須古城跡 佐賀県白石町

1187年白石五郎通益が地頭職となり築城
他にも島津城・妻山城などなど白石氏の御城。また稲佐神社とも縁が深いようで、流鏑馬神事を始めたのは白石五郎通益によるものだ。
通益から六代目にあたる白石通泰は1274年~元寇・蒙古襲来で活躍した武将だが、また元寇の戦いで竹崎季長の危機を救い、竹崎季長は恩賞として肥後国海東郷(宇城市)の地頭職についていて、その縁で、海東阿蘇神社の神職として白石通泰は肥後国へ移ったようだ。
南北朝時代の白石氏は妻山城を中心にして南朝方として戦った。

龍造寺隆信が須古城を手に入れる前の城主は平井氏で平井氏は少弐氏の一族だった。小城の千葉氏に従い有馬氏対策に室町時代に城を整備して居城としていたようだ。その後は有馬氏に従うようになったらしい。そして、1563年~1574年間に龍造寺隆信に4度にわたって攻められて落城し、平井氏は滅亡した。とても堅固な城で城周辺は湿地帯で二重濠で囲み、杵島城と男島城を近くに配置して備えとしていた。龍造寺隆信はどうしても手に入れたい城だったんでしょうね。
須古城を手に入れた龍造寺隆信は更に改修して隠居城としたようです。
隆信戦死後は弟の信周が在城。佐賀藩の家督が龍造寺氏から鍋島氏へ移っていく。

見学路が整備されています。駐車するスペースもありました。
訪問は9月でまだ非常に暑く蚊の猛撃にあいました。草も凄いとこあったし。虫が少ない季節の訪問がお薦めです。

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