「女王国がわかった!!」魏志倭人伝の記述に全く矛盾なし いざ女王国へ #三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅 #女王国 #投馬国 #ロジカルシンキング

本邦初公開、全ての謎を解決、オリジナルの「女王国仮説」について、地図と図表を用いて、解説してゆきます。
マルエーフェリーで 鹿児島から沖縄までの船旅をです
今回は、奄美大島まで行き、三国志魏志倭人伝の「女王国のエリア」について
その根拠と、ロジックをやさしく説明しながら、私の仮説を解説してゆきます

今回の動画を見れば、古代日本の歴史観が変わります

参考
任意の2地点間の距離を測る
距離:一寸千里法  方位:インディアンサークル法
古代の測量は、距離と方位で測ります
一寸千里法は、現状、参考文献が少なく、添付のものは簡単に書いてありますが
方位が異なる任意の2地点間の距離の説明が不足していると思います。
https://www.geog.or.jp/files/h27-autumn_02.pdf
https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1675.html

任意の2地点間の距離が地球と比べて極短距離であれば、
地球の表面を平面と仮定することで、
太陽光と影を利用し
①棒と②方位計と③メジャーを使って
簡単な、数学で、2点間の距離を測ることができます。
中学程度の数学ができれば、誰でも測定できます。当時、三角関数なんてありません。
興味のある人は、頭の体操で、考えてみてください。
わたしは、やり方が、すぐわかりました。

なにはともあれ、古代でも、方角を間違えることはなかったでしょう。

リンク「会稽東治」は「会稽東冶」の間違いで2都市並記
https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-246.html
「会稽東冶」が会稽群の東冶県であれば「会稽東冶県」と記載する
「会稽」と「東冶」の2都市並記と読むのが自然
https://toyourday.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-b8a3.html
「会稽」と「東冶」の2都市は、当時の東海岸の2大港湾都市
https://x.com/vega_traveler/status/1842587354940473427/photo/1

九州北部と、沖縄、奄美大島は、弥生時代から船で貝交易がおこなわれていた
沖縄・奄美大島から九州北部を経て、瀬戸内海、日本海側を経て、北海道(アイヌ)までの交易路が貝の道である
吉野ヶ里から翡翠(ヒスイ)が出土しており、日本海糸魚川付近との交易と考えられる
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch1/sakishima_up/up04.html
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch1/sakishima_2.html
吉野ヶ里には、沖縄、奄美大島から交易された
多数の貝のアクセサリーの出土がある
また、日本海側糸魚川付近から交易された翡翠(ヒスイ)も出土されている
https://www.yoshinogari.jp/ym/episode05/trade_2.html
吉野ヶ里から、貝のアクセサリー、翡翠(ヒスイ)とともに
貝紫に染色された、絹織物や絹糸が発掘されている
「貝紫の染色織物」は、フェニキア人のシンボルである
https://tontonzizii.livedoor.blog/archives/28746778.html
吉野ケ里から発掘された石棺からは、「水銀の成分を含む赤色顔料」が発見されており、これも貝の道の交易品、あるいは、魏への朝貢の時に返礼品としてプレゼントされた「鉛丹」と考えられる
吉野ケ里遺跡の石棺から骨の成分 赤色顔料から水銀も、佐賀県
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd911bdd8f9eb58b3a71111b8f316d7808eac3a7#:~:text=%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%81%AF5%E6%97%A5,%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82

日本にやって来たフェニキア人
屋久杉(縄文杉)とレバノン杉
https://momo-momomat.blogspot.com/2012/03/blog-post_16.html
樹齢3000余年の屋久島の縄文杉『スサノオの樹種(こだね)の記事は神話でなく史実』
https://matmkanehara.blogspot.com/2013/01/blog-post_2.html?m=1
与那国島の海岸岩場に刻まれたフェニキア文字

フェニキア人・アラム人・ヘブライ人

フェニキア人の統治したカルタゴ

週末 三国志魏志倭人伝ツアー 邪馬台国へ!!

