日本百観音めぐり「坂東三十三観音」の旅に出発しました。
水戸駅近くのホテルを拠点とし、久々のレンタカー移動の旅です。
8日目の目指すお寺は21番札所の「日輪寺」です。
続いて栃木県益子町の20番札所「西明寺」、益子焼のお土産を購入した後
23番札所の「正福寺」を訪問いたします。
那珂湊おさかな市場も散策してまいりました。

動画をご覧の皆さまが、旅行気分を味わっていただけたら幸いです。

【日輪寺】
寺伝では、白鳳年間(7世紀後半)に修験道の開祖である役小角(えんのおづめ)が
創建したと伝えられています。
その後、廃寺となっていましたが、大同2(807)年に弘法大師空海みずから
刻んだ十一面観世音の霊像を本尊として再興され、永延3(989)年には観音霊場のひとつとなりました。
平安から鎌倉にかけて修験者など行者を中心に霊場化し、特に鎌倉時代からは
坂東二十一番札所として不動の信仰を得ることとなり、江戸時代には
幕府は寺領として朱印七石を与え、光圀公も本寺維持に意を注いで援助したといわれています。
文明年間には、本堂内に総欅造りの大伽藍、地蔵堂など堂宇のすべてが
揃っていましたが、寛永20(1643)年の火災によって焼失し、
万治3(1660)年に再建されました。
明治13(1880)年には山火事に遭い、本尊を残して再び焼失しましたが、
現在では本堂も再建され遠近からの参拝者で賑わっています。

【西明寺】
益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。
西明寺はその南斜面の中腹にあります。 正式名称は「獨鈷山普門院西明寺」。
益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、
紀一族が益子に移り住み、西明寺の地「権現平」に紀貫之を祀ったことから始まりました。
その紀貫之夫妻の像は現在、西明寺本堂の奥に安置されております。
益子の西明寺は本堂厨子、三重塔、楼門の国指定重要文化財をはじめ、
弘法大師堂、鐘桜堂、そしてユニークな「笑い閻魔」で親しまれている閻魔堂があります。

【正福寺】
白雉2年(651年)粒浦某という猟師が、佐白山を守る白い3つの動物に導かれて霊木を感得し、
千手観音像を刻み、三白山三白寺三白院と名乗ります。
後に寺号を三白山正福寺と改め真言宗寺院として孝徳天皇の勅願寺となりました。
鎌倉初期には身分の高い者達によって観音巡礼は行われ、
この頃坂東霊場は作られたのではないかと推測されてます。
正福寺は佐白山頂に建った笠間城の祈願寺と定められましたが、
後に笠間城が廃藩置県により取り壊され、正福寺は後ろ盾を失います。
明治3年の廃仏毀釈の法難に遭い七堂伽藍は焼失。本尊諸仏は難をのがれ近隣寺院に預けられ、
昭和5年に現在地に本堂が再建されました。
一時寺名を佐白山観世音寺と称しましたが、平成24年に正福寺と改められ現在に至ります。

1 Comment

  1. お久し振りです。昨日、東京から茨城県に行きました。23番は御朱印の種類が沢山ありますね。一般道で行きました。

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