今回は今まで巡った廃線跡で、かつては駅を中心に形成された街(市街地、集落)が消滅、もしくは著しく衰退してしまった場所を駅跡を中心に紹介していきます。
9回目の今回は羽幌線(1987年廃止)の大椴駅跡と築別駅跡です。現役時代は共に木造駅舎がありましたが、末期は無人駅となっていました。築別駅は1970年までは羽幌炭礦鉄道が分岐し急行も停車する主要駅で、駅前には市街地が広がっていましたが、今は・・・。
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html
29 Comments
就職前の2000年頃まではここも含め北海道各地を周れる事ができたんですが、なんというかその頃と比べてすら劇的に変化してるような…
築別や、南大夕張も路線自体はとっくに廃止されてましたけど、まだ一応の生活の気配はあったと思うんですよね…
更に20年たったら本当にどうなってしまうのか… これからも動画配信キチンと観させて宜しくお願いします
苫前ベアが、怖過ぎです~🐻💦
北海道の路線もたくさんあったのに、留萌本線もあと数年で全線廃線となるのは寂しいです
自然に、還ってしまいました〜あとは、オッフ〜の連続です🐻💦
ちょっと大袈裟だけど、昔は列車があるからどこでも行けると思ってたのにね
こんばんは。こうして北海道の様々な地を見ていくと、道東と道北はもはや危険水域ですね。道東は帯広以東、道北は旭川以北。妥協しても名寄まで。釧路もすでに危険水域かと。
北海道の近未来は、大きく2つに分断されてしまうかもしれません。それも道の人口の8割くらいが札幌と旭川に集中し(それ以上になるかも)。なんだか、恐ろしくなります。
お疲れ様です!
元大椴駅裏山はスキー場にでも使ってるのですかね🤔
シックナーはわたあめ機に見えてしまいました😂
築別のおっふぶりが凄すぎる。
確か急行はぼろ停まってましたよね?
記憶が曖昧ですが、急行はぼろで乗車し、築別の硬券入場券が自宅のどこかで眠っている事は覚えています。
こんな状態の旧羽幌線も、1980年の輸送密度は1日789人いたそうで、現在のJR北海道の黄線区クラスの密度でした。現在の黄線区路線の沿線もこのまま行くと、40年後は存続どころか至る所で廃墟だらけになるかもしれないという恐怖を感じます。
やはり、ひろりん様の「おっふ」が無いとイマイチですねぇ〜(笑)
実際の北海道の各地がこの状態。結局、道内各地から札幌に集中したけど、昨年にはついに札幌人口がマイナス。
でも元々、札幌に住んでいる人たちは全く衰退なんて考えてないですよね。これ怖い。
この現象は東北の仙台集中、九州の博多集中と同じだけど北海道は他の地域以上に厳しいですね。
廃線は残念ですけど、今回の駅跡周辺を見ると当たり前かと思ってしまいます。
市街と呼ぶには・・・ですね。
ドローン画像、とっても判り易くて良いですね。
出だしのクマ、夢に出そうです。標茶かと思いました!
ドローンでの空撮は迫力があります、もし現地に行ったとしても普通には見られない景色です
今回も貴重な映像をありがとうございました
羽幌線の取材をご苦労様でした。私も、平成10年に稚内からの自転車🚲旅行の帰りに8月8日に宗谷本線安牛駅を朝出発して、南幌延駅、上幌延駅、幌延町を撮影してから国道232号線を留萌方面に南下しました。ちょうどこの時は羽幌線の現状の資料が無かったので、当てずっぽうで駅跡を探しました。急行はぼろ号の停車していた天塩駅、遠別駅、初山別駅、羽幌駅、古丹別駅などは、羽幌線の転換交付金を使って、鉄道駅を壊して、バス駅が建てられてました。小平駅は羽幌線転換交付金で公園になりました。駅前の倉庫や駅前通りは羽幌線があった頃と変わってませんでした。普通列車が停車していた三泊駅は、羽幌線時代と変わらなくて懐かしかったでした。他は探して見ましたが、ぜんぜん見当たりませんでした。せいぜい鉄道の痕跡があったのはトンネルか鉄橋ぐらいしかありませんでした。この日は小平町に泊まって、8月9日に小平町を出発して、三泊駅を見て、留萌駅では、JR北海道旭川支社の企画列車のキハ40を使用した臨時列車サイクリングトレインを撮影して、留萌本線の終点の増毛駅まで行き、国道231号線を南下せずに、留萌方面に再び戻り、大和田駅、藤山駅に泊まり、8月10日には幌糠駅、峠下駅に寄って、国道233号線で北竜町碧水から国道275号線を南下して札沼線の撮影をしながら札幌に帰りました。道北の2週間に及ぶ長旅は、今思うと、廃線になったり廃駅になった所も多いので、一生に心を焼き付いたので、行程はきっかったけども充実した旅でした。
