石の宝殿(石乃寶殿) 日本三奇の一つ 「連想編」(兵庫県高砂市)

“石の宝殿”は兵庫県高砂市にあり、日本三奇の一つと言われています。
生石神社の御神体となっています。
“石の宝殿”は7世紀頃に造られたのではないかと言われていますが、誰が何のために造ったのかなどの謎が多く、解明されていないことが沢山あります。
竜山石の石山を削って“石の宝殿”を造っている状態を目の当たりにすると、どれぐらいの時間と人員を要したのだろうと考えてしまいます。
“石の宝殿”を御神体とする生石神社の呼び方が「おうしこ(じんじゃ)」というのは何故だろうと不思議に思っていました。
今回いろんな画像や資料を確認していて、それのヒントになるようなことを知ることが出来て有意義な動画編集だったと思っています。 動画を作成する上で“石の宝殿”をじっくりと観察したことでいろんなことを知ることが出来ました。
“石の宝殿”は最終的にどうするつもりだったのかという疑問については、個人的に何処かに移動する予定だったという結論に辿り着きました。
それに至った一つの要因として、“石の宝殿(約470トン)”が造られたと言われる7世紀以前に世界では900トン以上の石材を約1km移動していたこともありました。(バールベック遺跡(レバノン 紀元前?))
同じように、石山を削って素晴らしい建造物を造っています。(ペトラ遺跡(ヨルダン 紀元前一世紀以前))
その他にも世界には現在で考えても不思議と思える石造物が沢山あります。
それらのノウハウがシルクロードやその他のルートを通って日本のこの地にもたらされたと想像しています。
日本の古典である万葉集に収まられている和歌で“石の宝殿”を取り上げているものにも注目しました。
その中に詠み人の一人である「生石村主真人(おいしのすぐりのまひと)」の「村主」を幾つかのAIで検索し、貴重な情報も得ることが出来ました。
動画は個人の連想的な動画になっていると思っています。
そのあたりは、くれぐれも御理解くださるようにお願い致します。

【動画の目次】
0:00 オープニング
0:45 “石の宝殿”との御対面
2:25 “石の宝殿”を周りから確認
3:00 “石の宝殿”側面(向かって左側)の壁の削り込み
5:20 “石の宝殿”下部の竜山石の層(大ズワリ)
6:25 “石の宝殿”屋根R加工部(地山側)
7:00 “石の宝殿”屋根突起部
8:30 “石の宝殿”屋根部の割れ
12:00 “石の宝殿”側面(向かって右側)の壁の削り込み
15:25 “石の宝殿”を周辺から確認
17:00 “石の宝殿”屋根R加工部(天側)の割れ
20:15 石灯籠(銘宝暦八年 西暦1758)
22:05 “石の宝殿”はどうする予定だったのか
26:10 おまけ情報(“石の宝殿”へのアクセス、山片蟠桃)
28:50 動画のまとめ
40:55 最後に一言

下記は公開しているお薦め動画です。
【書寫山 圓教寺(西の比叡山 文化財の宝庫 天台宗三大道場 書写山 円教寺) 兵庫県姫路市書写2968】
 書寫山 圓教寺は兵庫県姫路市の北部に位置する寺院です。 書写山全体がお寺(圓教寺)となっています。 圓教寺には多くの文化財があります。 その中でも、本堂の摩尼殿、大講堂、食堂(じきどう)、常行堂、開山堂、護法堂、護法堂拝殿、金剛堂、鐘楼など多くの国指定重要文化財があります。 圓教寺にお参りは、通常ロープウエイに乗ります。 この動画では、ロープウエイに乗ってから志納所で志納金を納めて鐘楼(慈悲の鐘)を見学しました。 その後、摩尼殿 ➡ 大講堂、食堂、常行堂 ➡ 不動堂、開山堂、護法堂拝殿、護法堂のルートで動画を編集しています。

【泉生山(せんしょうざん) 酒見寺(さがみじ) 行基菩薩開基のお寺(兵庫県加西市北条町北条1319)】
 酒見寺の開基は、天平17年(西暦 745)に行基と言われています。 日本史でいえば大化の改新(西暦 645)のちょうど100年後になります。 当初は、酒見寺の横に鎮座する住吉神社の別当寺だったそうです。 別当寺だった頃(明治時代以前)は、住吉神社ではなく酒見明神社と呼ばれていたようです。 天正年間の兵火により文化財はほとんど焼失しており、現在残っている貴重な文化財は江戸時代以降のものです。

【隠れキリシタンの里と言われる兵庫県加西市を訪ねる(Visit Kasai City, Hyogo Prefecture, which is said to be a hidden christian)】
兵庫県加西市の羅漢寺の石仏をゆっくりと拝観してから、大日寺、多聞寺と西脇市の西林寺の隠れキリシタンの人たちが
お祈りしていただろうと思われる背面十字架地蔵像を拝見しました。 兵庫県の加西市周辺はその歴史的な背景があって、隠れキリシ
タンが沢山居たそうです。 キリシタンが、当時の為政者に翻弄された結果として、隠れキリシタンになった訳です。 体制
に阿る者は、棄教と言う道を選んでいます。 名を知られた武将の中でも、キリスト教を棄教した黒田孝高(官兵衛)や、信仰
を守り通した高山右近など、様々でした。
  https://youtu.be/1Laq5Yt4CRw

【能・狂言の始祖 秦河勝を祀る赤穂 大避神社 (Akaho Ohsake Shrine, which enshrines Hata no Kawakatsu.)】
秦河勝は聖徳太子の側近と言われ、太子開基の寺の建立などに尽力したことが兵庫県加古川市にある鶴林寺の案内板などに
書かれています。 河勝は猿楽(現在の能・狂言)の始祖と言われ、大避神社の絵馬堂に沢山の絵馬が奉納されています。
絵馬は坂越の港に関わる海上安全など願って納められたものや、河勝が猿楽の始祖に因んだ絵馬も奉納されています。
 https://youtu.be/1Laq5Yt4CRw

【工楽松右衛門旧宅周辺~工楽松衛門一族が尽力した波止(防波堤) Around the old residence of Kuraku.
Matsuemon.】
ウィキペディアによると「工楽松右衛門(寛保3年(1743)~文化9年(1812)) は、江戸時代の発明家、実業家。 現在の兵庫県高砂市に生まれ、兵庫(現在の神戸市兵庫区)で廻船業を経営するかたわら、帆布(松右衛門帆)を発明し、築港工事法を考 案して、択捉島の埠頭や箱館のドックを築造しました。これらの業績によって、日本の海運を支えました。
高砂神社に松右衛門の銅像が建てられています。」
 https://youtu.be/_hdw_JQQaDg

#石の宝殿
#生石神社
#巨石信仰 #
#兵庫県
#高砂市
#竜山石
#日本の謎
#ミステリー
#古代史
#神話
#万葉集

Write A Comment