【廃線跡】かつて日本海側から最北を目指す路線がありました。羽幌線 前編(留萌~苫前)廃線跡、駅跡巡り

【廃線跡】かつて日本海側から最北を目指す路線がありました。羽幌線 前編(留萌~苫前)廃線跡、駅跡巡り

2023年7月と2024年7月に1987年に廃線になった北海道の羽幌線(留萌~幌延)の駅跡を巡ってきました。羽幌線は日本海側から最北を目指す路線でした。冬場は暴風雪でバス停が吹っ飛ぶこともある、過酷な環境の中を走っていた羽幌線。そんな過酷な環境ゆえ駅跡はほとんど残っていませんが、わずかな痕跡を求め巡ってきました。長大路線のため駅数も多かったので、前中後編の3回に分けてお届けいたします。前編の今回は留萌~苫前です。廃線時の全駅跡収録(仮乗降場を含む)。廃線から37年、羽幌線の駅跡たちはどうなっているのでしょうか。

動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html

羽幌線 中編(苫前~遠別)の動画は↓
後日公開予定
羽幌線 後編(遠別~幌延)の動画は↓
後日公開予定

47 Comments

  1. ここは天北線と違って、国道が古丹別以外の全区間を並行していたうえに、はぼろ号のバスが鉄道より早く結んでいた為、長大4線とは異なり早くに廃止が決まりました。羽幌線が現役の当時の時刻表を見ましたが、留萌本線よりも大きく載る羽幌線を失った時点で、留萌本線の立場も失ったんだと思います。

  2. 自分もオロロンロードをドライブしながら羽幌線跡を巡りましたが、廃線が早かったからなのか廃線跡や駅舎の遺構が徹底的に無くなっていますね。
    記念碑的な物も少ないし、まるで羽幌線を記憶から消し去りたいのかと思ってしまいました。
    そんな事はないでしょうが。

  3. 今回も貴重な動画ありがとうございます😌
    旧羽幌線は海が近いですね。
    きっと車窓の風景も素敵だったのでしょうね。

    天北線と同様、もう少し早く生まれていたら乗っていたのに…と思ってしまいます😢

  4. 長大四線クラスの路線だけど、国鉄分割民営化前にあっけなく廃止になっちゃった路線。

  5. こうして辿ると往時の思い出が甦り、懐かしいですね…
    夏場は美しい海岸線が印象的ですが、冬場は厳しい氷雪に阻まれる路線でしたね…

  6. お疲れ様です、力昼駅跡が、駅も集落も無くなりました〜富岡仮乗降場跡も、オッフ〜頂きました〜😅また、これは行くのに、躊躇しますね…行きますけども、頂きました〜苫前駅跡の、猫さんがかわいいです〜このコメントに対する余りにも長すぎる返信等は、お受け出来ません、オッフ〜😺

  7. ひろりんさま
    こんばんは♪😊
    先日はコミュニティへのコメントを頂きありがとうございました🙇‍♀️

    羽幌線の動画の編集とアップ、大変お疲れ様でした😅
    動画を拝見させて頂きましたが、鉄道遺構の少なさはちょっと衝撃的でした…😢
    探索もこれだけ遺構が少ないとメンタル的に大変だったでしょうね💦
    探索から編集、お疲れ様でした!😊
    後編も楽しみにしておりますが、編集はどうか無理なさらずに!😉

  8. 87年春は国鉄民営化JRになった時で、北海道の残存路線に乗るかまだ殆ど手つかずの九州の路線を乗り潰すか、迷いに迷ってました。結局春は九州に行って夏に北海道でした。そして羽幌線は永久に失われました… 標津線みたいに89年春まではせめて残っていて欲しかった長大路線でした。89年バイクで留萌から北上して並走しましたけど、路線や駅跡を記憶と写真に留めなかったのが後悔しきりです😿

  9. お疲れ様です😊
    羽幌線は一回乗っただけでした。家族で。
    夏休みに😉
    写真は沢山あるみたいです。(ネガも)

  10. 久しぶりにゆっくり拝見させて頂きました。高2の夏、北海道ワイドで幌延から深川まで乗った事を思い出します。キハ20かな、トイレにある様な豆電球で車内が薄暗いな中籠に🦀を背負った方に「お兄さんも食べる?」と言われて頂いた味が今でも鮮明に覚えています。殻は床に落として車内が🦀臭かった😂

