オダギリジョー

オダギリジョー

PROFILE: オダギリジョー/俳優、映画監督

PROFILE: 1976年生まれ、岡山県出身。「アカルイミライ」(2003年/黒沢清監督)で映画初主演。以降、「血と骨」(04年/崔洋一)、「オペレッタ狸御殿」(05年/鈴木清順)、「メゾン・ド・ヒミコ」(05年/犬童一心)、「ゆれる」(06年/西川美和)、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07年/松岡 錠司)「転々」(07年/三木聡)、「悲夢」(09年/キム・ギドグ)、「オーバー・フェンス」(16年/山下敦弘)、「宵闇真珠」(17年/クリストファー・ドイル)など。「ある船頭の話」(19年)で初の長編映画監督を務め、その年のヴェネチア国際映画祭に選出される。NHKドラマ「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」で脚本、演出、出演、編集を手掛け、カルト的な人気を博した。今年公開された「夏の砂の上」(25年/玉田真也)では、主演と共同プロデューサーを務める。「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」が長編監督作2作目となる。

「警察犬を着ぐるみで演じたかった」。オダギリジョーのそんな着想から生まれたテレビドラマ「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」。オダギリがオリバー役と、脚本・監督・編集を兼任したこの作品は、NHK総合で2021年にシーズン1が、翌年に続編となるシーズン2が、3話ずつ放送された。

鑑識課警察犬係のハンドラー・青葉一平(池松壮亮)だけに、相棒のオリバーが犬の着ぐるみの中年男性に見えている。しかもそのおじさんは、ぐうたらで慢性鼻炎、酒と煙草と女好き。オリバーに悩まされる一平の日常をコミカルに描きつつ、11年前に行方不明になった少女の謎に2人が迫るミステリーが展開し、熱烈なファンを獲得。「東京ドラマアウォード2022」単発ドラマ部門作品賞グランプリ受賞、「ギャラクシー賞」テレビ部門2021年10月度月間賞を受賞するなど、高い評価も受けた。

その伝説のドラマが「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」となり、劇場で公開されている。ドラマ版のキャストやキャラクターはもちろん続投し、豪華ゲスト俳優も出演した本作は、オダギリジョーの趣味性が炸裂した不条理コメディー×ダークファンタジーに仕上がった。監督・脚本家として、映画「ある船頭の話」とはガラリと作風が異なる2作目の映画を完成させたオダギリジョーに話を聞いた。

場面カット。警察犬・オリバーを演じるオダギリジョー(左)とハンドラー・青葉一平を演じる池松壮亮

ドラマも映画も作り方は変えない

オダギリジョー

オダギリジョー

——シーズン3に当たる本作を、テレビドラマではなく映画として製作した理由からお聞かせください。

オダギリジョー(以下、オダギリ):「映画をやろう!」ではなく、結果的に映画にせざるを得なかったという方が正しい気がします。シーズン2を終えたあと、「もう1エピソード書いてほしい」とお願いされ、脚本を新しく書き上げたんですが、「どう頑張っても、テレビの制作費では実現できない」と言われてしまったんです。だったら、「製作委員会を組んで必要な制作費のもと映画にしましょうか」というアイデアが出てきたんですね。

——「映画にしましょうか」となったことで、作るものに変化や影響はあったと思いますか。

オダギリ:基本的にやっていることは変わっていないと思います。テレビシリーズのときから劇場で上映しても遜色ないクオリティーにこだわっていたので。一つ挙げるとしたら音響かも知れません。外の音を完全に遮断することができる劇場だからこそ、5.1サラウンドでとても細かく音を置いています。だから逆に、テレビだと十分に出ない音も多くあると思うので、家で見ても奥行きが伝わらないと思います。なかなか劇場で映画を観ることが少なくなっている時代ですが、この作品はむしろ、映画館でしか本当の面白さを感じられない作品を目指しました。時代が求めるような映画とは逆行しているかもしれません(苦笑)。ただ、せっかく自分の作品を発表するのに、時代に媚びたり迎合するようなものを作っても意味がないですからね。

——でも、非常に映画的だなと感じました。不条理なダークファンタジー的な世界観に挑戦されているなと。

オダギリ:内容に関しては紆余曲折あったんです。そもそも「オリバーな犬」はテレビのコンテンツとして企画したものです。テレビはいろいろな規制があるものですし、視聴者は老若男女、どんな人が観るかも分かりません。分かりにくかったり、ひねったことをやるとすぐに携帯に手を伸ばされるでしょう。視聴環境もさまざまです。そこに照準を合わせて作るのが、難しさであり面白さであったと思います。