ひろりんさんの動画を見ると、哀しさ、寂しさ、懐かしさなど、様々な思いが去来し、時には涙を流してしまいます。
築別はおそらく鉄道員の町だったんでしょうね。炭鉱が消え鉄道が消え、人も消えた。
羽幌炭礦鉄道の気動車は平成まで茨城交通湊線で現役でした。
石炭輸送で羽振りが良かった時に国鉄キハ22と同系の車両を購入したものです。
その頃は町も賑わっていたことでしょう。
使い道の無い土地や人が棲んでいない土地が自然に還って行くのはある意味健全なのかもしれない
かつて築別からの運炭列車で賑わった南の分岐点・留萌は鉄道のない街になり、北の分岐点・幌延も路線消滅の危機に瀕していますね。
盲腸線ではない長大路線が消え、その起終点の路線も消えるという例は、あまりないと思います。宗谷北線(名寄~稚内)が部分廃止にならないことを祈るのみです。
やくざだらけの町だった今は薄野に移動。いらない町。夕張と同じ。
今回もいいおっふを見せていただきました…😯
歴史にイフはありませんが。今でもエネルギー改革が進まずに国内産の石炭がガンガン火力発電や暖房に使われていたりしたら、これらの町も路線も今でも機能していたのかな…などと、ふと考えてしまいました😗
しかし、大椴は読めん。木偏は難しいですね😣
産業がなければ鉄の有無に関わらず廃れる。それだけの話ではありますが
寂しいですね
ご苦労様です。楽しみ見てますがやはり廃線が多くなっていますね。私が北海道に旅行に初めて行ったのが19歳車で歩きましたがその時はほとんどの路線がありました。そしてもう40年以上経過してますが幹線以外は廃線になりました。赤字だから。。。残念ですが維持継続が難しくなりましたし今は移動に電車ではなく個々の車移動がメインです。わたしの住んでいる所もバスですが便数が減らせれ朝から夕方まで数本です通勤通学も車の生活寂しいですね駅がなくなり街が無くなり自然に帰っています、大家族が無くなり個々の生活空き家が増えています後数年で私の実家も無くなるでしょ、、、子供の数もなくなりどうなことでしょか、、、田んぼも一度休むとすぐに自然に帰り自分の行き着く所が無くなり悲しいですねこれが現状です
羽幌線…私が乗り通したのは1985年だったと思います。青春18きっぷで幌延から留萌まで南下しました。当時はキハ22で2両か3両だったと思います。夏場だったので7割くらいの乗車率だったと思います。大学(本州)には羽幌出身の同級生が居ましたが、卒業後にはご家族共々大学の所在地(某政令指定都市)へ…炭鉱が閉山する直前までは人口3万人居て羽幌町が市制施行しようとしていたと聞いています。今や最盛期の5分の1くらいでしょうか。留萌振興局の所在都市である留萌市でも鉄路がなくなる時代…
攻めの廃線を公言する知事、北海道を後にする住民、鉄道よりも道路を求める自治体。札幌ですら人口減少ですから、北海道の行く末は壮大なおっふなのかも知れませんね。
数年前に廃駅巡りでここを訪れた際、8:13に映る御宅の方から「ちくべつ」の駅名標を見せていただいたことを思い出す。
羽幌線と築別炭鉱、好きなんです。自分も近年、映像場所を含む羽幌線駅・乗車場跡全てを訪れました。
でも今は留萌を除いて、駅舎が残る駅跡はありませんよね(元々駅舎が無い駅も)。残っているのはトンネルと橋梁のみでしょうか。
線路跡を探して運行当時の面影に思いを馳せ、その薄れてゆく寂しさがまた、羽幌線(廃線)の魅力なのかもしれません。
見ていると切なくなりますね…
それにしても駅名が読めないですね、ふりがなを振ってもらえると嬉しいです。
北海道に又人口が戻らないのかなぁ。人の数が増えて鉄道の利用者が増えるといいですよね