@2023年7月22日@伊豆湯河原温泉納涼花火大会@湖西手筒花火保存会による手筒花火@その3@20:29@遠州手筒花火
最後の手筒花火。手筒花火が揚がっている最中にその明かりの中で、花火師さんたちが手を振り挨拶している場面があります。
手筒花火は愛知県東三河地方を中心に伝わる花火で、450年以上の歴史があります。
豊橋が発祥の地と言われる手筒花火は、直径10cm、長さ約80cmの節を抜いた孟宗竹に縄を巻き締め、黒色火薬に鉄粉を加えた火薬を詰めて噴出する東三河地域独自の花火です。揚げ手が筒を脇に抱えるように持ち、巨大な火柱を噴出させ、最後に「ハネ」と呼ばれる炎が大音響とともに足元に吹き出す勇壮な花火です。五穀豊穣、無病息災、悪疫退散、家運隆盛、武運長久を祈る奉納行事として豊橋市内の数多くの祭礼で揚げられています。また、この手筒花火は、揚げ手が自ら竹の切り出しから火薬の仕込み、詰め込みまですべて行うことが特徴です。
手筒花火の原型は、情報の伝達手段である「狼煙(のろし)」と言われています。市内にある吉田神社の古文書に「吉田天王社の祭礼花火に始まる」「永禄3年(1560年)、当時の吉田城城代により花火が始まった」とあり、祭礼で花火が揚げられたと記録されています。全国的にもかなり古い歴史を持ち、なかでも手筒花火は、吉田神社が発祥の地と言われています。
戦国時代に登場した花火は、江戸時代の元禄期以降庶民に広まったと言われ、この地域が盛んになったのは、徳川家康が三河衆に火薬の製造を任せたことが花火の発展につながったとも言われています。
その後、1734年に奉納花火として一般に観せたのが始まりと言われています。
天照大神が、天の岩戸から出る際、灯明をかざして道案内をしたという猿田彦伝説をもとにしたと言われており、新居町のみで行なわれていました。
その後、遠州浜名湖周辺に広がり、愛知県東三河地方とともに手筒花火が盛んになっています。
遠州湖西手筒花火保存会による手筒花火(新居町も今は湖西市内です。遠州湖西の新居花火保存会もあります。)。花火の揚げ手が花火の筒を脇の横に両手でしっかり抱えるように持ち、巨大な火柱を噴出させます。最後に羽と呼ばれる火柱が大音響とともに足元に吹き出す勇壮な煙火です。
「遠州新居の手筒花火」は、静岡県湖西市新居町新居に江戸時代から約300年続く夏祭りで、町内にある諏訪神社に奉納される伝統の花火である。 三河地方の手筒花火にはハネ粉を入れ、最後に底が抜けるため不動の姿であるが、新居の花火にはハネ粉を入れないので自由に練り歩き、次から次へと点火する。