【横浜市営地下鉄】なぜ2号線計画は中止されたか?【京急直通】
横浜市営地下鉄2号線の計画はなぜ中止されたかを考えてみました。また想定されている駅も歩いて実際に行ってきました。もし2号線が開通していたらまた違った横浜になっていたかもしれません。
ちなみに、Wikipediaの横浜市営地下鉄の説明は2号線と3号線の説明がめちゃくちゃになってます。それを見て作ったであろうyoutubeの動画も全く分かってなくて、意味が分からない説明になってますw
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#横浜 #横浜市営地下鉄 #飛鳥田 #屛風浦 #吉野町 #神奈川新町
9 Comments
面白いです!市営地下鉄延伸関係、今後も期待しています!
確かに市営地下鉄は奇妙な路線ですよね
政治が絡んでいるかは判らないけど、市の北の方ばかり優遇されている
1号線のうち上大岡〜横浜も、京急のバイパス感(日ノ出町〜伊勢佐木長者町、黄金町〜阪東橋など、駅が近接している事例が多いため)
戸部(特急なら上大岡)→横浜がたしか最混雑区間だったかと思いますが、70年代の京急はラッシュ時エグかったようで…。
商店街等の経由予定地の妨害がひどく、今でも延伸や快速運転に口を出しされ、それをほいほい聞いちゃう市営地下鉄。
六角橋は市電代替の地下鉄に猛反対して三ツ沢回りになったけど、次の世代になってからひどく後悔しているようです。だからといって三ツ沢が栄えたわけでもない。
まぁ【前任者がバカだったから】とは書けないからねぇヾ😅
廃止理由や見直された数値を見れば、以前の見通しの甘さや見落としていた点が明記されてたりする訳だが⁉️🤪
横浜市営地下鉄2号線、横浜市南部と京急線のバイパス路線の役割として、横浜市の当時の活気あった商店街を通す役割があったんだと発見がありました。
正直横浜市は、所々地味に不便な箇所があり、バスでカバーしているイメージが強いです。
新百合ヶ丘延伸も正直川崎市が公共交通施策を横浜市に丸投げしたイメージが強いです。
昭和40年代の京急の輸送力増強は12両化だけではなかったはず。
43年の都営1号線(現浅草線)乗り入れ、42〜46年の4扉車の700系の大量新製、45年頃は12両でなくとも10両編成の強化等地味ながらも常に輸送力増強を続けてたので相対的に2号線の必要性が下がり続けた事も建設中止の理由として大きいと思う。
そして世の中も47年以降の地価高騰、49年のオイルショックでの物価高騰や景気後退も大きく、1.3号線ですら建設が捗らなくなり、優先順位が大きく下がったと記憶してます。
横浜市営民に問う新百合ヶ丘から市営が直通運転するかどうか
ブルーラインのあざみ野~新百合ヶ丘間の延伸は、川崎市営地下鉄計画の廃止による影響があると言えます。川崎市営地下鉄が川崎大師~川崎駅~武蔵小杉(新川崎でも可)~野川~宮前平~王禅寺~新百合ヶ丘駅を結んでいたならば、横浜市営地下鉄の延伸は無かった可能性が考えられます。その意味においては川崎市政に横浜市政が振り回されたと言えます。今回のブルーラインの延伸は、恩恵を受けるのが川崎市民側が大なので、川崎市民にはそれ相応の負担をしてもらいたいと個人的には思っています。JR南武線の代替輸送路としての川崎市営地下鉄には本当に期待していただけに残念でなりません。