釧路町の海崖の切れ目に小さな集落が点在する。その一つ、アチョロベツ(現在の城山)の海岸には4~5mくらいの高い場所に不気味なトンネルがある!現地探索と机上調査で通行者や経緯を推察した。不思議で美しい海岸美もお楽しみください。

〇出典
・釧路町HP http://www.town.kushiro.lg.jp/introduction/ayumi.html
・釧路町要覧1978 
・ニュース映画あの道、この道1958 https://www.youtube.com/watch?v=ECjgyLt7AbY
 跡永賀(アトエガ)‐十日瀬間(トマチセ)の海岸を人々がリュックを背負って波を避けつつ進むシーンに注目
 私と同じく危なっかしいです

〇参考 釧路町と釧路市がなぜあるのか?
 【ずんだもんが解説する】なぜか同じ名前の違う街が隣り合っている地・釧路
 https://www.youtube.com/watch?v=JTvYifXIg9E&t=10s

〇音源出典
・Free BGM 甘茶の音楽工房
 [彼方の宇宙] [Flare]
  https://amachamusic.chagasi.com/
・YouTube Audio Library
 -Away by Patrick Patrikios

〇効果音ラボ https://soundeffect-lab.info/

〇使用機材 GoPro9, Insta360 onex2, DJI Air2s

〇おすすめのチャンネル
・どらへび dora hebi @-dorahebi
 道内の道のドラレコが助かります。初めて走る道はここで予習。
・RISA RISE /りさらいず @risarise5831
北海道のアウトドアを一年中遊び倒すCh. RISAさんも、映像もきれい。
・北海道を旅するサカイ @sakai55
 道内を独りドライブ、毎回旅情を感じさせる。カメラワーク凝ってます。

#廃道
#廃トンネル
#釧路町

18 Comments

  1. まだ道が成立してない時には往来していた場所なのでしょうかね?
    せっかく釧路なら、プチドールさんのプチプチたまごをご賞味して欲しかったですね😂
    まいうー!ですお馴染みの石ちゃんも絶賛のスイーツです。

  2. もう少し釧路市内寄りの三津浦には
    旧海軍の特攻舟艇基地跡がありますけど
    こっちもトーチカ的な使い方もされたんでしょうかね?

  3. 波を被りながら通学なんか嫌ですね(笑)
    天気や足場が良かったらもう少し行けたのでしょうか・・

  4. お疲れ様でした。
    これまた凄い場所ですね☺️
    岩場で滑ってコケないかと
    ヒヤヒヤして観てました😅
    干潮だと近付けるんでしょうか?。
    引き続き運転と探索は
    後安全に☺️👍🌈🍀

  5. 道東らしさ、霧がかかって砂の色も茶色っぽくて海もちょっと荒い!昔の本州から来た開拓の人の苦労は想像を絶する!道産子でさえ釧路方面は夏でも涼しいというよりは寒いくらい佐賀県?冬はさぞかし大変だったことでしょう。素彫りのトンネルは、少しでも波打ち際を避けようとする努力が胸に来ます。確かに現代でも危険ですね、お疲れさまでした(^-^ゞ

  6. 探索お疲れ様でした \(^o^;;)
    Steelさんの冒険心をくすぐる穴でしたが、上げ潮時は危険ですからあそこまでで十分ではないでしょうか?
    それにしても昔の開拓民は凄い精神力だったのですね、あのような所が道とは・・イヤハヤ

  7. 今回も遠方迄、お疲れ様でした🏍

    バイクで釧路…ちょっと想像のつかない疲労度ですが…後燃費も気になりました。

  8. 海岸のトンネル、向こう側の光が見えるので崩落はあるようですが貫通はしているようですね!通行するなら、装備が色々と必要な感じですね。

  9. トンネルが貫通しているのも驚きですが、形状が房総半島などで良く見られると聞いている五角形というのが気になりました。地質的なものなのか、工法的に何か事情が有ったのか?

  10. 霧・潮・落石・滑る海藻、四重苦の中お疲れ様でした。相棒の隼君も霧まみれですね。

  11. 昆布森海岸散策お疲れ様です。安定の『ジリ』ですね~
    難読地名看板が青色に付け換えられてるのが悲しいです

  12. こちらの動画を見忘れてて、10万キロ達成動画から来ました!
    『あの道、この道』は私も4年くらい前に見て衝撃を覚えました!しかもあれ「動画」ですからねぇ。かなり貴重で無二の映像ではないかしら…。「跡永賀~浦雲泊~十町瀬」を結ぶれっきとした道(現在廃道)だったようですが、その先十町瀬~昆布森間は地形的に海岸線を辿るのは無理っぽいので、そこは山中を通っていた可能性が高そうです。

  13. 昔の地元研究本「釧路叢書 釧路炭田」によりますと(以下要約)…。

    跡永賀(当時は村)には、明治時代に日本炭砿が出炭した『跡永賀炭鉱』があって、地表炭を船積みで運んでいたそう。大正9年の大洪水時に山崩れにより死者の出る災害に遭うもその後復活。昭和18年「弱小炭砿整理令」が出るまで年間千トンくらいの出炭量があった。戦後点々と人手に渡りながら、昭和26年に再出願し『細川炭砿』として本格的に再開するも出炭量は戦前には及ばず、浜辺に貯炭して釧路と厚岸に船で運搬。この炭砿は発破も使わず手堀の典型的な狸堀りで、通期や排水は自然任せ。構内外の運搬は手押しトロッコで馬は一時的にのみ使用。浜辺の貯炭量が放置で増えると、漁師と昆布漁場との間でいさかいが絶えなく、昭和33年に閉山…。との記載がありました。

    蛇足ですが、同じお隣の十町瀬やチヨロベツにも戦前の小さな坑跡を再開発した小さな炭鉱が戦後にできたそうですが、長く持ちこたえられず消滅したそうです。

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