しかし映画は全く違う競技です。映画は哲学や美学、詩やファッションや音楽まで全てひっくるめた総合芸術だと思っています。テレビの延長で映画を作ることは大きな間違いであり、自分の映画に対する信念やプライドが試されているような感覚でした。

もともと「オリバーな犬」は警察犬を擬人化したもので、写実的(リアリズム)というよりは、ファンタジー要素が強いものです。さらに世界観を強めていった結果、ダークファンタジーな雰囲気に落ち着きました。比べるのはおこがましいですが、ティム・バートンやテリー・ギリアム、ジュネ&キャロなど先人たちは、自分の世界観を突き詰めていく中でダークファンタジーな作品に辿り着いてますもんね。きっとアートの側面の一つには「ダークファンタジー」があるのだろうと思っています。

——時系列として、シーズン2のその後のストーリーを描きたかったのでしょうか。

オダギリ:特にそういった意図はありません。もしかしたら別の世界なのかもしれないというくらいの感覚です。この作品全体が、ドアを通り抜けたら違う世界に行く、という構造になっているので、もしかしたら、最初から違う世界にいるという可能性もあるし、シーズン2より前の話である可能性もある。受け取り方はそれぞれの自由で良いと思っています。

——「◯◯◯◯ランド」(※ネタバレ防止のため伏字)のモチーフをどう思いつき、どう脚本に落とし込んでいったのかが気になります。

オダギリ:あれは実は、脚本執筆中にコロナにかかって、40度の高熱で寝こんでいるときに浮かんできたアイデアなんです。苦しみの中で神から頂いた啓示なのかも知れません(笑)。ある日突然世界の価値観が「たこ焼き」を中心に廻り始めたら…気づいたら全てがたこ焼きを物差しに判断される世界になってしまったら……。当たり前の常識や価値観が一瞬で変わるとしたら、という状況を描いてみたいと思ったんですね。

——劇中に出てくる“球体公園”を見つけたからではないんですね。

オダギリ:ではないですね。逆に後からあれを見つけて「完璧じゃん!ここを使おう!」と思いました。

——ドラマも今回の映画も、ロケーションが本当に素晴らしいですね。

オダギリ:ありがとうございます。自分が書いた脚本だからこそ、なかなかイメージと合う場所が見つからないのですが、制作部さんがいつも頑張ってくれています。制作主任の鈴木遼平氏は「ある船頭の話」のときは助監督として、「オリバーな犬」ではテレビシリーズから制作部としてずっとついてくれているので、徐々に僕のこだわりや好みをつかんでくれているのかもしれません(笑)。ちなみみにあの球体のトイレは、バナナマンの日村さんの散歩番組で見つけたんです(BSテレ朝の「バナナマン日村が歩く!ウォーキングのひむ太郎」)。「アメトーク」でも日村さんが話してくれてましたが、結構面白い場所を歩いているので、ロケハンの気分でよく見ているんです(笑)。

深津絵里、8年ぶりの映画出演

オダギリジョー

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——深津絵里さんの8年ぶりの映画出演は「事件だ!」と思いました。とはいえお2人の間には(NHKの朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」(21年)で夫婦役を演じた関係性があるので、自然な流れだったのかなと思いつつ。どのように出演に至ったのでしょうか。

オダギリ:「カムカム」の撮影が(「オリバーな犬」の)シーズン1の初回放送のタイミングだったので、深津さんに「自分が作った作品なので、時間があったら見てみてください」とお伝えしたところ、「すごく面白かったです」と言っていただいたんです。そのときはちょうどシーズン2の脚本を書いていたので、現場の待ち時間に、「ちょっと今、引っ掛かっていることがあるんですけど、こういうときって、例えば深津さんだったらどうします?」みたいな感じで、勝手に脚本の相談をしていたんです(笑)。深津さんもそれを楽しんでくれているようで、やっぱりモノづくりに強い興味を持っているのだろう、とは思ったんです。もしかしたら、「オリバーな犬」みたいな世界観を楽しんでくれるのではないかと考え、引き受けてくれるか分からないけど、ひとまず深津さんに当てて「羽衣弥生」という人物を描いていきました。先日の完成披露試写会でもおっしゃってましたが、「近年稀に見る、奇想天外さに魅了された」と言ってもらえたのはうれしかったですね。

