横浜南区中村町の暗い歴史【タイムスリップ明治・大正・昭和】
■この動画は「横浜タイムスリップ」「令和に残る明治・大正・昭和の光景」として南区にある中村町とその周辺を見ていきます
■令和の現在、大都市であり観光都市、そんな横浜の中心には、日は当たらなくても多大な貢献をした地域と人々がこの中村町となります
■この動画で紹介しているのは以下内容になります
(1)三吉橋通商店会と、役目を終えつつあるドヤ街
(2)関東大震災と、揮発物貯蔵庫の爆発炎上
(3)焼け跡に建設された仮病院とバラック村(関西村)
(4)神奈川県埋蔵文化財センター(旧中央衛生試験所)
(5)近代医療の発展・伝染病研究の避病院と十全病院
(6)だるま船が係留してい中村川と浦舟水道橋
(7)震災復興小学校と医療研究施設跡地に建つ、南区役所
(8)中村八幡宮に残る地図測量と震災慰霊碑
横浜の魅力を再発見しましょう
VOICE VOX剣崎雌雄
11 Comments
中村町、ある意味今の横浜で一番ディープな場所ではないでしょうか。
まさに、このチャンネルのタイトル/ヨコハマ・ディープ・ラボを、具現化した興味深い動画でした
今後も普段あまり語られない内容の動画を期待します
以前うらふねで働いてた時に三吉橋そばの肉屋さんが弁当売ってて自家製シュウマイが絶品だったな
興味深い内容でした。
私はこの地で育ちました。
子どもの頃は商店街はとても賑わってましたが、今となってはとても寂しいですね。
ありがとう❤
これからも楽しみにしています😘
ありがとうございました。なぜこのエリアだけ高層建築が無いのか?ずっと不思議でした
生まれも育ちも中村町4丁目、中村川沿いです。60年以上住んでました。
今は引っ越しましたが家が写ってなくて少し残念😢
懐かしく見させていただきました。
歴史を紐解くと興味深いです
今度ゆっくり歩いてみますね
私の現住所です。横浜の下町で地元住民はこの土地に長く住んでいます。しかし最近では新築住宅は中国人が買い漁ったり中近東、韓国などのアジア系の人達が住み始め治安が悪くなりました。また、反社や不良の方が多いので他県からの移住にはハードルが高いです。
私は65歳のオジサンです。横浜市生まれで、石川町5丁目や中村町1丁目に住んでました。1970年ごろに屋台の串揚げ屋が何店かありました。今思えば関西出身の方々がやっていたのではと推測します。ダルマ船は私が中学時代まで数多くありました。港湾作業に必要な大きな桟橋が無かった時代に外国船の荷物を運んでいた名残ですね。私のクラスメートもダルマ船に住んでいました。