🌺女神の実家跡/普天満宮の始まり 🎀那覇市首里桃原町にある、普天間権現発祥の地といわれているところです💝沖縄パワースポット/ゴーストチューブ

🌺女神の実家跡/普天満宮の始まり 🎀那覇市首里桃原町にある、普天間権現発祥の地といわれているところです💝沖縄パワースポット/ゴーストチューブ

首里桃原(とうばる)町
この普天満宮発祥の地には、こんな伝説が残っています。

首里桃原の旧家に美しいと評判の娘が住んでいました。                           ところが、美しいと知れ渡っているといっても、誰もその姿を見た者がいませんでした。

ただ、家に引きこもって機(はた)を織り、人目に触れない生活をしておりました。 娘には、嫁いだ妹がいましたが、ある日、妹の亭主は、姉が美人というのは嘘で、本当は醜女(しこめ)だという村人の噂を聞き、ぜひ会わしてほしいと妹にお願いしたそうです。

妹は、姉が人と会うことはないと拒みましたが、是非にとせがまれ、姉を庭に誘うので、あなたは門に隠れて中の様子をご覧なさいと言いました。そして、妹が姉を庭に誘い出したとき、亭主は、姉の顔をはっきりと見ることができました。

しかし亭主は、姉のあまりの美しさに驚いて、感嘆の声を上げてしまいました。 それに気付いた姉は、風の様な速さで逃げるように家を飛び出して、末吉の森を抜け山を越え、飛ぶように普天間の丘に向かって行ったそうです。

そして、次第に清らかな神々しい姿に変わり、普天間の鍾乳洞に吸い込まれるように入って行って、二度と姿を現すことがなかったそうです。                                                                 いつしか人々は、普天間の洞窟に社を建てて清純な娘を永遠の女神として祀ったといいます。

🎀この社が現在、宜野湾市にある普天満宮です。

首里鳥原鎮
關於福天滿宮嘅發源地,有一個傳說。

喺首里桃原嘅一個老家庭入面住咗個出名好靚嘅女。 不過,就算佢出名靚,都冇人見過佢。

但係,我將自己封喺屋企,織織嘢,同埋喺公眾視線之外生活。 個女有個細妹已經結咗婚,但係有一日,佢老公聽到村民傳言,話佢家姐靚係假嘅,而佢其實係個醜女,就叫佢去見佢。好似係佢要求嘅。

細妹唔肯,話佢永遠唔會見到任何人,但係佢乞求佢嚟邀請佢入花園,然後佢叫佢躲喺閘口後面,睇下入面發生緊咩事。當細妹邀請佢出去花園嗰陣,老公可以清楚睇到佢個樣。

不過,老公對妹妹有幾靚感到驚訝,仲喊咗出嚟佩服。 當我家姐留意到呢件事嘅時候,佢就好似風咁快噉跑出屋企,經過末吉森林,過山,向福天間山方向行。

據講,佢逐漸變成純淨、神聖嘅外表,並被吸入福天間石灰岩洞穴,再冇見過。據講,喺某一個時候,人哋喺福天間嘅洞穴入面起咗個神社,並且崇拜呢個純女,當佢係永恆嘅女神。

🎀 此神社目前為宜野灣市福天滿宮。

この物語は、HP「普天満宮に残る仙人・女神伝説」「琉球の裏探検」を参考にしました。なお、首里桃原町の普天間権現発祥の地は、姉妹の実家のあったところといわれています。

なお、宜野湾市にある神社名は「普天満宮」となっていますが、この発祥の地の扁額には「普天間権現」で、「満」と「間」の文字の違いがあります。 神社のある所の地名は「普天間」ですので、神社のHPでもよく間違えられるとありました。

琉球八社…沖縄本島には、明治以前の政府 琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社があります。
それを琉球八社といいます。波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮が琉球八社です。
安里八幡宮のみ八幡神が祀られていて、それ以外は熊野神が祀られています。

普天満宮…琉球八社のひとつで地元では、普天満神宮と呼ばれています。
普天満宮の創建は、普天間の洞窟に琉球古神道神を祀った頃より始まりました。琉球国の王、尚金福王から尚泰久王の頃(1450~60年)に熊野権現を合祀したと伝えられています。

普天満宮の御由緒
当宮は別称普天満権現といい、琉球八社の一つです。

創建については、往昔、普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王(1450-60年)の頃に、熊野権現を合祀したと伝えられています。

現存する古い記録には『普天満権現』碑(1590年)があります。『琉球神道記』(1605年)『琉球国由来記』(1713年)『琉球国旧記』(1731年)にも当宮関係が記載されています。

近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は、琉球八社はもとより、その分社やビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら、県内広域に伝播し拝所としても数多く存在します。

🎀 当宮の縁起伝承には、首里桃原に女神が出現され、のちに普天満宮の洞窟に籠られた伝承があります。

また、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と示された伝承や、また、中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難を救ったという伝承もあります。 なお「当ノ屋」ではそのお礼参りが今も続いています。

旧暦九月には普天満参詣といって、かつては中山王をはじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げました。

昭和20年、戦時中は当時の社掌が御神体を捧持して糸満へ避難しました。
戦後は、社掌の出身地である具志川村(現うるま市)田場に仮宮を造りて祀り、その後、普天間の境内地が米軍より解放されると、昭和24年2月、元の本殿に還座しました。                                                                                    

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