羽衣弥生を演じる深津絵里(中央)

——演出して感じた、深津絵里のすごさとは。

オダギリ:映画を観ていただいて驚かれたと思うのですが、冒頭から深津さんのすごさは全開です。古いキャバレーのステージでEGO-WRAPPIN’(エゴラッピン)の名曲「色彩のブルース」を歌ってもらっています。そのカッコイイこと。俳優としての存在感や魅力はもちろん、あの歌声は本当に揺さぶられるものがありました。今の日本で、あんなことを成立させられる俳優は深津さんの他に居ませんよ。ただ歌が上手いという事ではなく、感情の機微を歌声に乗せてくれています。「本物」とは何かを見せていただいた思いでした。

歌唱シーンは、MVを撮るように何度も繰り返しながらの撮影となりました。楽器の演奏ももちろん撮りますし、深津さんの歌う姿も色んな角度から撮影していくことになります。その一日に集中的に歌ってもらったわけですが、スタッフは毎回泣きそうになっているんです。深津さんの芝居と歌声に、完全に飲み込まれていると言うのか……。深津さんの寄り(アップ)の撮影では、目に涙を溜めて歌う深津さんの姿に、撮影監督の儀間(眞悟)さんもファインダーを覗きながら、涙をこらえるのに必死だったそうです(苦笑)。それだけ観る人の心に響く本当の表現をされる人なんですよね。

——脚本に涙の描写はなかった?

オダギリ:実は、脚本には「涙を堪えながらも歌い続ける羽衣……」というような描写は書いていないんです。きっと深津さんも、脚本を読んだ段階では、そこで涙を流すというイメージはなかったのではないかと思います。ただ、現場に立ち、羽衣としてそこに存在した瞬間に、抑えきれない感情が深津さんの内面を満たしたんだと思うんです。それは俳優の中でも、限られた人にしか起こらない奇跡というか、芝居が芸術だと思える所以でもあるところです。それを現場で共有させてもらえたのは幸せでしたね。本当にすごい芸術家だと思います。

映画は劇場で観てもらいたい

オダギリジョー

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——撮影監督は、「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」(07年、松岡錠司監督)や「エルネスト」(17年、阪本順治監督)で仕事をされた儀間眞悟さんです。シリーズもので撮影監督を変えるのは、勇気が必要な気がしますが。

オダギリ:テレビシリーズも1と2で撮影監督が違うんですね。自分には決まったカメラマンがいないんです。特にこの作品は、編集でテンポを上げたり、画を大きく加工したりすることが多いので、それを理解してもらえる柔軟な方にお願いしています。今回は映画でもあるし、クリス(クリストファー・ドイル)にお願いしようかという案もありましたが、たまたまCMの撮影で久しぶりに儀間さんとお会いしたんですよ。儀間さんとは同い年でもあり、笠松(則通)さんについていらっしゃった若い頃から一緒に時間を過ごした仲でもあったので、信頼もできるし、久しぶりに会ったのも何かの縁かなと思ったんです。撮影監督なので画的なセンスはもちろんですが、儀間さんはチームを引っ張っていけるリーダーシップがある人で、現場の雰囲気作りに関しても助けてもらいました。自分が突然「今日の夕陽を撮りましょう」と言い出しても、嫌な顔ひとつせず、すぐに対応してくれる、そうした人間性の部分も儀間さんの大きな魅力だと思います。

——監督として編集をする際に大事にしていることは。

オダギリ:編集をちゃんと勉強したわけではないので感覚的なものですが、今までの経験から自分なりの編集術は確立されてると思います。とは言え編集を語るのは、本にできそうなくらいですからね(苦笑)。要点だけお話しすると、現場では時間に追われていたり、急にトラブルが起きたり、いろいろな理由で思うような撮影が出来ないこともあります。脚本を書いていたときにイメージしていた理想の形にもう一度組み直す、理想に近づけていく作業が、編集の醍醐味なのかなと思っています。シーンの目的や伝えたいことをロジカルにつなげることもありますし、本当に伝えたいことは敢えて顔を見せず、想像させることが効果的なときもあります。

