倭国大乱の始まりは孝霊天皇の吉備への逃避から始まる
孝霊天皇の吉備への逃避、それは偶然にも吉備王国の始まりとなり、ヤマトの磯城王朝はその時点で天皇(大王)がいなくなった、後に物部との共同でクニクルの孝元天皇(大王)が始まるも、太田タネヒコ、モモソ姫の三輪山祭祀信仰に屈することになる
世に言う、和国大乱である
そんな中で今まで殆ど注目されなかった吉備王国、そしてその中心にある
吉備の中山、ここに眠る歴史のレイヤーにリアル神社チャンネル(kanji-kun)
ならではの独自の視点で吉備王国を揺り起こそうとしている
痛快な謎解きを是非お楽しみください
#吉備王国, #吉備の中山, #孝霊天皇、
4 Comments
こんにちは。吉備津彦の終焉の地ですね。本名は木眉津彦で和歌山の木の国の眉山の生まれでももそ姫と一緒に吉備の温羅(うら)征伐後に吉備津彦に改名し吉備の国のスタートになってます。また、ももそ姫の終焉の地は香川県の倭(い)の国讃岐で陵墓も実在してます。
キビ軍の出雲侵略戦争において、負けた出雲兵は伯耆戦では「鬼👹」に、出雲戦では「ヤマタノオロチ」に例えた神話物語となった。敗者・出雲王国から受け取った「青銅のインゴット」を持ってキビツ彦兄弟は、吉備中山に凱旋した。四道将軍派遣話は、逆に追討・逃避した人物です。
社が大きいって事は、それだけの権力が有ったッて事でしょうね〜
7代目の神武さんねェ〜
素晴らしいですね。
ありがとうございます♪
【吉備児島】がここだったのですね。
そうして見ると納得です。
いい感じに入江で護られていますね。
玉野市のある大きな島が
防波堤のように抱き込み、
重要拠点を置くには
いいポジションだと思います。
こちらの大きな島にも
沢山の磐座が造られており、
この瀬戸内の島々は
古来から多くの人たちが
海を行き来しながら、
住んでいたと思われます。
吉備津彦らがやって来る以前、
出雲王国領だったと
言われていますが、
龍神信仰が見られるところからも
その名残りが見受けられます。
そして、
宇佐家の伝承では、
古代は西日本全体に
ウサ族が繁栄していたと
言われていますが、
【その首都は吉備であった】と
伝えられているのですね。
だとしたら、
おそらくここでしょうね。
古事記にあえて記されるということは
とても重要な地域であったと
思われます。
ウサ族は出雲族の南下により、
排除されてゆきますが、
おそらく、
出雲族がやって来る以前から
あっただろうと思われる磐座群は
そのまま聖地として
信仰されていっただろうと
想像します。
そこにその後やって来た
フトニ王勢も
同じようにこの島を拠点としたのですね。
多くの時代の
それぞれの氏族の物語が
ここにレイヤーとなって
映し出されている
素晴らしい動画でした。
ありがとうございました。❣️