野辺地
野辺地湾に面した下北半島の付け根に位置する町。地名はアイヌ語「ノンベチ」(野の中を流れる清い川)に由来するといわれる。1671(漢文11)年から明治維新まで、南部藩の商港であり、蝦夷松前への渡航基地として繁栄した。当時、現在の浜町付近には銭屋五兵衛・野村治三郎の千石船が常時十数隻停泊していたといわれ、尾去沢の銅や南部藩の産物を積みだした。1891(明治24)年東北本線、1921(大正10)年大湊線の開通により、港勢は衰退した。1955(昭和30)年日本燃料野辺地工場の操業により、港は活気を取り戻した。
旧市街は、港のある浜町から台地上の新町・本町にかけて形成されており、本町通りの北端に明治42年に移転した野辺地遊郭があった。現在、古い建物が2ヶ所に残っていて、一つは旧大万旅館、もう一つは旧旅館福よしである。いずれも現在営業はされていないものの建物からは往時をしのぶことができる。いずれの建物も和洋折衷で、基本は和でありながら、随所に洋風意匠が施されている。
浅虫温泉
青森湾に面し夏泊半島の西側付け根に位置する温泉町。夏泊半島の東側にある野辺地は南部藩領であったが、西側は弘前藩領で、藩領内にあった温泉18か所の一つとして、藩主の御休所が設けられていた。1891(明治24)年に東北本線が開通し浅虫駅が開設されてから温泉街は急激に発展し、家数人口共にそれまでの倍に増えた。青い森鉄道(旧JR東北本線)と海岸線との間を通う旧奥州街道に沿って大型の温泉旅館が並んでおり、中でも辰巳館が伝統的な建物で目立っている。温泉街としての風情は、浅虫川に沿って山方向に入っていったところで、古い旅館建築や共同浴場が見られる。温泉街にある夜の飲食店街は、現在は見られないが、おそらく浅虫川沿いから駅の南側にかけてあったものと思われる。
集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm
2 Comments
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