@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-26 @POPEYEMagazine: 「芯をもって自分が面白いと思うことを目指してやってる先輩がいた。だから男臭いのも、キャーキャー言われるのも、どっちも不正解ではないと思いましたね。ただ僕は男臭い…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-25 @POPEYEMagazine: 「大人としての狂言修業の真っ最中だったなと思います。ゴジラで言えば、第3形態から第4形態になった頃というかね(笑)」(野村萬斎さん) 最新号は「二十歳のとき、何…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-24 @POPEYEMagazine: 「20代はギリギリ青春だと思っていました。明日は明日の風が吹くってね。本気でやんなきゃいけないって思ったのは30代になってから。それでいいんですよ(笑)」。長年…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-23 @POPEYEMagazine: 「宮沢さんとかせいこうさんとか完ちゃんとか藤原ヒロシ君とかみうらじゅんさんとか、そういった人たちに気に入られて面白いことしたいだけだったから。そういう意味では、…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-22 @POPEYEMagazine: 「それまでの私は大学生なのに、読者に素敵なものを与えてあげられるようなすごい人になって、ある意味では下に向かって書かなくてはいけないと思い込んでたんだと思います…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-21 @POPEYEMagazine: 「代表候補から外れたという連絡が入った直後に、すぐ練習場へ向かっていました。時間がもったいなくて、成人式にも行かなかったくらい」。車いすバスケットボールプレーヤ…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-21 @POPEYEMagazine: 「『お前は何をやりたいんだ?』って聞かれれば、『俺か?俺は役者だ』って答えてたけど、何か勉強しているかといえば『うーん、何もしてない』っていうね(笑)。とにかく…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-20 @POPEYEMagazine: 「29歳のとき、伊達に『もうやめないか』って切り出したら『まだ早いよ』と即答されて。『そっか、もう少し頑張ってもいいんだ』って素直に思えた。本気の挑戦をしなかっ…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-20 @POPEYEMagazine: 「二十歳のとき、自分の思うことを貫けなかった。自分のやりたい打ち方、考え方で野球に向き合えていなかった。良くなる感覚がまるでつかめない状態でした」(横浜DeNA…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-19 @POPEYEMagazine: 「破天荒なロックスターに憧れたけど、それをやっていい人といけない人がいるんですよ。二十歳のとき、そもそも自分は真面目な人間なんだって観念しました」(never …
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-18 @POPEYEMagazine: 「基本的に僕らの暇つぶしは外向きで、常に『俺らの暇つぶしを見てくれ!』という精神があった。そのときに瀧との間にできた“共通言語”が、その後の活動につながっている…
@POPEYEMagazine @POPEYEMagazine 2018-02-17 @POPEYEMagazine: 「一個わかったのは、自分のやりたいことを続けておくといいことがあるってこと。無駄なことなんてなくて、やったら返ってくるんですよ。くすぶっていた“あの頃”も、きっ…