物部の祭祀に欠かせない「鏡」、鏡造り部が祀るその神社を辿れば物部が分かる

物部の祭祀に欠かせない「鏡」、鏡造り部が祀るその神社を辿れば物部が分かる

掴みどころの無く謎に包まれた物部、初期の大和王朝に彼らの存在は欠かせない、神武神話のモチーフとなった物部第一次、第二次東征、その目的は何だったのか?徐福が祖であるとの出雲王家の口伝伝承は王家(富家)の伝承である限り主役は出雲族であり物部は敵である事を差し引いて見れば、彼ら物部にも大義はあるようにも見えるし自ら崩壊した磯城王朝のそれぞれの人間模様も見えてくる
今回は一つの重要な物部の象徴である「鏡」神獣鏡から彼ら物部の正体に迫る第一弾の位置付けとして美作の一の宮「中山神社」の魅力と共にお楽しみいただきます
#物部, #鏡造りの神, #中山神社、

4 Comments

  1. お早う御座います♪ 凄い赤欅… 高く売れそう、多分何百万とかって〜 オッと〜失礼しました。御神木ですもんね😂

  2. 中山神社⛩️に行きましたが、猿神社が良かったですね!物部は一つではないと思います。銅鏡は道教の匂いを感じる。北極星信仰も道教を感じますが、こちらは海洋民族の香りがします。北極星が見えなくなりオリオン座の時代もあり海洋民族も色々いるのでしょうね!石上布都御霊神社が岡山にありますが物部さんが神主。剣を祀っていますが御神体は磐座。星が関係している感じがします。楯築遺跡も石の先に白い粉をつけて宇宙との交信をしていたような気がします。古代は思っている以上に通信技術発達していたのかも。岡山には出雲の爪痕物部の爪痕海洋民族の爪痕加茂や忌部もあり多重構造ですね。考察を楽しみにしています。

  3. 物部はめちゃくちゃ怪しいんですよね。何でもかんでも物部系にしちゃっている感じが怪しすぎなんですよねェ〰星神信仰から月神信仰に移りその後イクメが出雲の太陽信仰に移って行きますね。そうすると元々の星神信仰ッてどうだったのか???秦の始皇帝が星神信仰だったのを徐福が真似た???そう考えています。そんな簡単に信仰をコロコロ都合良く変えられるのか???何ですよ。あるYou Tubeでイスラエル大学???のシュメール研究をやっていた日本人が言ってたんですが、はた(秦)はシュメールゴルフだかで、脱落した人とか集団から見捨てられた。みたいな意味が有るそうです〰確か??? そうするとどの一族から離脱、脱落したのか??? 俺的にはクナトの一族じゃないかなぁッて、クナトの一族がエジプトからの人達だって言うのは出雲の伝承に直接書かれてはいないんですが、多分でしょうねぇ~ 匂わせていますからねェ〰しかも可也。出雲の事代主、スクナヒコは中国神話か何かでフッキとジョカの子孫ではないかッて言っているYou Tubeも有るし、可也濃厚だとも言えると思います。ただ明らかに違うのは出雲系と徐福、物部、秦系は、DNAが全然違うとか、宇佐族、出雲族ではそんなに薄まらなかったDNAが古墳時代あたりから現代日本人みたいに薄まってしまった??? コレは徐福、物部、秦が、縄文人とは違う、即ちユダヤと違う種族だと言うことなんですよね〰 そんなこんなで俺的には徐福物部秦系は何処ぞの信仰や何やらを真似たんじゃないかって、そう言えば徐福ッて杖持って無かったですよね~アロンの杖〜???  大元出版の上宮太志と法隆寺で富さんが既にあの時代キリストの話は伝わっていたって、言ってましたねェ〜 それを利用したのが物部と秦だって思っています。あの大陸の人達って今でもそうじゃないですか、何でもマウントを取りたがる!!!😮

Write A Comment

Exit mobile version