つなぎ方にはいろいろなやり方があるとは思いますが、自分が重要視しているのは「目線の誘導」です。観客に何を観てほしいのか、どこに視線を集めたいのか、ということは大切にしています。そうすることで、違和感なく画を追えて、結果的に作品の世界に入り込みやすくなると思っています。なので、2回目、3回目はぜひ、意識的に目線を変えて観てもらえたら、1度目とは全く違う受け取り方ができると思います。これは自分が編集をするようになってから気付いた映画の楽しみ方の一つです。

——初監督作「ある船頭の話」とはジャンルもムードも全く違う作品になりました。どのような作品を作りたいと思っているのでしょうか。

オダギリ:確かに全く違う作品なんですが、共通するのは、その時の日本映画や、それを取り巻く社会に抗おうとしているのは確かなんですね。「ある船頭の話」のときは(今もそうですが……)ああいった何も起きないミニマルな題材は敬遠されやすく、誰も作りたがらない作品でした。だからこそ、自分が作らなければと思えたし、そうした無謀な挑戦に多くのスタッフやキャストがエールをくれていたんです。

今回は、配信などで映画を見ることも増え、なかなか映画館に足を運ぶ機会が減っているのならば、映画館でしか受け取れない、映画館で観るべき映画を作りたいと思っていました。外の音を完全に遮断した空間で、5.1サラウンドで細かく音を設置して行ったので、この世界にどっぷりと浸りやすいと思いますし、日常を完全に忘れられる、現実逃避できる100分だと思います。深津さんの歌も映画館の素晴らしい環境で見てもらえると最高だと思います! やはり映画は映画館で観るべきだと実感してもらえるのではないでしょうか。

理想とする映画監督像は?

オダギリジョー

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——これまで多くの映画作品に出演し、国内外の映画監督と仕事をしてきたオダギリさんが思う、理想の映画監督像とは。

オダギリ:それは難しいですね。いろいろな映画があるように、いろいろな監督がいらっしゃって、それぞれに良さがあるんですよね。中でも、鈴木清順監督はつかみどころがなくて、一緒に仕事させてもらってものすごく面白かったんです。完全なオリジナリティーがあって、イマジネーションがくすぐられる方でした。その一方で、とても真面目な人もいれば、とても意地悪な人もいますからね……。撮りたい作品によっても変わってくるでしょうし、理想像は特にないですね。ただ、憧れている監督はもちろんいます。とは言え、その人たちのようになりたいとは思わないですからね。あくまで自分のスタイルを突き詰めていく中で、いつの間にか理想に辿り着いているものなのだろうと思いますね。

——なるほど。ご自分の現場では、どういう監督であろうとしましたか?

オダギリ:自分の書いた脚本に興味を持ってくれ、参加してくれるわけですから、スタッフやキャストの方々には、なるべく誠意を持って対応したいと思っています。「この現場は面白いな」「今日はどんな面白いことが起きるのかな」というような楽しみを持って現場に来てもらいたいし、もちろんみんながクリエイティブなアイデアを持って来てくれたらうれしいし。モノづくりの現場として良い空気が流れてほしいとは思ってますね。

時々、俳優として参加する現場で「どうだろうな」と思ってしまう監督もいるんです。自分は監督ベースの椅子に座ったままで、助監督さんを現場に走らせて演出を伝えたり……。俳優からするとそれはやはりあまり気持ちのいいことではないですよね。ちゃんと向き合おうとしてないように感じてしまうし。そういう経験から、自分が見ていて、カッコ悪いなと感じる監督は反面教師にしています。だから「ある船頭の話」では、非常に太陽に差される現場だったので、普段はサングラスをかけていましたが、柄本明さんをはじめ俳優部に演出をつけにいくときだけはしっかりサングラスを外す、みたいな(笑)。本当に些細なことなんですが、俳優はまぶしい中サングラスもつけず芝居をしている訳ですから、監督がサングラスを外してちゃんと目を見て芝居の話をするくらい、最低限のマナーだと思うんですよね。誰が偉いとかではなく、みんながこの作品を良くしようと参加してくれているので、全ての人にリスペクトは忘れたくないと思っています。

——この映画は決して分かりやすくはないと思います。鑑賞した感想として、ドラマ版ではストーリーに運ばれていきましたが、映画は世界観に埋没する感覚がありました。作品に登場するドアというモチーフにこじつけるならば、この映画はドアの向こう側にある新しい世界であり、映画監督は違う世界に続くドアを設置する人だと感じました。作品によりけりだとは思いますが。

