脳内で「条件刺激」を伝える具体的な神経細胞や神経活動の詳細は不明だった

京都大学は1月13日、海馬内で文脈情報を表現すると考えられる記憶痕跡(エングラム)細胞に特有の神経活動が、条件刺激として働くことを明らかにしたと発表した。この研究は、同大情報学研究科の寺前順之介准教授、九州大学大学院理学研究院の松尾直毅教授、小林曉吾助教、曾我部蓮氏(システム生命科学府大学院生)らの研究グループによるもの。研究成果は、「PNAS(米国科学アカデミー紀要)」に掲載されている。


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パブロフの犬で有名な条件付けは、100年以上前にロシアの生理学者イワン・パブロフによって報告された基本的な連合学習である。例えば、犬にベルの音を聞かせてから餌を与える訓練を繰り返すことで、次第に犬はベルの音を聞くだけで餌をもらえることを予測し、唾液を分泌するようになる。この場合、ベルの音を「条件刺激」、餌を「無条件刺激」と呼ぶ。つまり元は中立で意味を持たなかったベルの音が、条件付けの成立後には餌を予測させる合図や前ぶれの信号になる。条件付けが効率よく成立するためには、条件刺激が無条件刺激よりも時間的に少し(一般に0.5~数秒)先行して与えられることが必要で、両者の提示タイミングが重要であることが行動学的に知られている。しかし実際の脳内で、条件刺激の信号が具体的に、どの神経細胞の、どのような神経活動状態により表現されているのかは不明だった。

また近年の研究によって、条件付けなどの学習・経験により脳内に形成される記憶は、記憶痕跡(エングラム)細胞と呼ばれる一部の神経細胞間のネットワーク状態として保存されると考えられている。記憶痕跡細胞は、目に見えない記憶の実体とも言うべき重要な細胞集団であるため世界中の研究者から注目を浴びており、その神経活動の理解は極めて関心の高い問題である。しかし、記憶痕跡細胞は、学習による神経刺激によってc-fosなどの最初期遺伝子群が発現誘導されることを目印として同定されるため、学習前や学習中には、どの細胞が最終的に記憶痕跡細胞になるのかはわからず、その活動動態や役割もいまだ不明である。

条件付け学習中における、海馬の記憶痕跡細胞の神経活動動態を計測

研究グループは今回、条件刺激の脳内神経基盤を明らかにするため、マウスの文脈依存的恐怖条件付けをモデルとして研究を行った。文脈依存的恐怖条件付けでは、文脈(電気ショックが与えられる環境)が条件刺激、電気ショックが無条件刺激であると一般に考えられているが、文脈は多様な感覚情報によって構成されるため、文脈情報を表現する神経活動の実体は謎であるのが現状だ。

文脈の記憶は海馬で形成されると考えられていることから、研究グループは「海馬の記憶痕跡細胞が特定の文脈を表現しているのではないか」と考えた。そこで、超小型の内視型蛍光顕微鏡を利用したカルシウムイメージング法により、条件付け学習中における海馬の記憶痕跡細胞の神経活動動態の計測を行った。

無条件刺激の提示1~2秒前に記憶痕跡細胞が活性化、神経活動が高いほど強く想起

独自の遺伝学的手法により、計測した約1,400個の神経細胞のうち14%が記憶痕跡細胞と判定された。それらの神経活動データを詳細に解析し、周囲の他の神経細胞と比較した結果、記憶痕跡細胞に特徴的な神経活動を見出すことができた。

1つ目は、条件付けが行われる新しい環境(文脈)にマウスが入った直後から90秒間ほど持続する強い活動。2つ目は、無条件刺激である電気ショックが与えられる1~2秒前の一時的な強い活動である。特に電気ショック直前の神経活動は、行動レベルで知られている条件刺激と無条件刺激提示の時間的タイミングと合致しており、このタイミングでの神経活動が高かったマウス個体ほど、記憶が強く思い出されることも明らかになった。

無条件刺激直前5秒間の神経活動抑制により、記憶形成が阻害される

さらに光遺伝学の手法を用いて、電気ショック直前のわずか5秒間、海馬の神経活動を抑制するだけで、文脈依存的恐怖記憶の形成が阻害されることを明らかにした。

以上より、文脈依存的恐怖条件付けにおいて、海馬の記憶痕跡細胞の活動が条件刺激の役割を担うことが示された。

PTSDや依存症などの精神疾患の原因究明や治療法開発に役立つ可能性

動物が新しい環境に入ると海馬の一部の神経細胞が強く活性化し文脈を表現する記憶痕跡細胞が形成される。これらの文脈情報を保持する記憶痕跡細胞のうち、電気ショックの直前にも再び強く活動した神経細胞が無条件刺激である電気ショックの信号との連合に参加することにより、特定の文脈情報と結びついた恐怖記憶が形成される、という文脈依存的恐怖記憶の形成機構に関する新しいモデルが今回の研究により新たに提唱された。

条件付けは、ヒトを含む動物の行動選択に決定的な役割を担う代表的な学習機構で、無条件刺激が今回の研究のように嫌な刺激の場合もあれば、パブロフの犬のように報酬となる場合もある。PTSDや依存症といった精神疾患は、この機構が適切に制御されないことによって引き起こされると考えられるため、条件付けの神経機構の理解がより深まれば、制御困難な嫌悪・報酬記憶や行動の消去方法の開発につながる可能性が期待できる。今後は、なぜ条件刺激と無条件刺激のタイミングの数秒間のずれが必要であるのかに関する分子機構の解明が重要な課題と言える。

「本発見は、古くから知られている行動学的な現象の脳内基盤を最新の科学により実証した好例であり、ヒトを含む動物の行動選択に重要な役割を担う条件付け学習と記憶の脳内機構のさらなる理解に貢献する。また、条件付けの制御の破綻により生じると考えられるPTSDや依存症などの精神疾患の原因究明や治療法の開発に役立つことが期待される」と、研究グループは述べている。(QLifePro編集部)

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