  11. 羽幌線は小学生時代に乗って楽しかったかったでした。今度は深名線の香りがする留萌本線北一已駅まで無くなるので、寂しいですね。本当に若い頃に馴染みのあるのが消えていきますね🌸

  12. 何度も思いますが、やはり北海道の鉄道関連が多いですね。 人の力の何と儚い事か・・・・

  13. ロケならびに長篇製作お疲れ様です。羽幌線跡はモノの見事に“なんも無い”ですね…😥

  14. 幌延駅から留萌まで以前バスで行った事がありますが、当時でもかなり本数がありまして
    代替バスの名残がしっかり残っていますね -現在でも留萌まで通しが8便あるので天北線
    代替バスとはかなり状況が違いますね – 遺構がほぼ残っていないのも天北線とはかなり毛色が
    違いますが
    それにしても、廃線前から何もないという仮乗降場のパターンをぶち壊す番屋ノ沢仮乗降場
    の駅前の賑わいに驚きました こういう乗降場跡は今まで無かったように思えますよ
    しかし、留萌駅跡、予定ならとっくに解体されて新しい跡地整備が進んでいるはずなんですが
    留萌市本当に何しているんですかねえ…

  15. 7年前にバス(はぼろ号)で通りました。(例の最北の原油温泉に行く時に乗りました)
    確かに営業に見合う人はいませんでしたが、海を見ながら廃線に国策も考えられなかったのかなぁとは思いました。
    実は道路と鉄道は防衛の策の一つでもありますからね。
    あと、幌延の駅前ロータリー見て、あの何でも屋さんのおばちゃん元気にしているかなぁ、と思います。

  16. こんばんは〜羽幌線は運炭線のせいか レイル規格少しいいが なんせ 冬はかなり 吹雪きますが それさえなければ かなりいい路線だが やはり 大人事情廃線

  17. 廃止となった留萌駅の今を見ると心が痛みました、1990年台後半に豊富町の兜沼キャンプ場から小樽のフェリーふ頭に向かった時に
    留萌駅でそばを食べたことを思い出します、三泊駅の駅舎は今も残っているようで何故か安心しまし、
    配線後の羽幌線を一応訪問しましたが、作返仮乗降場だけは確信に至ったておらず次回を楽しみにしています。

  18. 長距離の廃線なんですね。オロロンと被る経路にこんな廃線が・・・。
    日高もやがては・・・と情景が重なって見えてしまいます。
    しかし、留萌駅が駅跡で紹介されてしまうのは、月日の経つ早さを感じます。

  19. サムネの沿岸バスに描かれてる娘、何というアニメのキャラなんすかね?🥰

  20. 小平に合宿で行ったのははるか昔。まさか留萌がなくなるなんて思いもよりませんでした。
    そのあと稚内まで羽幌線沿いに冬に中央バスで行きましたが寒々としていたことを思い出します。途中休憩で外に出て見た海は今も鮮明です。

  21. お疲れ様でした。道南の軌道屋ですが、長男が遠別の高校に通っていた際、年に数回沿線を走った事が有りました。
    現役時代こそ知りませんでしたが、ここに線路が敷かれていたであろう土盛りが観られ、興奮した覚えが有りますね。
    留萌本線や、増毛線が現役時代に通り掛かった際には、まさかこの様な事になるとは予想して無かった……
    廃線後、留萌の道の駅に行った時、付近の風景の変わり様に、この前迄、此処に線路があったとは思えない程、整備された状況になり、寂しく思いました。
    今後、更なる廃線が北海道内に迫って来る事と思いながら、日々の保線業務に邁進して行きたいと思いました。
    ひろりんさんも、遠方よりお越し頂き、ありがとうございました😊
    今後ともよろしくお願いします🙇‍♀️
    お身体ご自愛くださいませ 37:24

  22. 途中の駅名がアイヌ語由来とは思えないようなものもあり。
    つまり、元々から人の住んでいないような地域を抜け、道中の集落を点々と繋いで羽幌線を構成したのかな…と想像しました🤔
    これだけ痕跡が少ないと、「現状を可能な限り正確に記録する」ことのみをモチベーションとして探索したのかな…とお察しします😅

  23. 言う程、寂れていませんね、力昼とかを除けば。 特に漁港があるところはほとんど変わりませんね。

    聞けばニシンが戻ってきているのだとか…。漁業は農業や炭鉱より強いですね…。

  24. 昭和47年、高校2年生の夏休みに北海道周遊券を使って夏休みにはるばる姫路より青函連絡船で念願の北海道の地に立ちました。函館から北へ北へと急行列車を乗り継ぎ、急行るもいで留萌に到達したのは4日後でした。留萌から稚内を目指し急行はぼろで稚内まで乗り通しました✨。とても素晴らしい日本海の車窓を今でも鮮明に覚えています。動画にあった留萌駅の跨線橋❗️渡りました。懐かしいですね。

  25. 炭鉱と鰊が無ければここに住む理由が無い
    開拓地だから土地に執着も無いだろうし

  26. 小平の市街地国道沿いにあるバス待合所が、なんとなくローカル線の待合所っぽいのですがあれは羽幌線とは関係のないものなんですかね?