00:00 鹿児島新港から
02:14 地図と今回の経路
02:56 水行20日水行10日、経路の仮説
17:30 女王国についての仮説
29:05 投馬国到着、奄美大島名瀬港付近

#女王国 #投馬国 #邪馬台国
#ロジカルシンキング #仮説思考
#三国志  #魏志倭人伝
#三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅

8 Comments

  1. ついに「南へ投馬国へ水行20日」の旅です。現代は、マルエーフェリーで「南へ投馬国へ水行1夜」で、寝ている間にあっという間に投馬国「奄美大島」へ着きます。そして、九州「不弥国(久留米)」を離れると、いよいよ目的地「女王国」のエリアに入ります。魏の使者は、帯方郡から伊都国までは、常に往来があり、伊都国に常駐していたそうですので、よく知ったエリアですが、「女王国」には、めったに行かなかったようで、三国志魏志倭人伝は、そのめずらしい「女王国」の様子を記述した、旅行記となります。

  2. フェニキア人とかはちょっと分からないですが、邪馬台国沖縄説は有力ですよね
    25:00 1万2千里は北部九州でほぼ消化されているので逆にこの図に入れない方が説得力があるように感じます

    弱点として陸行1月と狗奴国はどこか問題があるとは思いますが、魏志倭人伝の対象が貝の道(有明海)の集団だったと考えると一つ筋が通りますよね!次の動画も楽しみにしています!

  3. 魏志倭人伝はある政治的目的で残された文献なのです。その理由が分かれば行程記事をいくら議論しても邪馬台国へは到達できません。しかし、邪馬台国を見つけるヒントは以下のとおり書かれていますので、それに該当する場所が候補となりますので、それを比較検討すれば結果が得られます。一番大きなヒントは

    ①卑弥呼の径百余歩の冢(直径約150mの円形墳墓、しかも前後の状況から急造の土を盛り上げただけの墓)です。

    ②さらに、その周辺に城柵で囲われて兵士で厳重に護られた王宮があること(弥生後期の集落)。

    ③また、その場所に、卑弥呼に纏わる伝承や地名などがあること。

    ④そして倭地温暖で冬でも生野菜を食べ、はだしで生活できる場所、

    ⑤卑弥呼は人前に出ないことから巨大集落から少し離れた場所が居城、

    ⑥東に海があって千余里にまた倭種の国がある、范曄後漢書では倭種の国を狗奴国としています。九州説なら周防灘に面した豊前地方です。というのがが挙げられます。これらに合致する場所が邪馬台国の有力な候補と考えられます。

    これに合致する場所を発見しています。長くなったのでよろしければ拙ブログをご覧ください。失礼しました(;^ω^)https://blog.goo.ne.jp/katumoku10

  4. なるほど〜 沖縄女王国説は、ロジカルですね〜。キコエオオキミとか、まさしく女王って感じですね。 オキナワ=沖の倭 じゃないかなと私は考えています。

  5. マルエーフェリーのB寝台ってそんな作りになってるのですか‼部屋入った右下にヤバそうな人が映ってるんですけど⁉😨投稿者さんはまさかその上のベッド❓😅
    天気良さそうなので波は穏やかですけど、それでも揺れそう。みんな船酔いとかしないのかな❓🙄

  6. 船旅うらやましいです。
    旅行で温泉やシャワーの際は、ダイソーの使い捨てバスタオルを使うのですが、フェリーのシャワー後に捨てれそうな場所はありますか?
    狗奴国を台湾の高雄に設定して、台湾までの船旅をお願いします。
    ^_^

  7. 魏志倭人伝では、狗邪韓国から対馬・壱岐を経て末盧國に着くまでの三箇所だけに「渡一海」と書かれ、それ以降は「水行」と記載されています。
    これは、「水行=海岸線又は川沿いに移動する」と言う意味で、魏志倭人伝を素直に読むと、九州から沖縄までは移動していないと思いますが?
    また、後漢当時の1里は約500mですが、これで帯方郡から狗邪韓国(釜山付近)までを測ると「500km=千里」となり、逆に七千里が正しいとなると、「1里=70m」となります。
    邪馬台国まで一万二千里と言う距離そのものが、「それほど遠方から魏に朝貢に来た」と思わせる為に史官の陳寿が相当にサバを読んで誤魔化したのではないでしょうか?

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