《どこまでも追い続けるシツコイ男のちょっと変わった考察》あなたはどう思いますか?

日本最古の石上神宮は神の剣三神がご祭神、その御霊の剣は実際に存在するのか、神話の中だけの剣なのか?その存在は謎、そしてその謎の神社から辿る物部の正体に迫る
#物部, #石上神宮, #徐福、

5 Comments

  1. 石上神宮は
    出雲口伝によりますと、
    第二次物部東征で、
    奈良盆地を間に、
    生駒山に東征軍🟨
    春日山に磯城王朝軍🟢
    が陣取り、
    にらみ合いを続けますが、

    最終的に東征軍🟨が
    磯城王朝軍🟢を落とし、
    そのすぐ南にあたる布留の地に
    イクメ王の陣を築き、
    物部王朝の宮としたところが、
    後に石上神宮となったと
    伝えられています。

    ですが、
    歴史とは常に繋がっているもので、
    物部勢がやってくる以前から
    この地は色々な人たちの
    生きた証しがありました。

    そして、
    第二次東征以降も、
    更に色々絡み合った歴史を
    紡いでいます。

    次回に紹介されるであろう、
    【石上神社】や、
    【八ツ岩】に
    その答えがあると思います。

    楽しみにしています。❣️

  2. お早う御座います♪ クシヒカタ君達がそこに来ていた可能性 それを知っていた物部連中は⁇? 何て考えています。初代大和王朝の人達の痕跡が物部連中は欲しかったんじゃないかって〜  個人的な妄想でしたぁ〜

  3. w崇神天皇の時代に十束剣ってもろ
    出雲風土記の崇神天皇が西出雲・杵築大社の当時の神主で出雲王だった神門振根を殺害して奪った
    素戔嗚から伝わって来た神宝の十束剣(神度剣、大量剣、天羽々斬剣の事)だと
    言ってる様なモノ、布都御魂の正体ですね。
    布都御魂は本来の姿は鉄の棍棒ですからね、
    知れれば、神門家宗家に返還しないと行けなく成るから布都御魂と偽って来たのでしょうね。(イヤらしい話です。)

  4. 布都御魂の伝承を調べると、布都御魂を岡山県 石上布都魂神社に素戔嗚命が治めたと由緒がある
    (現在もこの神社の神主は物部氏) → 熊野本宮大社を創建した熊野連、その父の高倉下が
    神武東征時、熊野で神武に布都御魂を献じ神武の手に (熊野国造家は物部氏の先祖)→ 宇摩志麻治命が宮中で祀る

    → 崇神天皇7年に伊香色雄命が大和の石上神宮に石上大神として祀る という流れの様です。
    素戔嗚命(出雲族=神紋=亀)と饒速日命(物部氏=神紋=鶴) ♪鶴と亀が総た♬ 天津神が来るまで??
    他の方も書いている通り全盛期の物部氏はかなりの領土?を持っており現在の石上神宮は物部氏の武器庫で
    あったとの説があり、少なくても村屋坐彌冨都比賣神社あたりまであった様です。が追いやられて
    諏訪→唐松神社まで(出雲族も国譲り後、東北に追いやられていますので。)行ってます。

  5. いよいよ物部の本拠地?石上神宮ですね。すばらしいです。フツノ御霊は吉備から移したのは間違いないと思います。淡路島にあるのは、前も言いましたが、物部の瀬戸内海を制海権を握っていた証左と考えるのが自然と思います。「物部は出雲であり出雲ではない」と考察する方がいますが・・なるほど、と最近思います。

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