  27. 羽幌線の動画配信第一弾、ありがとうございます。
    この夏も行かれていたのですね。

    小平、力昼、古丹別、苫前… 寂しくなっていたり頑張っていたりそれぞれですが、鉄道の痕跡が少ないのが寂しいですね。
    私が羽幌線を完乗したのは1980年ですので、もう44年前になります。この長大路線が支線扱いだったことに、当時も驚きました。
    中編・後編も楽しみにしております。

  28. 羽幌線はJRになる前に廃止になったんですね トラックドライバーをしてた時は何も考えないで走ってました ニシン場のオロロンラインでしかありませんでした 今は沿岸バスがメイン(鉄道があった時から)でした 観音崎らいな 白浜ひばりのラッピングバスも可愛らしく好きなバスです この後の後編も楽しみに待ってます😊

  29. バスの後ろの、女の子のイラストは、いったい誰なんだろう…😅しかも、上半身はセーラー服、下はスクール水着???
    これは、たまに見かける「痛車」いや、「痛バス」?
    個人的に、この子の名前を考えました「羽幌渚」なんちゃって…😅。すいません、羽幌線となんの関連も無いですね…🙇‍♀️

  30. 僅かな切っ掛けでも他の人より過大に腫れる皮膚体質な為(それでも九州山地近辺への酷険道へは赴く事が在るが)、果敢に藪漕ぎ決行するひろりん氏を羨ましく感ず。

  31. 日本海を見ながらの、そしてオホーツク海を見ながらの北海道鉄道旅は出来なくなっているのですね。さびしいですね。

  32. 40年ほど前、神奈川県茅ヶ崎市の勤務先に高卒で入社してきた後輩が小平の出身でした。羽幌線で留萌の高校まで通学していたと聞きました。当時は羽幌線も辛うじて現役でしたが、今じゃ留萌駅も無くなってしまったのですから寂しいものですね。羽幌線跡を走る代替バスには、一度だけ乗りました。

  33. 廃線になる2年前に羽幌から乗りました😊

    曖昧な記憶ですが、高校生らしき集団が大勢乗っていたので、まさか2年後に廃線になるとは思いませんでした😢

    車窓から日本海を眺められ、印象に残っている路線です。

  34. バイクツーリングで走りますが鉄道遺構がけっこう残っていて、当時に思いをはせながら走っています。

  35. 定期的に羽幌線廃線跡が見たくなり拝聴しました!
    大変分かりやすかったです!
    子供の頃稚内から札幌に遠征に行く時はオロロンラインを良く利用してて日本海沿いを車と並走して走る汽車の姿が強烈に印象的でした!
    留萌駅が無くなった事でその昔北海道中に沢山あった炭鉱がエネルギー政策であっと言う間に姿を消した姿とローカル線が重なりました😢
    昔と現在の航空写真を比べて今は普通の森林も昔は人の息吹が沢山あったんだと思うと考え深いです。。

  36. 羽幌線。
    一度乗ってみたかった路線ですね。
    沿岸バスさんも厳しいようですし、これからは北海道西岸の街を訪れるのは本当車なしには不可能になりそう・・。

    自分は近々、宗谷線や石北線の廃止候補として名の上がっている駅やなりそうな駅を中心にめぐってみようと思っています。
    その時の頭の中に流れるバックミュージックはまさにひろりんさんの動画のBGMですね。笑
    天塩川や湧別川も見たくなりましたし、

  37. 線路がなくなった後に町規模が拡大した場所があるという皮肉…逆に集落ごと無に帰した力昼駅の儚さ…

  38. これだけ立派な鉄道ターミナルだった留萌駅を有していた留萌市が留萌本線なんかいらないから廃止でいいよ
    っていち早く廃止に賛成したのは悲しい気持ちになりました
    私個人的な感情としてはおそらく留萌にはこの先訪れることはないと思います

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