オダギリ:そうですね。仰る通り、テレビはストーリーで引っ張るものだと思いながら、そこでどういう風に遊べるかを模索していましたし、今回は映画だからこそ、やれることを突き詰めました。どちらにしてもその世界が監督の色で染まり切っていて、その人にしか作れない世界であれば良いと思っています。今回は特に、映画館だからこその「体験型」の映画にしようという思いは強くありました。

——監督は映画に対して、自分というものを曝(さら)け出しているわけですよね。ものすごい覚悟を持って。

オダギリ:だからこそのプレッシャーであり、ストレスを感じますし。決して開き直って、「楽しんでください!」なんて言えない心境で公開初日を迎えていますけどね……。

——そうなんですか?

オダギリ:はい。ついに、観客の皆さんに観てもらう日が来てしまって、もちろんそこには賛否があるわけで、聞きたくない感想まで聞くことになりますからね。結局のところ、自信を持って自分を曝け出すことなんてできないんですよ。自分のエゴとも言える表現を、どう捉えられるのか、本当は逃げたいくらいの気持ちなんです。でも、表現というのはそれに対峙する必要がある訳で、それに打ち勝つ勇気が必要なんだと思います。自分にとっては、芝居は何年も勉強をして、長い経験が自信となり、打ち勝つ術を得たのだと思いますが、監督業はまだまだ新人で暗中模索な状況だからこその心情なんでしょうね。

——今後、監督業に専念したいという思いはありますか? それとも俳優業と両輪でやっていくのでしょうか。

オダギリ:正直、監督としてそんなに才能があると思っていないので、自分に期待はしていません。しかも自分が作る映画は大衆受けを狙うものではないし、一部の人に深く刺さるものしか作れません。今は人件費や物価の高騰もありますし、時間をかけてこだわる自分のスタイルは、制作費とも折り合いがつきません。ましてや自分の人生の5年近くを一つの作品に費やすわけで、軽い気持ちで映画に手を出す気にもなれません。これが今の正直な気持ちですね。

——先ほどの発言にもありましたが、日本映画や映画界の状況に対する危機感や憂いを表明しています。となると、そう簡単に引けないのではないでしょうか。

オダギリ:いえいえ(笑)。実際のところは、自分ごときが日本映画や映画界の状況を変えれるなんて思っていません(苦笑)。それは社会の流れが決めていく価値観ですから、自分ひとりで抗っても、どうにもならないことなんです。きっと仰るような「危機感や憂い」のようなものを源に創作意欲を燃やしてきただけで、自分には闘う相手として「映画界」という大きな存在が必要だったんでしょうね。今は、映画に関わらず、新たに自分の信じる表現を突き詰める場所を探したいと思っています。50歳を節目に、次のフィールドに向かっても良いのではないかと思うんです。自分が情熱を注げられる、新たな場所があるなら、そこに挑戦するべきだと思っています。

——自分のクリエイティブに誠実であろうということですね。そのために、ドアを開けて違う世界へと向かっていく可能性もある。

オダギリ:そこにドアがあるのであれば、開けないよりかは、開けて後悔した方がいいんじゃないかなとは思います。

——後悔ですか。楽しみではなくて。

オダギリ:もちろんその先に楽しいことがあれば最高ですが、開けた結果失敗したとしても、開けないよりかはいいんじゃないかなとは思います。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLING:TETSUYA NISHIMURA
HAIR&MAKEUP:YOSHIMI SUNAHARA(UMiTOS)

ジャケット 11万3300円、シャツ7万950円、パンツ 9万4600円/全てキディル(サカス ピーアール 03-6447-2762)、シューズ スタイリスト私物

「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」

ポスタービジュアル

場面カット

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場面カット

場面カット

◾️「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」
全国劇場公開中
脚本・監督・編集・出演:オダギリジョー
出演:池松壮亮 麻生久美子 本田翼 岡山天音
黒木 華 鈴木慶一 嶋田久作 宇野祥平 香椎由宇
永瀬正敏
佐藤浩市
吉岡里帆 鹿賀丈史 森川 葵
髙嶋政宏 菊地姫奈 平井まさあき(男性ブランコ)
深津絵里
制作プロダクション:MMJ
配給:エイベックス・フィルムレーベルズ
コピーライト:©︎2025「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」製作委員会
https://oliver-movie.jp/

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