃくかいし))。常に袋(頭陀袋)を背負っていたことから布袋という俗称がつけられました。太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたといいます。その姿は風変りであったが素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたそうです。

日本では鎌倉時代に禅画の題材として布袋が受容され、庶民には福の神の一種として信仰を集め、室町時代後期には七福神に組み入れられるようになりました。

<飾り方>
玄関・床の間・リビング

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